第163話 病の状況

 ジェイスたちと別れたエルハと春直は、一路オオバ村があった場所へと向かっていた。汽車の中で、エルハは旧村へと向かう目的について、春直に話し聞かせていた。

「春直、何故僕らがオオバへ向かっているか、わかる?」

「いえ……。見当もつきません」

 春直は首を横に振ると、エルハは質問を変えた。ガタガタと線路を走る車輪の音が響く。

「じゃあ、何故古来種の先祖はオオバを、血を残す場所に選んだんだろう?」

 エルハの言う血、とは『封血』のことである。神子の持つ聖血を封じる力を持つ血のことを、そう呼ぶ。オオバは古来種が神子の力を消すために作り出した封血を人の体に組み込んで、後世へ伝えていくために残された村の一つだった。

 その村は今、存在しない。封血をその身に残すのも、春直のみだ。

「……」

 エルハの更なる問いにも、春直は無言で首を横に振った。

 今でも時折、あの夜の惨劇を夢で見て悲鳴と共に跳び起きることがある。あの日、春直は帰るべき故郷を失った。

 眉をひそめ俯いてしまった春直に「ごめん」と謝り、エルハはゆっくりと言葉を続けた。

「あの場所が血を継承していくのに有益な、特別な場所だったからじゃないかと、僕は思っているんだ。何か隠し続けるべきものを内に抱えていたから、そこに特別な力を持つ人々を残し、そのどちらも隠そうとした」

「……隠し続けなきゃいけない、守るべきもの?」

 春直が顔を上げて首を傾げると、エルハは笑って言った。

「まあ、行って調べてみなきゃわからないけどね」

 汽車の汽笛が鳴った。オオバ村への最寄り駅であるアルジャに到着したのだ。荷物をまとめ、席を立つ。どの席からも慌ただしい気配がしていた。

「さあ、行こうか春直。リン団長に良い報告が出来るように」

「―――はい」

 エルハと春直はプラットホームへと降り、オオバ村へ向かって歩き始めた。




「使いの者が話した通り、それは三日前に起こった。しかし空が欠け始めたのは、それ以前のことだ」

 ジーランドのしゃがれた声は、しんと静まり返った室内に響く。

「七日は前のことだろうか。真夜中、ふと目が覚めて寝返りを打った際、遠くでパキンパキンと何かが割れるような音がした」

 この家にはジーランドと世話役兼秘書のフーリ、そしてその日は時折泊まりに来る孫のクリドがいた。まさかクリドがいたずらでもしているのかとも思ったが、彼はもう十四歳。そんなことをして喜ぶ年齢でもあるまい。

「気のせいだろうと再び眠った翌日は、特に何事もなく過ぎた。そうして三日前、コルダが空から落ちてくたという欠片を持って来たのだ。ああ、あの時の音はこれだったのかと納得したよ」

 嘆息したジーランドは、ちらりと奥の部屋に視線を向けた。彼の固く組まれた指は、かすかに震えている。

「……お気持ちは察するに余りある辛いことだったのでしょうね。そんな方に色々と質問させていただくことをお許しください」

 ジェイスが伏し目がちにそう口にすると、ジーランドは気にするなという風に手を振った。

「何でも聞きなさい。答えられることならば、答えよう」

「では、改めまして。……この事件の被害者は、今何人おられるのでしょう?」

「昨日までに四人。だが今日になってプラス五人。そしてフーリを入れて十人か」

「村全体に明かりがついていませんでしたが」

「村の住民と言っても、数は三十にも満たん。皆でここに集まっている方が対処しやすいだろうと判断した。ここにおらん者は、二階や別室におる」

 ここで質問者がジェイスから克臣に交代する。顔色の戻った克臣は、自分の前に座るユキの肩をぽんっと叩いた。

「こいつがコルダさんから聞いた話によると、別の村でも同じようなことがあったらしいですね。具体的に、それは何処なんです?」

「……ソイ湖の南にある小さな町だと、旅人から聞いたよ」

 その旅人は、青い目の狼人だったと言う。二十歳くらいの青年だと聞き、克臣とジェイスは顔を見合わせた。

「……エルク」

「だな」

 銀の華の伝説を教えてくれ、港で晶穂と春直を助けてくれた青年は、今も宝を探して旅を続けているらしい。

「おや、知り合いかい?」

「ええ、何度か世話になった知人です。……それでジーランドさん、ここに地図は?」

「ああ、あるよ。コルダ、済まないがそこの棚から地図を取ってくれ」

 銀の華への使者を務めた青年が、棚から取った地図を机の上に広げた。ソディールの大陸全域を記した紙の中から、ソイ湖を探し出す。

「あっ、ここだ」

 ユーギが指で示したソイ湖の南側を見る。そこにあった地名は、コラフトというものだった。

「ここは確かに小さな町です。水はけの良い土地で、果物の栽培が盛んだとおじさんから聞いたことがあります」

「そうか。イズラさんはソイ湖の東の町、リューフラの人だもんな」

 唯文の発言に対し、克臣は頷いた。「だけど」と唯文は口ごもる。

「だけど、最近そんな大変なことが起きてるなんて、聞いたこともありませんよ」

「もう解決したのか、それとも町の人々が全員倒れてしまったのか」

 調査が必要だな。そう呟くジェイスの背後で、激しく戸を叩く音がした。次いで乱暴に開けられる。ユーギが素っ頓狂な声を上げた。

「と、父さん!?」

 暗闇の中に立つ大男は、ユーギの父であり遠方調査員であるテッカだった。何処からか全力で走って来たのか、はーはーと荒い息をしてすぐには言葉を発することが出来ない。

「ユーギ、か。母さんとハルは何処にいる?」

「テッカさん、こちらです」

「ああ」

 ジェイスの背について部屋の奥へと進んだテッカの前に、ユーギとハルの母であるコノミが立ち上がった。小柄な狼人である彼女の目は、充血している。十分に睡眠などとれるはずもない。

「あなた。ハルが……ハルが……」

「コノミ。よく、頑張ったな」

 妻を労わる柔らかな笑みを浮かべ、テッカは彼女の頭を撫でてやった。それに安堵したのか、コノミの肩が震えている。枯れてしまったとも思われた涙が、顔を覆った指の間から幾筋も流れ落ちた。

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