第179話 解決?

 ゆらり ゆらり

 黒煙が揺れる。火事はない。ただ、揺れる。

 揺れた煙は姿を創り、それは黒き獣となった。

 獣は咆哮し、闇を広げんと一歩踏み出す。

 暗闇に閉ざされたその場所は、以前は聖域と呼ばれていた。

 それを汚し、闇が巣食う。

 獣の足下からは、人には見えない瘴気が立ち昇っている。

 もう一歩。その足が地に着く直前、一本の矢が音もなくその足元に突き刺さった。

 ――ガルル……

 それは、白く光る矢。闇と相容れぬ光の白。

 獣の目の前に、何かが舞い降りた。それは唇だけで微笑み、弓を引いた。

 パァン

 放たれた矢が獣の赤い目を貫き、黒煙さえも消し飛ばす。

 元通りの青空の下、は踵を返した。




 体が揺れている。地震ではない。誰かが、意図をもって揺らしている。

「リン、起きてくれ。大変なことが起こったんだ!」

「うあ……。エルハ、さん? って、そんなに揺すらなくても起きますって!」

 ユキの夢の件があった翌朝、リンはエルハに揺すり起こされた。

 エルハと自分用にコップ一杯の水を用意し、エルハにそれを手渡しながら質す。手櫛で寝癖を直しながら。

「それで、どうしたんですか?」

「ん、ああ。そういえば昨晩は忙しかった、というか凄いことがわかったとジェイスさんに聞いたよ。僕は朝まで起きられないたちだから、寝かせておいたとも言ってたけど」

「ああ……そうでしたね」

 エルハの言葉に、リンは苦笑を漏らした。以前、いたずらで夜中にエルハを起こした者がいたのだが、その時のエルハの期限は最悪だったらしい。鬼のようだったと聞いている。

 翌朝起床した後はそのことを忘れてしまうようだが、リドアスの中で就寝中のエルハを無理矢理起こしてはならない、というのが暗黙の了解となっている。

 エルハはリンの苦笑に首を傾げつつも追及はせず、それよりも、と続けた。

「大変、というか僥倖なんだと思う。……ホライの闇が明けたらしい」

「何ですって!?」

 一気に眠気が覚めてしまった。

「今、水鏡がつながってる。みんな起こして集まってもらってるから、リンも」

「あ、はい。すぐに」

 昨夜地図の周りに集まっていたのと同じメンバーが、そこに勢ぞろいしていた。リンの他はジェイスと克臣、晶穂、ユキとユーギ、そして唯文と春直、エルハである。

 水鏡にはホライに残ったテッカと妻のコノミ、村長のジーランドが並んで映っていた。見れば心労で目の下にくまはあるが、コノミの表情は笑顔だ。ジーランドも安堵の表情を浮かべている。

「おお、リン。来たか」

「テッカさん、闇が晴れたと聞きましたよ」

 本当なんですかと質すリンに、テッカは「そうだ」と頷いた。

「オレも驚いたよ。朝目覚めたら眩しくてな。また魔物が現れたのかと身構えたら、日の光が射してるじゃねえか。しかも、奥の部屋では眠っていたはずのハルたちが順番に起き出していた」

「え……ハル、無事なの?」

 身を乗り出したユーギに笑みを見せ、テッカは誰かを手招きした。するとすぐに可愛らしく小さな狼の耳が見え、少女が現れた。ユーギに似た、大きな瞳の女の子。

「お兄ちゃん!」

「ハル! よかった、無事で。体だるいとか、痛いとかないか?」

「うん、何もないよ。……お腹空いた」

 きゅるる、とハルの腹の虫が鳴く。

「なら、母さんに朝食作ってもらえ」

「うん!」

 ハルはコノミの袖を引いた。コノミは娘に微笑みかけ、少し待つように手で指示する。

「ユーギ、皆さんも。眠っていた人たちは全員目覚めましたし、魔物もいなくなりました。何が起こったのかはわかりませんが……。皆さんはこちらのことは気にせず、まだ闇の中にある土地の方々に専念してください」

 ハルの頬を愛しげに撫で、コノミはそう言った。彼女たちが食事のためにいなくなり、リンはテッカとジーランドの二人と向かい合った。

「一先ず、よかったですね。ジーランドさん」

「ええ。……ですが、一晩で何が起こったのか」

 理由もなく解決してしまった事件に対する安堵と不安の中、ジーランドは揺れているようだ。しかし、そればかり気にしていても仕方がない。ジーランドは首を二、三度横に振った。

「兎に角、みんな目覚めた。今はそれで良しとしましょう」

「ええ。リン、みんな、オレは村の中をもう少し調べてから報告に戻る。……扉がどうなったのかも気になるからな」

「了解しました。扉、復活しているといいんですけど」

「……そうだな」

 ホライ村との通信を終え、リンはふっと肩の力を抜いた。その方に、克臣の手が乗る。

「一つ解決、か?」

「ですかね。……けど、突然過ぎる気もします」

 何事かある前には必ず前触れがある、とは言わない。全てにおいてそうとは断言出来ないが、リンの中には胸騒ぎがあった。

 しかし今この場所で判断することは、出来ない。

「兎に角、テッカさんが帰って来るのを待ちます。あの人のことですから、明日には帰って来て下さるでしょう」

「うん。ぼくも父さんから話聞きたい」

 狼の耳をぴくぴくと動かし、ユーギもリンに同意した。他のメンバーも頷き、それぞれが朝の支度をするために一度解散した。

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