第171話 罰と誓い

 リンやジェイスたちとの水鏡での情報交換を終え、エルハはふうっと息をついた。

 エルハと春直がいるのは、オオバ村の元村長の自宅。そこで何冊かの書籍を見繕った。

「さて、行こうか」

「はい」

 二人で抱えたのは、計十冊。今日中に必要箇所のピックアップが終われば嬉しいが、ページ数は多いもので千ページほどもある。徹夜しない程度に頑張るしかないだろう。

「春直の家は、すぐ近くなのかい?」

「はい。村長の家から、徒歩で五分もかかりません」

 春直は灯りで真っ暗な道を照らすと、迷う様子もなく自宅の戸を開けた。

 試しに照明のスイッチを入れてみると、通電していない。先程のような魔物に見つかってしまうことを考えれば、それは良かったかもしれない。しかし、食事をしたり本を読んだりするのには不自由する。

「あ、ちょっと待っててください。確か倉庫に予備のランタンがいくつかあったはずです」

「ありがとう、春直」

 灯りを手にぱたぱたと駆けて行く春直を見送り、エルハは手持ちの小型懐中電灯で家の中を照らした。

 春直は父と母との三人暮らしだったと聞いている。仲が良かったのだろう。今エルハがいるのはキッチンと居間がつながった部屋だが、サイドボードの上には家族の写真が幾つも飾られている。壁には風景画があり、おそらく両親のどちらかが描いたものだと思われた。何故なら、その紅葉美しい森の絵の中に春直の姿を見つけたから。

「……仲のいい、家族、か」

 春直の家の中は、当時のままだ。落ちて割れた食器が幾つか、乱れた寝室、傷のある壁。血のにおいが残っていないのが幸いか。

 ジェイスと克臣が依頼して、近くの村から応援を頼み、ある程度は片付けたと聞いている。

「お待たせしました」

「お帰り、春直」

 こちらへ戻って来る足音を聞いて、エルハは視線を廊下へと向けた。急いだためか上気した春直の頬はわずかに赤い。その手には、三つの小型ランタンが抱えられていた。ランタンを二人それぞれの前と中間に置く。これで手元と全体が明るくなった。

「とりあえず、腹ごしらえしてから本の方に取り掛かろうか」

「ですね。ここに来る途中で買ったサンドイッチ食べましょうか」

 卵サラダ、ツナマヨ、カツ、サラダ、そしてフルーツ。それぞれが白や全粒粉のパンにはさまれ、お行儀よく箱の中に納まっている。ぱあっと顔を明るくした春直を微笑ましく思いながら、エルハは触感と味を楽しんだ。

「「ごちそうさまでした」」

 食事を終えてお茶でのどを潤した二人は、それぞれが持って来た本と向かい合った。

 探すのは、過去に扉が失われた記述、眠りの病、空から落ちてきた欠片、そして魔物についての記録だ。それらを見つければ、付箋代わりの紙を挟んでいく。

「……」

「……っくしゃ」

 春直が小さなくしゃみをした。

 静まり返った室内に、ページをめくる音だけが響く。エルハはオオバにて扉がどう扱われてきたのかに関する村長の記録を見つけ、印を挟んだ。ちらりと見れば、春直も紙を一枚手に取っている。読書や調べ物が苦にならないらしい。

 エルハの持つ懐中時計が、二時間後を示した。細かな花の装飾が美しい時計だ。

 流石に肩がこる。肩をほぐそうと付け根から腕を回しているエルハに、春直が立ち上がりながら言った。

「ぼく、ちょっと村の中を見てきます。ホライのように欠片が落ちてるかもしれませんから」

「わかった。気を付けてな」

 何かあったら叫んで。そう言って送り出してくれたエルハに軽く頭を下げ、春直は家を出た。


「……本当に、誰もいなくなっちゃったんだな」

 自分の地面を踏み締める音以外の音がない中で、春直は呟いた。

 あの日、あんなことがなければどうなっていただろうか。時折、そんなことが頭をよぎる。きっと、この村で何も知らずにのほほんと暮らしていたことだろう。

 そしてきっと、この事態に遭遇してしゃがみ込むのだ。何も出来ない、したくないと泣きじゃくって。

 銀の華でリンやユキたちと生きていくのだと決めた時、春直の中で何かが変わった。それは明確な形を持ってはいないが、生きる意志のようなものだと思う。

 真っ暗な村を、あてもなく歩く。いつしか、村の端まで来ていた。

 カチリ

「ん?」

 何かを踏んだ。ランタンを足下にかざすと、小さなガラスの欠片のようだ。それを拾い上げ、しげしげと眺める。何処かにこれが一部だったものがあるのかと、周囲を見渡すが何もない。当然だろう。ここは、家もない村の端の空き地なのだから。

