第170話 唯文の友
「彼が来た日の午後、私も現地に行って同じものを確かめてきた。唯一違ったのは、医療関係者によって人々が集められて治療が行われていたということくらいか。集会所にいたのが全員ではなかったようで、奴から聞いたよりも人数が多かった。医者たちも困惑していたよ。人々は眠り、扉は失われた。……空には幾つもの割れ目ができて、この世の底を見せられているようだったよ」
しん、と静まり返った室内に、イズラの落ち着いて苦々しい声が響く。
「い、一週間も眠り続けて、人って大丈夫なんですか?」
「起きた時、体は相当だるいだろうな。私はそこまで寝続けた経験がないから何とも言えんが。……そうか、きみはホライの出身者なのか」
我が事のように焦燥した顔で尋ねてきたユーギに、イズラは合点のいった顔で呟いた。「心配して当然だな」と。ユーギに代わり、ジェイスがイズラに頷く。
「ええ。彼の妹や知人たちが眠ったままなのですよ」
「そう、か。そりゃ、辛かったな」
ぽんぽんと頭を撫でられ、ユーギの耳が立つ力を失った。そんな彼の肩をユキが軽く叩く。無言の激励が贈られた。
ジェイスは隣のユーギに視線を合わせ、尋ねた。
「ユーギ、覚えているだけでいい。村に扉があったかどうか、わからないかな?」
「……」
黙ったままのユーギの緊張をほぐそうとしてか、克臣が会話に入って来る。
「ホライは慌ただしく出て来ちまったからな。聖域や禁足地なんてものがありゃ、可能性は高い」
「確か、リドアスがある場所も、昔『神域』って呼ばれてたんですよね。扉が開いて、自然のエネルギーというか魔力の溜まり場でもあったから」
だからこそ、今でも扉が幾つか存在している。
「よく知ってるね、唯文」
「リン団長が、以前教えてくれたんです」
考え込むユーギがプレッシャーを感じないよう、克臣と唯文、ジェイスの三人は何となく会話を続けていた。それが右から左に流れていたユーギは、ふと「あ」と言って顔を上げた。
「あるよ、聖域。創造神を祀った祭壇って呼ばれる場所だ」
ユーギの言う通り、『祭壇』とはソディールの創造主と女神を祀る場のことを言う。岩で作られる場合もあれば、森の中の大木が神の降りる場とされることもある。ユーギによればホライのそれは、森一番の老木らしい。
「何百年も昔からある木だから、神様と知り合いかもしれないなんて話もある巨木。自然の魔力も強くて、周りは
「よし、テッカさんに調べてもらおう」
ジェイスはイズラの許可を得て、彼の水鏡を借りた。丁度村長の家にいたテッカと話が出来、彼が森の奥へ行ってくれるということで決まった。
「イズラさん、長居してすみませんでした」
「何の。久し振りに大勢と話せて楽しかったよ。……難しいだろうが、きみたちの力で目覚めさせてやってくれ」
唯文たちがイズラの家を辞す時、家主はそう言って笑った。
「はい」
「じゃあ、おじさん。元気で」
「あ、唯文!」
背を向けて歩き出した直後、イズラに呼び止められた唯文は足を止める。
「何ですか? おじさん」
「お前、来週体育祭なんだってな。文里が前に楽しそうに話してたぞ」
「―――っ」
息を呑み、唯文は目を見開いた。
勿論忘れていたわけではない。最近は、座学と体育祭の準備の比率が同じくらいになってきている。五十メートル走や借り物競争、ダンス、組体操などなど。一丸となって頑張って練習している。
「……」
唯文は何か言おうと口を開け閉めし、そして寂しそうに微笑んだ。
「おれ、多分出ないです」
「ん?」
「扉がなくなれば、おれは向こう側に行けませんから」
唯文は、ソディールで生きていくということは決めている。だが、高校生活を向こうで送りたかったという思いは捨て切れていなかった。それをひた隠しにして、顔を上げる。
「……そうか。なあ唯文、お前の父親が今傍にいれば、頭を撫でてやれるのにな」
「恥ずかしいこと、口走らないでくださいよ」
もう行きます。そう言って唯文は、やや乱暴な仕草でイズラに別れを告げた。
バタバタと仲間たちを追って行く足音が聞こえなくなった頃、イズラは苦笑いを漏らした。
「文里、お前の息子は強くなったな。そうならざるを得ないんだろうが。……けど、一生に一度しか叶えられないかもしれない願いを、叶えてやれればいいんだがな」
ユキとユーギが船の縁で周りを見ている。車窓のように飛んで行くことはないが、その景色の変化が楽しいのだろう。
「なあ、唯文」
「何です? 克臣さん」
リューフラからコラフトへの道のりは決して遠くはない。
丁度中間地点を過ぎた頃、突然克臣が唯文に話しかけた。
「お前、高校に友だちはいるのか?」
「まるでいないだろ、って口ぶりですね。いますよ、おれのことを日本人だと思ってるでしょうけど」
「そうか」
よかったな。そう言って笑う克臣から目を逸らし、唯文は進行方向に目をやった。先から吹きすさぶ風が、赤褐色の髪をもてあそぶ。
唯文はリンを真似して、日本の高校に通い学んでいる。
ソディールにいては出会うことのなかった人々との出会いが、唯文に大きな経験をもたらしている。自分自身が異質である世界で、頓珍漢な勘違いをする唯文を笑う人がいる一方で、丁寧に教えてくれる人もいる。秘密を抱えていると気付きながらもそれをあえて無視して同等に扱う人がいれば、あげつらって悪口を言う人もいる。
『お前、俺と違うとこあるよな』
『え……っと……』
『言わなくていいよ。無理に聞きたいわけじゃないし、友だちだし。そうだろ、唯文?』
『……
親友と呼べる日本人の少年は、唯文に笑いかけてくれた。
天也は、唯文が高校に入って初めてできた友人だ。コミュ力が高く明るい性格で、少し数学が苦手だ。その数学の躓きを唯文が教えたことをきっかけに、二人は仲良くなった。
反対に、英語が苦手な唯文に天也が教えることもある。既にソディールの言葉と日本語を使い分けている唯文には、英語がチンプンカンプンだった。
「……そう思うと、何で晶穂さんは最初から普通に話せたんでしょうか?」
「それを言うなら俺もだぞ、唯文」
船の最後尾に陣取る克臣が手を振って言う。
「そういえば。……おれは少し日本語に手間取ったんですよね」
首を傾げる唯文に、船を操縦するジェイスが笑いかけた。
「日本語とソディール語はよく似ている。違いは方言くらいの差じゃないかな」
「ああ、唯文はイントネーションに少し北のなまりが混ざることがあるから、そこだけ不自由したんじゃないか?」
「うん。だから使い分けるってほどのことはないよ。扉でつながった世界同士だしね。唯文は少なからず身構えただろうし、文化の違いも影響したんだろう。……克臣はお気楽だし、晶穂はそれらを気にする余裕もなかったから」
「おい、ジェイス。お気楽とはなんて言い草だ!」
「本当のことだろう?」
わーわーと賑やかな地上の船旅は、コラフトは見えてきたことで終わろうとしていた。何処にでもありそうな明るい林を入り口とした町は、何の変哲もないように唯文には見えた。
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