第176話 夜話

 リンと晶穂以外のメンバーはと言えば、ジェイスと克臣の指示で各自室に引き上げたようだ。指示を出した二人も何かを離しながら引き上げていく。

 今、ここには二人しかいない。

「今更だけど、ソディールも地球と同じで夜は月が昇るよね」

「ああ、この星の周りを回っているらしい。月と同じだな」

「……」

「……」

 隣同士に立っているのに、顔を合わせられない。それぞれが別々の方向を向いてしまう。

 リンがちらりと横目で晶穂を見ると、彼女は顔だけでなく耳まで赤くして窓の外を見ていた。

「……」

(ジェイスさんと克臣さん、絶対廊下で見てるだろっ)

 どうにかして存在を主張する心臓の音から気を逸らそうと、リンは兄貴分たちのことを考えようとした。

 そもそもがあからさまなのだ、とリンは思う。ソディールを気にしてデートを中断したことが理由かは知らないが、二人には気を使われ過ぎている。というか、二人の楽しみに利用されている気がしてならない。

(―――でも)

 リンは窓ガラスに映る晶穂の顔を見た。同時に、自分の顔も赤いことを自覚する。正直、格好悪いと思う。自意識過剰なのではないかと、自分を疑う。

「晶穂」

「――ふえっ!?」

 ぴくりと肩を震わせて、晶穂がリンを見上げた。その表情のかわいさに、リンの心臓のボリュームが急上昇する。と同時に、彼女の驚く声がおかしくて、笑いがこぼれた。

「―――ふっ。お前、『ふえっ』ってなんだよ」

「しょ、しょうがないでしょ? びっくりしたんだもん!」

 頬をふくらませそうな顔がかわいくて、リンは声を上げて笑ってしまった。

「も、もう。笑い過ぎだよ、リン」

「わっ、悪かったって」

 ひーひー言いながら、すねる晶穂の頭をぽんぽんと軽く撫でるリン。その指がさらりと彼女の髪を梳くと、晶穂はびくっと反応した。

 その反応が妙に愛しく思え、リンは無意識に晶穂の頬に手を伸ばしかけた。

「……っ」

 が、自身で己を制した。その上で、不自然に宙に浮いた手を頭へ持って行って照れ隠しに頭をかいた。

 自分が一体何をしようとしたのか。リンはその「何か」に思い当たり、顔に熱が集まることを実感していた。

「――き、きっと明日は今日以上に忙しくなる。晶穂、俺らも休もう」

「――う、うん。おやすみなさい、リン」

「おやすみ、晶穂」

 照れ笑いを浮かべて歩き出す晶穂を目で追いそうになりながら、リンも途中まで一緒に自室へと戻って行った。


 玄関ホールから廊下に入ってすぐ、会議室としても利用される大部屋がある。そこに気配を潜めて隠れていた二人の青年は、リンと晶穂が自室に入ったことを気配で確かめると息を吐いた。

「はーーーーあ。かわいいなあ、あいつら」

「ふふ、そうだね。どこまでいくかと思ったけど、じゃれただけだったね」

「あいつらにはそれが精一杯だろ。……俺も戻るわ」

 また明日。そう言って自分に背を向ける克臣に、ジェイスは声をかけた。

「―――克臣、お前はどうするんだ?」

「……真希次第、だ」

 投げ返された言葉は、ひどく簡素なものだった。親友を見送り、ジェイスは嘆息する。

「……迷ってるんだろ、克臣」


 かたん

 物音を聞いて目を覚ましたリンは、ベッド横のスタンドランプをつけた。時計を確認すれば、夜中の十一時。眠ったのが一時間ほど前だったか。

 物音は、廊下でしたらしい。戸を少し開けて周囲を見ると、中庭につながる戸が少し開いていた。リンは足音を忍ばせ、そっと外に出た。

 そこにいたのは、小さな猫人の少年だった。滑らかな紺色の髪が、夜風に遊ばれている。木の根もとに座り、夜空を見上げていた。

「春直?」

「あ、リン団長……。どうしたんですか?」

「お前こそ。俺は、物音が聞こえたから見に来たんだ」

「ああ、起こしちゃったんですね」

「気にしなくていい。……座っていいか?」

「はい」

 春直の隣に座り、足を伸ばす。

 リンは船の上でエルハに言われたことを思い出した。

「そういや、エルハさんに聞いたんだけど……」

「?」

「……クロザに、会ったって?」

「あ……。はい、会いました」

「そこで、あいつを怒鳴りつけたって聞いたよ」

「エルハさん、やっぱり最初から見てたんだ……」

 頭を抱え、うずくまる春直。何か言ってはいけないことを言ったかとリンが焦ると、春直は諦めの見える笑みを浮かべた。

「聞いちゃいましたか」

「……ああ。春直が、そんな風に思っていたとは知らなかった。当然と言えばその通りだが。―――お前の気持ちも考えず、すまなかった」

「そんな。頭を上げてください」

 リンに頭を下げられるとは思わず、春直は目に見えて慌てだす。求めに応じたリンは、隣に座る小さな頭に手を置いた。そのまま撫でる。

「それでも受け入れてくれた。感謝してるよ、春直。それが春直の凄い所だな」

「やめてくださいよ」

 一気に顔を赤くして、春直はリンから逃れるように立ち上がる。そしてふと月を見上げ、呟いた。

「……ぼくは、あいつらを許すことなんて生涯ないでしょう。でも、ぼく自身が懸命に生きることは出来ます。ぼくは、いつか死んだ後に家族や村の人たちに胸を張れるよう、生きるだけですから」

「春直、お前本当に年下か? 尊敬しかないんだが」

「年下ですよ。それに、ぼくはリン団長みたいになりたいんですから」

 くるりとリンを振り返り、春直は微笑む。その瞳が濡れている気がしたが、リンはそれについて何か言うことはなかった。

「俺みたい、か。気持ちは嬉しいが、苦手なもんだけは真似するなよ?」

「ゴキブリ、でしたっけ? ふふっ。遭遇したらぼくが助けてあげますよ」

「……あれは駄目だ。幼い頃に倒そうとして魔力をぶつけたら、あいつは死んだ。それは良いんだが、体が粉砕されてその一部が顔に飛んできてな……。それ以来、見ると体が竦む」

 内緒だぞ。そう言って顔を引きつらせて微笑むリンに、春直は今度こそ笑顔を見せた。

「ははっ。団長の意外な弱点ですね」

「だろ? でも、いつか戦えるようになるからな」

「あーおかしい。そういえば、晶穂さんは昔から施設で小さい子たちの世話をしてる中で遭遇することもあったから、それもスプレーさえあれば退治出来るって言ってましたよ」

 思いもよらない事実を知り、リンは苦笑する。

「マジか。……早々に克服するわ、俺」

「ふふっ。頑張ってください」

 リンと春直の密かな会話は、三日月と星々だけが見下ろしていた。

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