「もしかして……」

 可能性を考え、空を見上げた。そして、ぞっとする。

(あった。空の割れ目、この村にも)

 早くエルハに報告しなければ。来た道を走り戻ろうとした春直の耳に、不快な重低音が響いた。

「グルル……」

「あ、ま、魔物っ……」

 春直が一歩退けば、魔物が二歩前に出る。猫人の大人と同じくらいの大きさの虎のような姿の黒いモノは、真っ赤な目で春直を捉えた。

(殺されるッ!!)

「――――――ッ」

 叫ばなければと思うのに、喉が凍り付く。春直は自分自身を両腕で抱えて声にならない悲鳴を上げた。

 その時だ。

「ギャウッ」

 ドサッ

「……おい」

「……え?」

 誰かが、魔物を一瞬で倒した。魔物は瘴気を上げて姿を消し、辺りは静寂に包まれる。春直が呼びかけに答えて恐る恐る目を開けると、目の前に見たことのない男が立ってた。

「もう、魔物はいない。大丈夫だ」

「あ、ありがとうございます……?」

 ──どくん

 春直はお礼を言いつつランタンをかざし、男の容姿を照らし出した。

 目の覚めるような鮮やかな青い短髪とアメジストのような紫の双眸が印象的だ。

「気を付けて帰れ。ここは危ないからな」

「はい……」

 ──ドクン

 こんな人は知らないはずだ。言葉を交わしたことはないと思う。なのに、春直の心臓は不自然に動機する。恐怖に血の気が引く。

 知っている。一度会っている。

 いつだ? あの、中庭で。

 感情の出どころを記憶の中から探す間に、男はこちらに背を向けて歩き去ろうとする。それを止めようとして、春直の中でフラッシュバックが起こった。

 封をされていた箱が、開く。

「……古来、種」

「何故、それを……。お前はっ」

 男の顔が驚愕で染まる。全て思い出した春直は、武器である爪を伸ばした。

「クロザアァァァァアアアアァッ」

「―――っ」

 春直の爪が、クロザの頬を傷つける。五本の赤い筋が、刻み込まれた。

「……なんで」

「……」

「何で、避けない? 躱さない? 抵抗しない?」

 興奮して肩で息をする春直に、クロザは呟くようにして応じる。

「……お前には、殺されてもいいと思っていた。それだけのことを、オレたちはしたんだから」

「―――ッ」

 クロザの後悔に染まった瞳は、何もかもを諦めたようで、贖罪のために死ぬことも厭わない感情を透かしたようで。

 春直は、許せなかった。抑えなければならないとわかっていても、自分らしくないとわかっていても、衝動は止まらない。

「お前たちは、誓ったんだろう?」

「何……」

「お前たちは、殺した分、人を救うと誓ったんだろう? じゃあ何で、何で今、ぼくに殺されてもいいなんて言うんだ!? ……ぼくは、そんなこと望んでなんかいない。お前は、お前たちは、これからも生きて誓いを果す義務がある!」

 大粒の涙が、春直の頬を伝う。夜風に吹かれ、春直の滑らかな髪が乱れる。

 それでも、激情のまま、叫び続ける。

「どんなに辛く、人に蔑まれようと、後ろ指をさされようと。……それが、お前たちが選んだ道じゃないのか? 贖罪だと、受けるべき罰だと受け入れたんじゃないのか? ぼくは、ぼくの大切なものを奪った古来種を許さない。だけど」

 春直は、一つ深呼吸をした。目の前でこちらを見続ける男に、聞かせなければならない。

「だけど、その厳しい道を見守ると決めた。何より、ぼくを救ってくれた仲間の決断だから。……もしも次、リン団長や晶穂さん、仲間たちを傷つけたら、必ずぼくがお前を殺す」

 それは、誓い。胸の奥に秘めた自分の悲しみと折り合いをつけ、笑って生きていくためのけじめ。欠片を握り締めた拳からは、血が滴る。その痛みは、感じられない。

「……わかった。負った罪の罰は必ず遂行する」

 思いを全身でぶつけられ、クロザは静かにそれだけを言って姿を消した。

「……はっ」

 春直はクロザが姿を消したことを確かめ、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。

 密かに一部始終を見守っていたエルハが時間を置いて声をかけるまで、ただひたすらに肩を震わせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る