第154話 心配してた

 コンコン

 遠慮がちに部屋の戸が叩かれたのは、夜の十時頃のこと。それは、リンたち三人が姿を消して三日目だった。

 晶穂はレポート課題を書き終わり、そろそろ寝ようかと伸びをした。

「……誰?」

 こんな夜更けに部屋を訪ねて来る人はなかなかいない。いつも突然現れるサラも、寝入っているかもしれない。

 恐る恐る、晶穂は「はい」と返事をして戸を開けた。暗い廊下に、人が佇んでいる。その人は、薄暗い照明の中であっても、晶穂の心臓を一瞬だけ止めた。

 少しほこりや血のにおいが漂う中、待ち焦がれた声が吐き出される。

「ただいま、晶穂」

「―――っ。おかえりなさい、リン」

 感極まり、晶穂の目頭が熱くなる。ぼやける視界で精一杯リンの姿を確かめようと、目を開く。リンは全身に怪我をしているが、全て浅いものに見えた。それも魔種の回復力の賜物かもしれないが。

 泣くのを我慢している晶穂の頭に触れ、リンは困ったように笑った。

「ふっ。泣きそうになってんじゃねえか。約束したんだし、帰って来ただろ?」

「ど、どれだけ心配したとっ。克臣さんとジェイスさんは……?」

「心配させて悪かった。二人も、一緒に帰って来た。今は、それぞれの部屋で休んでるはずだ」

 リンは指で晶穂の零れ落ちそうな涙を拭う。そして、首から下げていた紐を外して晶穂に手渡した。水晶があった部分には、金属の装飾だけが残っている。

 指で羽の装飾を撫で、リンは呟いた。

「これのお蔭で、あいつを助けられた」

「……役に立てたなら、よかった」

「水晶はなくなってしまったけど、代わりにケルタの魂を、逝くべき場所に送ることが出来たよ。……ありがとな」

 リンは柔らかく、それでいて悲しみを帯びた笑みを浮かべる。そして、自らの額を晶穂のそれにこつんとぶつけた。

「――――ッ」

 リンの不意の笑みと行動に、晶穂は言葉を失った。のみならず、心臓が悲鳴を上げた。

 けれど、リンの体がわずかに震えていることに気付いて、晶穂はおずおずと手を伸ばした。そして、リンの背中に手を回す。優しく、その体を包み込むように。




 翌日。リンとジェイスそして克臣は、人々に囲まれていた。

 当然こうなるであろうことは、三人共わかっていたのだ。光の洞窟での戦いから帰って来た直後、再び消えたのだから。銀の華のメンバーたちが彼らの行方を心配するのは、当たり前のこと。

 耳をピンと立て、眉を上げているのはユーギだ。

「リン団長。もう、何処に行ってたの? みんな心配してたんだよ!」

「夕食にも来ないし。食堂のおれと春直を覗いたのは知ってましたけど、その後いなくなったし。ユキが泣きそうな顔してましたよ」

「ちょ、唯文兄。恥ずかしいからばらさないで!」

「出て行った理由だけは晶穂さん問い詰めてわかりましたけど、みんな心配するんですから、黙っていなくならないでください!」

 最期に春直が目を潤ませて訴え、リンは「ごめん」と素直に頭を下げた。

「……俺の我儘でみんなに心配かけたのは、よくわかってるつもりだ。過去に亡くした友人を助けるためとはいえ、黙って留守にするのはもうやめるよ」

「わたしたちも、勝手にいなくなって申し訳なかった」

「ああ、悪かったな。……そんな泣きそうな顔するなよ、ユーギ。置いて行かれて寂しかったのか?」

「ち、違わないけど、からかわないでよね!」

 克臣とユーギのじゃれ合いで場が和み、何となくその場はお開きとなった。

 リンは食堂に入る前に出会った文里とエルハ、サラにもほっとした顔をされ、自分の衝動のままに動くことで起きる事柄に対し、改めて反省した。


 ようやく問い詰めの波が去り、ほっと息をつく。その後何となく残ったリンと克臣、ジェイス、そして四人の年少組が集まって座っていた。彼らから少し離れた席には、晶穂とサラがいて何か話している。

「はあ、長かった」

 遅い朝食のおにぎりと味噌汁を食べ終えた克臣が、お盆を返して席に戻って来た直後に突っ伏した。普段着ではなくきちんとワイシャツにズボン姿だ。そのシャツにしわが寄る。隣でコーヒーを飲んでいたジェイスが首を傾げる。

「さっきのみんなの話がかい? 克臣、そんなこと言ったら真希ちゃんに叱られるよ」

「……昨日の夜、いやっていうほど叱られて、泣かれたよ」

 げっそりという形容詞がよく似合う表情で呟く克臣に、そりゃあそうだろうね、とジェイスが苦笑する。

「血と汗と汚れでボロボロになって帰って来てしまったからね。洞窟でのこともろくに報告せずに出て来たんじゃないか、克臣?」

「ぐっ……。そうだな」

 口ごもる克臣に、ジェイスは自嘲の笑みを返す。

「まあ、事の発端はわたしの身勝手な行動だから、わたしは人のことを何も言えないけどね」

「でも本当に、真っ白になりましたね、髪」

 二人の会話を何となく聞いていた春直が、ポツリと呟く。それにジェイスは「そうだね」と応じる。

「正直、自分でも違和感はある。だけど、ここ数日で大分慣れたかな」

 黒から白に変わった髪の先を指に絡め、ジェイスは笑って見せた。瞳の色は前のものに近いが、橙色の割合が増したようだ。

 そして戦闘態勢に入った時、瞳は輝きを増す。その時の魔力は今までの比ではない。鳥人の力を目覚めさせたジェイスの力は、常人には届かない域に達する可能性を秘めていそうだ。

「それでも、わたしはわたしのままだから。心配はいらないよ」

「はい」

 ジェイスの気配からは、あの洞窟に縛られていた霊のものは感じられない。春直はほっと肩の力を抜いた。

 ずずずと緑茶を飲み干し、克臣は革の鞄を持って立ち上がった。青いネクタイを締めて紺のスーツを身に着けた克臣に、ユーギが尋ねる。

「克臣さん、仕事?」

「ああ。休み明けから有給使っちまったから、少し頑張んないとな」

「お前ももう独り身じゃないんだから、家族のこともちゃんと考えろよ」

 少し呆れた風のジェイスに言われ、克臣は一瞬表情を改めた。

「……わかってる」

 行ってきます。そう言って食堂を出て行った克臣を見送り、リンは首を傾げた。向かいに座っているジェイスに尋ねる。

「克臣さん、何か考えてる風でしたね?」

「そうだね。……こっちにいる方が多いし、真希ちゃんたちも移り住んでるし、色々と思うことはあるんだろうな」

 ジェイスは何かを知っているのか、わずかに目を細めた。

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