第152話 風を制する
光で風を倒すのは難しい。リンは剣を構え、オドアを正面に見据えた。
「はっ」
オドアによって鎌鼬が勢いよく放たれる。リンはそれを避けることなく、目を閉じた。
瞬間、音が消える。
自分に向かって来る風の流れが、明確な道筋となって感じられる。
殺意を持つ気配。リンはゆっくりにも見える動作で剣を頭上に掲げるように持ち上げ、一気に振り下ろした。太刀筋は、風を捕らえる。
「がっ……」
リンが悲鳴のような呻き声を聞いて目を開けると、ほとんど傷を与えられていなかったオドアが、両足を踏み締めて横腹を押さえていた。
どうやらリンは、鎌鼬をカウンターで返したらしい。らしい、というのは、自覚がなかったからだ。
ちらり、とジェイスの創った箱に目をやった。そこにいるのは、傲慢不遜な態度を強調していたとは思えないほど小さくなり、青ざめている男。今まで自らの手を汚すことなく、コレクションを集めてきたのだろう。
リンはオドアの前に立つと、切っ先を彼の喉元に向けた。まだ少し息は上がっているが、ある程度の冷静さを取り戻している。
憎々しげに目を上げるオドアに臆することなく、リンはその目を見つめ返す。
「……殺せ」
オドアは静かに、冷静とも取れる声色でそう言った。しかしリンは、首を縦に振らない。
「殺さない。お前を殺しても、ラクターを殺しても、ケルタは戻って来ないからな」
「だが、第二、第三の犠牲者を生むことはなくなるかもしれんぞ」
少しだけ感情を表に出したオドアは、口端をわずかに吊り上げた。リンはその問いに、素直に頷いてみせる。
「確かにな。……だが、同様のことを考える奴が、別に出て来ないとも限らない。鼬ごっこだ。それに」
箱に目を向け、リンは一瞬口を閉ざした。
「それに、お前は依頼主を選べばいい。これまでどれほどの依頼を受けてきたのか知らないが、命を軽視する仕事は、今後一切やめてもらおう」
「……もし、やめなければ?」
「当然、次こそ完全に潰す」
だから、今はこの場を去れ。そういうリンの意思を感じ取ったのか、オドアは再び無表情となり、喉に突き付けられていた剣の先を指二本で挟みどかせた。
素直に剣を引いたリンに、オドアは「いいだろう」と言ってみせる。
「丁度、他の戦いも決着がつきかけているようだ。……私の部下をあれほどまでに疲労させる者の相手は、今後一切御免被りたいものだな」
「え……」
ずささっ
リンの両側から、勢いよく何かがオドアの方へと投げ込まれた。オドアの風によって柔らかく受け止められたのは、サドワとヒスキ。二人は呻き声を上げながら、動けずにいるようだ。
背後からパンパンッと手の汚れを払うような音がする。リンが振り返ると、ジェイスと克臣が仁王立ちになっていた。二人共顔や腕、足に血がにじんでいるが、大怪我をしてはいないようだ。
「待たせたな、リン」
「片付けるのに手間がかかったよ。けど、少しは牽制になったんじゃないかな」
「……相変わらず、ぎりぎりまでやりますね」
「流石に本気出さないと、こっちが殺られるからね」
ジェイスは白銀の髪をかき上げた。普段後ろでまとめている髪は乱れ、肩につきそうな長さで揺れている。空間を囲うという力を使ったまま戦い続ける力を持っている彼は、鳥人の力を余すことなく使っているということだろう。
それに四界種としての力が目覚めればどうなるのか、リンは正直怖かった。
そもそも『四界種』とは何なのか、ということすら不明なのだから。
思考が逸れた。今やるべきことをしなければ。
リンは一歩前に出て、オドアを見下ろす。
「俺たちが言いたいことは、理解しているな?」
「ふっ……。ああ、消えよう」
風で二人の部下を持ち上げて去ろうとしたオドアに、待ったをかけたのはラクターだった。
「ま、待て。わ、わしをここへ置いて去るというのか!? わしは依頼主だぞ」
「安心しろ、置いて行きはしない。……私が、償いの機会をやろう」
罪人の行き場所ならば、幾らでも心当たりがある。自分を棚に上げてそう口にするオドアは、心なしか楽しげだ。
オドアは顔を白くするラクターから目を逸らすと、ジェイスに目で問いかけた。
「……ケルタの石化を解くと約定するのなら、連れて行け」
「良いだろう」
ラクターではなくオドアが応じ、四角い箱に向かって歩いて行く。二人が何か話している気配があった。ラクターは抵抗を試みたようだが、オドアに言い負かされたらしい。
ジェイスを振り返り、オドアが頷く。ジェイスはパチンと指を鳴らした。ラクターを閉じ込めていた箱を消去したのだ。
ようやく自由を手に入れたラクターがほっと息をついている。しかしその襟首はオドアに掴まれているが。
これでケルタを解放出来る。そう、リンが思った時だった。
「――熱ッ」
リンは悲鳴を上げた。克臣とジェイスが振り返れば、リンの胸元が白く輝いている。
「な、なんだそりゃ」
「リン、それは……」
三人が注目する中、その輝きの正体であった水晶の光は、まっすぐにケルタの像へと向かって放たれた。
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