第159話 学祭一日目

「晶穂ーーー!」

「サラ! こっちこっち」

 翌日の星丘祭ほしおかさい一日目は、晴天の空のもとで幕を開けた。

 今日から三日間は、講義や研究のことを忘れてお祭り騒ぎだ。実験中の学生はそういうわけにはいかないだろうが。

 開祭直後、正門に現れたのはサラとエルハだ。猫の耳を隠すため、サラは帽子をかぶっている。麦藁帽のようにつばの広いそれは、ワンピースと相まってよく似合っていた。

 二人の姿を見つけて晶穂が手を振ると、彼らは小走りにこちらへとやって来た。晶穂はサラと両手を合わせ、数時間後の再会を喜び合う。それから晶穂はエルハに向き直って挨拶をした。

「おはようございます。エルハさんも、来てくださってありがとうございます」

「おはよう。僕もサラも楽しみにしてたんだ」

 周りにもたくさんの来場者がいる。親子連れや学生たち、近所の主婦や男性たち。みんなそれぞれにワクワクした顔をしている。

 エルハの言葉に「うんうん」と頷いたサラは、くるりと見渡した。

「そういえば団……リンさんは?」

「発表の準備とかしてるみたい。サラとエルハさんによろしくって」

「屋台の売り子もするって聞いたよ。エルハさん、後で見に行こうね!」

「笑顔を貼りつけてやるんだろうな。団長も大変だね」

 しみじみと言うエルハに苦笑いを返し、晶穂は二人を総合受付に連れて行った。ここでは学祭のパンフレットを受け取ることが出来る他、落とし物の問い合わせやインフォメーションセンターの役割も兼ねている。何か困ったことがあれば、ここを訪ねればいい。そんな説明をしつつ、晶穂は一冊のパンフレットを頼んだ。

 受付の女の子から受け取ったパンフレットをめくりながら、サラが感嘆の声を上げた。

「うっわぁー、たくさん展示も屋台もあるんだね。このスタンプラリーとか謎解きゲームとか、ユキたちが喜びそう」

「そう、みんな趣向を凝らして準備してたから。……と。そういえばユキやユーギは一緒じゃなかったんですか?」

 今日は休日だ。昨晩ユーギは「明日はみんなで押しかけるから! 楽しみだなあ」と満面の笑みで言っていたのに。晶穂がそう尋ねると、エルハが応じた。

「ユーギとユキが寝坊したんだよ。楽しみ過ぎて夜更かししたらしくてね。唯文と春直が後から連れてくるって言ってたよ」

「ふふっ。あの四人は本当に仲良しですね」

 きっとああだこうだと言いながら、賑やかにやって来ることだろう。ユーギと春直は帽子を忘れないでもらいたい。

 唯文は「犬塚唯文」という名で日本の高校に通っているから、耳としっぽを隠すすべは心得ている。しかしユーギと春直には帽子必須だ。忘れてこないことを祈ろう。

 興味のある展示から一つずつ見て行くという二人と別れ、晶穂は自身のゼミの展示会場へと足を向けた。


 五号館にある講義室を展示会場にしている晶穂のゼミは、男女四人ずつの計八名である。その八人で三日間の午前と午後のシフトを作成し、会場の当番をするのだ。

 晶穂は初日の午前と二日目の午後に入っている。午前は二人、午後は三人体制だ。

 学祭が始まってあまり時間は経っていないが、既に何人かの来場者がいるらしい。

 小学生くらいの子どもを二人連れたお母さんが、興味深そうに展示を見てくれている。子どもたちはクイズを解き飽きたのか、机の上に置かれたお菓子をつまんでいた。

「三咲さん、おはよう」

 講義室を覗いて客入りにほっとしていた晶穂に、中で展示案内をしていた女子学生が話しかけてきた。同じゼミの佐藤という眼鏡女子だ。少し時間に遅れる旨は伝えてあったため、穏やかな小声で話す。

「うん、おはよう佐藤さん。先にやっててくれてありがとう」

「いいよ。お友だちの案内でしょ? 私も明日は友だちが来るし、気持ちわかる」

 二人でふふっと笑い合い、佐藤は会場内を晶穂に任せて廊下の受付席へと移動した。

 しばらくして子連れの女性が退出し、静まる室内。窓から外の様子を見れば、開場直後よりもたくさんの人々が正門周辺や中庭に集まっているのがわかった。屋台も長い列が出来ており、盛況そうだ。

(午後は体が空くから、屋台を見に行こうかな。それから手芸部の体験教室に行って、リンの様子を……)

「晶穂ちゃん!」

「えっ」

 これからの予定を立てるのに頭をいっぱいにしていた晶穂は、後ろからポンッと肩を叩かれてビクリと体を震わせた。振り向いて、犯人を見る。

「び……びっくりしましたよ、真希まきさぁん!」

「ふふっ、ごめんね?」

 いたずらっぽい笑みを浮かべた真希の腕の中では、息子の明人あきとが大人しく眠っている。晶穂はその穏やかな寝顔に癒されつつ、真希の夫の姿を探した。

「明人くんと一緒なんですね。克臣さんは……」

「あの人も来てるわよ。リンくんの様子を見に行くっていうから、この校舎の外で二手に別れたの」

「そうだったんですね。ゆっくり見て行ってください。説明もしますよ」

「ありがとう。そうさせてもらうわ」

 大人しく眠っている明人の頭を愛しげに撫でた真希を連れ、晶穂は『源氏物語』の展示の前へと歩いて行った。

『源氏物語』と言えば、平安時代を代表する女流作家であり中宮の教育係でもあった紫式部の作品だと言われている。『宇治十帖』は彼女の娘が書いたのだとか異論もあるが、その物語が現代まで伝わっているということ自体が、偉業だと思われる。

 晶穂は真希に光源氏と出会って恋をしていく女性たちの説明をしつつ、彼女の質問にも答えていく。

 最後に用意されていたクイズに、真希は全問正解してみせた。かなり捻った問題もあったにもかかわらず、晶穂は素直に称賛した。

「すごいですね、真希さん!」

「ありがと。これでも趣味の一つは読書だから。わりと何でも読むのよ? でも最後の問題は、基礎知識がないと難しそうね」

「あれは、『源氏物語』を卒論のテーマにしている子の力作です。だから、ゼミのメンバーは説明されるまでわからなかった人が多かったんですよ」

「あらあら。でも、解いちゃった」

 最後に音符でもつきそうな口調で、真希は言った。

 真希には、クイズ全問正解者の特典である小冊子を手渡した。小冊子には、ゼミ生それぞれが書いた『源氏物語』や『伊勢物語』、『源平盛衰記』などの説明とコメント、更に簡単なクイズが載っている。

 それからお菓子のある机まで誘い、一緒に椅子に座る。次の来場者が来るまでなら、構わないだろう。

 リドアスでのことなど、世間話に花を咲かせた後、真希が思いついたように言った。

「あ。折角だし、わたしと克臣くんの思い出話とかしてもいい?」

「聞きたいです!」

「ふふ。じゃあ、簡単にね」

 今頃、克臣はくしゃみをしているかもしれない。

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