第175話 整理しよう

「よかった。……ここにはまだ扉がある」

 リドアスに戻った直後、唯文は扉に触れて安堵の息を漏らした。彼の隣に立った晶穂も頷く。

「……そうだね。これとは別の扉を使って、直接コラフト近くまで飛んだから」

「ああ、だから長い時間がかかった感じもなかったんですね」

「そういうこと」

 二人から離れた机の上には、ソディールの地図が広げられている。ここは、玄関ホール傍のスペースだ。

 リンが赤色のペンを持ち、オオバ・コラフトの場所に丸印をつけた。

「兄ちゃん、ホライも」

「ああ」

 ユキに指摘され、加えてホライにも丸を付ける。これらは全て、扉が失われて眠りの病が発症している場所だ。

「これ以上増えると思いますか? ジェイスさん」

「うん。……増えると思うよ。もしかしたらわたしたちが知らないだけで、北や南ではそういう状態になっている所もあるかもしれないね」

 ジェイスの視線の先には、シンの故郷である大樹の森以南の地域がある。

「そういえば、父から連絡はあった?」

「テッカさんか? さっきあったよ。ホライはまだ魔物の出現を確認していないそうだ」

 ユーギの問いに答えたのは克臣だ。先程リドアスの水鏡をつなぎ、報告を受けていたのだ。克臣の答えを聞き、ユーギは胸を撫でおろした。

 あの魔物が眠る人々を襲わないことは既に知っているが、テッカやジーランドのように起きている人々もいる。魔物がいないのであれば、心配はないはずだ。

 ユーギは父の強さを信じていないわけではない。しかしやはり自分がそこにいるのといないのとでは、安心感が違うのだ。

「春直。やっぱり、気になるよな」

「あ……。すみません、リン団長」

 じっとオオバの丸を見つめていた春直は、苦笑気味にリンに肩をすくめてみせた。

「気にするな。自分の故郷を思わない人はいないだろ。ましてや、失われた場所だ」

「……けど、春直の中にはあり続けてるんだよね」

「晶穂さん」

 唯文と共にいたはずの晶穂が春直の傍に腰を折り、目線を合わせた。

「それを、何も恥じることはないんだよ」

 一緒に日々を取り戻そう。そう言って微笑む晶穂に、春直は「はい」と少し目じりを赤くして応じた。二人の様子を見守っていたリンは、頃合いを見計らって皆を呼び集めた。

 その場にいた全員が机の周りに集まった。地図を覗き込む。

「まずは、情報を整理しましょう」

 リンはノートを開くと、黒い点を一つ書いた。

「暗闇が確認されたのは、ホライとオオバ、コラフト。そして同地では、時が止まったように眠る病が蔓延している、か」

「そうだね。そして空にひびが入り、破片が落ちている」

「更に魔物と呼べそうな化け物が現れた。倒せないことはないが、その後は跡形もなく消えるな」

 リンに続いて、ジェイスと克臣も話の整理に参加する。

 とんとん、とジェイスがホライの地点をつつく。

「わたしたちが知る仮称『眠り病』の発症地の一つがここ。実際、何人もの患者がいた」

「長老によれば、一週間以内の出来事のことだと言っていたな。……その前に扉が消失したと仮定出来る、か」

 テッカからの追加情報はない。話者はエルハに移った。

「オオバは廃村だけど、同様に暗闇に閉ざされたよ。魔物にも襲われたし……って、僕の話は前に一度してるからいらないんじゃ?」

「そうかもしれないですけど、整理ですから。簡単な振り返りです」

「リン団長がそう言うならいいけどね」

 エルハは春直が持って来たグラスを受け取り、一口水を飲んだ。

 その時、水鏡に通信が入る。現れたのは、ホライにいるテッカの姿だ。

「リン、いるか?」

「こちらに。どうされました、テッカさん?」

 呼びかけられたテッカは少し体をずらし、水鏡内に背後の風景が映り込むようにした。そこに映し出されたのは深い森。皆がなにがあるのかと首を傾げる中、ユーギが声を上げた。

「父さん、これ……!」

「流石。懐かしいだろ? 神樹だ」

「……これが、神樹。扉を守る樹木」

 ユーギが以前、ホライにあると話していた聖域の主たる大木のことだ。水鏡に映るそれは、ただ悠然とそこに立っているように見えた。自然の風があれば、ゆるやかに葉を揺らしていたことだろう。

「ジーランドさんに場所を教えてもらった。この辺りの空気は少し淀んできているようだ。……聖域としての役割を果たし切れてないな」

「聖域としての役割?」

 唯文が聞き返すと、テッカは「そうだ」と頷いた。

「聖域は、その場の力を保持するという役割がある。そしてここの場合は、扉を守る……つまりは存在させることも役割の一つだったんだろう。その扉が以前何処にあったのかはオレは知らんが、聖域は言ってみれば『ただの木』になり下がりつつあると言えるな」

「この大陸には、どれだけの扉があるんでしょうか?」

 リンが一歩前に出る。問いに対し、ジェイスが口を開く。

「わたしたちが知る限りは、リドアスに幾つか、オオバに一つ、ホライに一つ、コラフトに一つ。南の大陸にもあるという話は聞かないけどね」

「ジェイス、グリゼ付近にもあっただろう。あれは北限だがな」

 克臣の言葉に、リンは頷いた。地図の北側に青色の丸を一つ増やした。古来種と敵対するより前、日本とソディールを行き来して観光したことを思い出したのだ。

「……この辺りなら、リョウハンさんに連絡を取れれば調べてくれると思うよ」

「リョウハンさんって、一香とシンの師匠で、ジェイスさんの遠縁……との噂のある?」

「ああ、噂はわたしも聞いたことあるな」

 リョウハンは封珠の守護力を高めるため、一香とシンが指示した女性だ。黒の魔術師という異称で呼ばれ、リヨスという白虎を従えている。

「いつも山奥で生活してる印象があるな。……いつもの山なら水鏡が使える。連絡してくるよ」

 自室へ一旦戻るジェイスを見送り、リンは今一度地図を眺めた。水鏡を通してすながっているテッカが身を乗り出すようにして、大陸図を見つめている。

「本当に、ホライだけの問題だけではないんだな」

「そうですね。……現場と書物、両方の力を借りないと解決は難しいですかね」

「オレはもう少し調査のために滞在する。定期的に連絡を入れよう」

「頼みます」

「父さん、気を付けて」

「ああ。ユーギもな」

 頷くテッカの姿が消えたのとほぼ同時に、水鏡の使用を終えたジェイスが戻って来た。

「ジェイスさん、どうでした?」

「うん、予想通り山にいてくれた。扉の話をしたら、明朝確かめに行くと言ってくれたよ」

「そういえば、もう日が暮れますもんね」

 晶穂が苦笑交じりの言葉を発し、窓の外を見た。先程まで空の上にあった日の光は、既に月の光に取って代わられている。今日は三日月だ。

「魔物への対策、扉の消滅回避。それになにより、何故空が割れて眠りが広がるのか。わからないだらけで時が経つのを遅く感じるかと思ってたけど、逆に早く感じるんだよな」

「リン」

 窓辺に寄った晶穂の隣に、おもむろにリンが立った。

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