第153話 いつか、また
ピシッ
光が像を包み込んだと思った途端、石像に幾つものヒビが入る。
「わ、わしはまだ何もしとらんぞ!?」
ようやく空気の
その間にも、像のヒビは広がっていく。全体くまなくヒビに覆われた時、
「―――ケルタッ」
パァンと音をたて、ケルタの像は砕け散った。思わず手を伸ばしたリンの手のひらに落ちた欠片は、跡形もなく崩れて消えていく。ガクリと膝が砕け、リンはその場に座り込んだ。視線を床に落とし、悔しさを滲ませる。
「待ってくれ。俺はまだ……」
「顔を上げるんだ、リン」
「ジェイスさ……っ」
肩に置かれたジェイスの大きな手に反応を返そうと頭を上げたリンの目は、あるものを見て凍り付いてしまった。この場で冷静なのはジェイスと彼だけだ。克臣も目を丸くしている。
彼は座り込んだリンを見下ろし、いたずらっぽい笑みを浮かべている。
「全く。何やってんだよ、リン」
「…………ケルタ?」
「そうだよ、リン。別人に見えるかい? まあ、年齢は詐称してるけどね」
「嘘だろ。だってお前は……」
「あの老人に殺されたはずだろうって?」
ニコニコと笑っているのは、リンが最後に見たケルタよりも十歳分は成長した姿だ。つまり、今の自分とそう変わらない年恰好。
リンが立ち上がると、数センチだけケルタの方が高かった。
ぴょこんと跳ねた黒髪は、幼い頃と変わっていない。少し気の強そうな目も。
ケルタは腰に両手をあて、鼻を鳴らした。そして人差し指を伸ばして、リンの胸元を指す。
「その水晶のお蔭だ」
「これの?」
「ああ。それを創った人は、余程力の強い人なんだろうな。お前の願いが叶うことを、そしてお前が無事に帰って来ることを切に願っていることがわかる。痛いほど。……温かい、力だ」
「そ……そうか」
「何でリンが照れるんだよ」
自分のことのようになぜか感じて目を逸らしてしまったリンに、ケルタがツッコミを入れる。慌てて反論を試みるリンを制し、ケルタは少し真面目な顔をして口を開いた。
「――この力がなけりゃ、ぼくはいつか魂も消滅させていただろうね。けど、心残りがあって、意思をこの世に残してた。それと共鳴した水晶の力が、ここにぼくの姿を現してくれた。……あちらへ逝く前に、リンに会えてよかった。そして、ジェイスさんと克臣さんにも」
ケルタはリンの後ろに立っていたジェイスと克臣に視線を移す。にこりと微笑んだ。ジェイスと克臣も、それに応じた。
「わたしたちとは、ほぼ初対面だね。幼いリンと仲良くしてくれて、ありがとう」
「俺たちは縁があるんだ。……何処かで、また会えるだろうさ」
「はい。……ところで、リン」
「何だ? 言い残したことがあるなら言ってくれ」
こてん、と首を傾げたケルタに、リンは疑問符で応じた。
少しずつ、ケルタの体が透けている気がする。この世での時間は残されていないのかもしれない。リンの焦りを知ってか知らずか、ケルタの動きはやけに緩慢に思えた。
「……ぼく、あいつを向こうに連れて行こうか? この世に生きていても、害しかないだろ」
「ひっ……」
「お前、意外と毒吐くんだな。ケルタ」
ケルタの言葉に潰れたカエルのような声を上げたラクターとは対照的に、リンは苦笑を漏らして首を横に振った。
「いや、いい。後始末は奴がしてくれるらしいからな」
ちらりと目を向ければ、オドアがラクターの体を風で巻いているところだった。ラクターは何か叫んでいるようだったが、風が強過ぎて全く聞こえない。
ラクターを包んでいた風と共に、オドアとその部下であるサドワとヒスキの姿もかき消えた。
しん、と静まり返った部屋で、リンはケルタと再び向かい合う。また、ケルタの姿が薄くなった。
「……」
何も言えずにいるリンを見つめていたケルタは、くすりと微笑んだ。
「泣くなよ、リン」
「な、泣いてない……ッ」
そ、とケルタの指がリンの目元を拭う。「泣いてるだろ」と歯を見せ笑われ、リンは目を閉じて深呼吸をした。再び目を開けても、ケルタはそこにいる。
そうして、リンは素直な気持ちを吐露した。今しか彼に届かせられる時間はない。
「寂しいんだよ、ケルタ。十年経ってようやく会えたのに。……永遠の別れになるなんてな」
「ぼくも、十年待ってたよ。リンが会いに来てくれるのを。……もし一目でも会えたなら、石像の中で魂ごと封じられたまま、いつか消えてしまうまでそのままで良いとまで思ってた。けど……」
ケルタはリンの胸元に光る水晶に顔を近付け、表情を崩した。
「けど、この力のお蔭でリンと話してから、行くべき所へ行ける。……しばしのお別れだよ、リン」
少しずつ少しずつ、ケルタが透明になっていく。光の粒が、ケルタから溢れ出す。
タイムリミットまで、あと少し。
ここで、ケルタが爆弾を投下した。
「それをくれた人。リンの大切な、一番大切な人なんだろ?」
「なっ……」
ケルタの指摘に顔を真っ赤にして口ごもるリンだったが、その態度が答えになっているとは気付かない。
「ははっ。変わったな、リン。その人のこと、絶対手離すなよ」
「……ああ。勿論だ」
ケルタの姿はほとんど消えている。残っているのは、いたずらっぽい笑みを浮かべる顔だけだ。くすんだ赤色の双眸が、楽しげに細められる。
克臣もジェイスも黙ったまま、二人を見守っている。
「その人の名は?」
「晶穂」
「じゃあ、その晶穂にも宜しく言っといてくれ」
「ああ」
じゃあな。その言葉と共に、ケルタの姿は完全に消えた。心からの楽しげな笑顔を残して。
「───っ、ケルタ!」
リンは手を伸ばし、ケルタを抱き締めようとした。しかしその手が掴めたのは、何もない空間だけだった。
パリンッ
水晶が音をたてて砕け散る。
「生まれ変わったら、お前の傍に行ってやる。──だから泣くなよ、リン」
そんなケルタの声が、耳に残った気がした。
リンは下を向き、拳を握り締めて涙に耐えている。彼の頭を克臣が撫で、抱き締めるように背中に手を回すのはジェイスだ。
普段のリンなら嫌がる子ども扱いだったが、今のリンに抵抗する力はなかった。
それどころか、今必要な温もりだ。
しばしの間、誰も一言も発しなかった。
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