第160話 眠りの病

 晶穂と真希が会っていたのと同じ頃、二号館のとある講義室には、スライドを準備するリンの姿があった。

 薄暗い室内でパソコンとスライドを交互に見ていたリンの耳に、ガラリと勢いよく開かれるドアの音が響く。同時に、大きなくしゃみも。

「――ッと。よお、リン」

 顔を上げたリンの目に、兄貴分二人の姿が映る。

「克臣さん、ジェイスさん。来られてたんですね」

「あれ以降、何処も落ち着いているようだからね。たまには気分転換も必要だろう」

「そうそう。サラとエルハ、あとは真希と明人も来てる。ユキたちも昼前には来ると思うぞ」

「そうなんですね」

 二人と会話をしつつ、ちらりと廊下が騒がしいなと思ったリンはちらりと目を向けた。案の定、女子学生の声が多めに聞こえる。

「あの銀髪の人、誰?」

「二人共超かっこいい!」

 ジェイスと克臣の容姿が注目の的らしい。あまりソディールと変わらない状況に、リンはげんなりとした。そのリンに気付き、克臣が苦笑する。

「悪いな、リン。こいつを連れてきたせいか、すっげえ視線感じながらここに来たんだ」

「わたしのせいだと言いたいのか? ……まあ、この髪がコスプレみたいに見えるのは申し訳ないけど。目立ち過ぎるみたいだから、ここに少しいてもいいかな?」

「それは、勿論。もうすぐ他のやつらとか教授も来ますけど」

 スライドの調整は完了し、あとは発表時間を待つばかりだ。リンの研究室から三人の発表が行われる。外部の経済学者や大学教授、学生も招いているため、なかなか大掛かりになっている。その分責任も緊張感も重いが、良い経験になりそうだ。

 リンが操作するパソコンの画面を覗き込み、ジェイスが口を開いた。

「今日はリンも発表するの?」

「いえ、俺は助手要因です。スライドを話に合わせて操るとか、やることはそれくらいなものです」

「それも緊張感がありそうだ……おや?」

 タッタッタ、と誰かがこちらに駆けて来る足音が聞えてきた。その小さな足音が、リンたちのいる講義室の前で止まった。とほぼ同時にドアが開かれる。

「いたっ。リンだ……リンさん!」

 克臣以上の勢いでドアを開けたのは、春直とユキだ。二人共きちんと帽子をかぶっている。彼らの後ろには、突然現れたちびっこたちに驚く研究室の面々の姿がある。

 リンは苦笑して、研究室のメンバーに軽く頭を下げた。

「すみません、こいつらは俺の知り合いです。どうした、二人共?」

 こっちに来いとリンが手招きしてやれば、春直とユキは走ってリンたちのもとへとやって来た。随分と気が逸っているようだ。克臣とジェイスは腰をかがめる。

 こちらを気にしつつも発表の準備に取り掛かった学生たちをしり目に、リンは春直たちに続きを促した。

「で、何がどうしてここにいる?」

「実は……」

 春直が息を整えるのを待ち、ユキは彼と共に叫んだ。

「「空が、落ちたんです!!」」

「「「……は?」」」

 リンたち年長組の頭上にクエスチョンマークが幾つも飛ぶ中、春直たちは時々話すのを交代しながら説明していく。

 曰く、今朝寝坊したユーギたちが唯文と春直に促されるままに出かける準備をしていた時のこと。急く言葉を落ち着かせるように、ユキが言う。

「ユーギの村から知らせが来たんだ」


 その青年は真っ青な顔をして、まくし立てた。

「ユーギ、ハルちゃんが目覚めないんだ! ハルちゃんだけじゃない。おれの母さんも、ケートじいも、雪成のヤツも。……空が落ちてきてから、おかしいんだ!」

「ちょ、待って。何言ってんのか、わかんないから! ……順番に」

 眠気は何処かへ吹っ飛び、慌ててユーギは青年に水を一杯渡した。それを一気飲みしてむせた後、青年は言葉を選びつつ話し出す。

「何処から話そうか……。村長に言われて村を飛び出して来たんだよ、おれ。そう、あれは三日前のことだ」

 青年が朝目覚めると、いつも香って来る朝食の匂いがしない。母親がまだ寝ているのかと不思議に思って台所を覗くと、自分の母親が倒れていたのだという。

「着替えてから、台所に立つまでは普段通りだったみたいなんだ。後で見たけど、寝室にはちゃんと着替えたパジャマが畳んであった。……まあ、そんな状況だったからすぐに医者を呼んだ。けど、同じ症状で呼ばれて医者はいなかったんだ」

 母親を寝室に運んだ後、医者がやって来て言った。彼は憔悴した様子だった。

「これで、三例目。こんな病気、見たことも聞いたこともないぞ……」

「さ、三例目?」

 医者に連れられて、青年はホライ村の村長のもとへと出向いた。そこで、ユーギの妹ハルと老人のケードも青年の母と同じ状況にあると知らされる。そして、その五分後のこと。

「ユーギ、雪成って覚えてるか? おれと同い年の狼人」

「うん、わかるよ。……あの人も?」

 ユーギが恐々こわごわ問うと、青年は頷いた。

「その症状が起こる前、患者や周辺には何か違うところはなかったんですか?」

 空っぽになったコップを再び水で満たし、唯文が尋ねる。青年が「それだ」と片手の人差し指を立てた。

「村長たちとも話してて話題に上ったけど、最近、昼間の晴れの時でも一瞬夜みたいに暗くなる怪現象が起こる村があるらしいって」

? 天気が悪くなるとかでなく?」

「そうだ。ホライから近いその村の状況はわからない。けれど、同じことが同日のホライでも起こった」

 青年は背負っていたリュックから、何かを取り出して見せた。

「その暗転直後、落ちてきたのが、この欠片だ」

 ユーギが手に取り、照明に透かしてみる。無色透明なガラスに似ている。欠片を返そうとすると、それは団長に渡すようにと青年は受け取らなかった。

 一口水を飲み、「それだけじゃない」と青年は前のめりになる。

「明るくなった直後、何処から落ちてきたのか確かめようと思って上を見たら、空が欠けていたんだ」

「欠けていた? 欠けていたってどういうことですか?」

 春直が首を捻ると、青年は後頭部をガシガシと掻いた。

「説明するのは難しいな。うーん……。例えるなら、窓ガラスにボールを思いっ切りあててひびが入ったような感じ、かな」

 詳しくは来てもらった方が早いから、出来るだけすぐに来てほしい。青年はそれだけ言うと、ホライ村へと戻って行った。村の仲間や母親が心配だったのだろう。

「――ということがあって、四人で走って来たんです!」

 春直が話を締め、リンたち三人は「うーん」と首を捻った。

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