第155話 同僚のツッコミ

 トゥルルル……

「はい。海色文具、営業部の園田でございます。……はい、少々お待ちください」

 ラクターたちとの戦闘から、一週間が過ぎていた。克臣は相変わらず、文具メーカーの営業として日本で働いている。

 取引先からの求めに応じ、相手の会社を訪問する段取りをつけていた。メモ用紙を引き寄せ、再び受話器を耳にあてる。向こうの話を聞きながら、ボールペンを走らせた。

「……はい。それでしたら、明日の午後二時頃に伺います。ええ、お願い致します。では、失礼致します」

 カチャン。受話器を置いた時、丁度昼休みを告げる時計の音が鳴り響いた。昼休み中も仕事を進めたい者は、デスクで買って来ていたパンを食べたり弁当やカップラーメンのふたを開ける。そうでない者は社員食堂や休憩スペース、または外でランチを済ませて来る。

 普段外回りが多く外食しがちな克臣は、久し振りに真希特製の弁当を持って来ていた。食堂か何処かで食べようと席を立ちかけた時、同僚が声をかけてきた。

「お、園田も昼飯食いに行くのか?」

山岸やまぎし。今日は中だったんだな」

「そう、書類整理がたまっててさ。いやあ、参ったわ」

 笑いながら額をかくのは、同期の山岸という男だ。誰にでも愛想がよく、懐に入り込む才能を持つ男で、営業成績も良い。

 山岸は克臣の手元に弁当箱があるのを見止め、彼を拾い休憩スペースへと誘った。

 互いに弁当箱を広げ、自販機でお茶を買う。自前の水筒から飲んでも良いのだが、まだ長い昼の仕事中になくなってしまっては困る。

 山岸は弁当男子で、今日も早起きして弁当を作ったという。彼女とは料理教室で知り合って、休日は料理デートをしているとか。克臣はその話を耳にタコができるほど聞いている。

 サラダを口に運び、山岸は「そういえば」と克臣を見た。

「園田、お前先週の休み明け来なかっただろ。部長に、有給取って休み延長したって聞いたぞ」

「……その話か」

 夏季休暇後更に有給休暇を無理矢理取った克臣は、その理由を一人息子の明人が酷い夏風邪を引いたからだと届け出ている。それで部署内には話が通っているはずなのだ。

 内心ため息をつき、克臣は部長にしたのと同じ説明をする。

「だから理由は、息子の酷い夏風邪だ。熱が全然下がらなくて、ま……妻に外せない用事があったりしたから、急遽休みを貰ったんだよ。仕事に来なかったのは悪いと思ってるけど、何で今それを蒸し返すんだよ」

「うーん、そうなんだけどさ」

 休憩スペースのソファーに体を預け、山岸は呻る。しばらく考えをまとめるように目を閉じた後、腕を軽く組んで克臣の頬を指差した。

「その傷、どうしたんだよ。その頬の深めの切り傷」

「これか」

 絆創膏は、血が止まったタイミングではがしてしまった。サドワとの戦いの時、彼の伸びた爪が皮膚を切り裂いてできた切り傷。会社に復帰後、同僚や取引先の人に何度もその理由を聞かれた。その度に同じ言い訳を使って納得させている。

「お前にはまだ言ってなかったっけ? 息子がぐずって暴れた時、思いきり引っ掻かれたんだよ」

 明人が原因ではないが、引っ掻かれたという理由だけは間違っていない。大嘘はついていないはずだ。大抵はそれで納得し、同情までしてくれる人もいる。子どもを持つ人には「子どもって容赦ないよね」とこちらを労わってくれる人もいた。そこから子どもの話に発展することも何度かあった。

 だが山岸は、こちらを窺うような視線を向けてきた。

「子どもの力か、それ? それに園田、前には足の骨折ってきたことなかったか」

「よく覚えてんな。だけど、骨折じゃなくて捻挫だから」

 あの時は流石に誤魔化すのに苦労した。あれは狩人との戦いでの大怪我だったか。しかし骨は折っていない。あくまで捻挫だ。

「不慮の事故による負傷だ。終わったことだし、気にすんなよ」

 克臣は足をぶんぶんと振って回復をアピールする。それでも何か言いたげな山岸に続きを促すと、「こんな噂を聞いた」と言って、ハムときゅうりのサンドイッチを腹に収めた。

「園田が町中で突然消えたとか、大きな剣を振り回していたとか。まるでファンタジーみたいな話ばかりだ」

「へえ、よくできたストーリーだな。ウケるわ」

 あっはっはと腹を抱えて笑う克臣だが、内心は冷や汗ものだ。しかしそれを顔に出すわけにはいかない。

 から笑いした克臣に、山岸は「やっぱり噂は噂の域を出ないんだな」と一人で納得したらしく、一転して仕事中に出会った面白い人の話をしてくれた。

 やがて昼休み終了間近となり、山岸は一足お先にとデスクへ戻って行った。

 克臣は山岸がいなくなってから、残っていたペットボトルのお茶を飲み干し、はあ、と息をつく。

「……そろそろ、考え時かな」

 ペットボトルのふたを閉め、ごみ箱に捨てる。

 今回はこれで誤魔化せたが、別の誰かが克臣の何かを目撃していないという保証はない。自分は何と言われようと構わないが、真希と明人が後ろ指をさされたり奇異な目で見られる状況だけはごめんだ。

 克臣は数回深呼吸すると、弁当箱を包んだ。それを手に持ち、表情を改めて仕事場へと戻って行く。自分のデスクに着いた時、時計の音が鳴った。

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