第149話 仇の男

 柔らかく、音もなく着地し、リンは「着いた」と呟いた。

 目の前には重厚な鉄の扉がある。その奥に、強力な魔力の存在を感じる。リンは一つ息をつくと、そっとそっと扉に手を触れた。

 ギギ……

 何かを認証したかのように、扉は自動で開いた。入って来い、ということだろうか。

「……」

 日の光の入らない室内は暗く、部屋の中全てを見ることは叶わない。けれど、ここに元凶がいることは肌で感じる。

 リンは戦闘態勢を崩さないまま、慎重な足取りで暗室に足を踏み入れた。


 目が暗闇に慣れるためには少し時間がかかる。リンは感覚を研ぎ澄ませ、不意の事態に備えた。

 耳を澄ませると、人の気配がする。その人は音をたてず、息を殺している。どうやら目当ての人物ではないようだ。

「……誰だ、そこにいるのは?」

「……!」

 びくっと体を震わせる気配。次いでジャラジャラという鎖を引きずる音が近付いて来る。その人はリンを認めて息を呑んだ。

「あんた、銀の華の」

 徐々に目が慣れ、目の前の人物の顔が判別出来るようになってきた。自分を見上げる小柄な姿に、リンは目を見開く。

 体の底から湧き上がる感情を抑え込み、リンは彼女と相対した。

 リンの前に座り込んで足を投げ出したのは、鉄鎖につながれ自由に身動きが取れないストラだった。両手両足が不自由にされているだけではない。顔にも体にもたくさんの傷が刻まれている。そんな相手に攻撃を仕掛けて、何になるというのか。

「……ストラ、といったな」

 何度か深呼吸した後、リンは冷静さを少し取り戻して尋ねた。フン、と鼻を鳴らし、ストラは「そうだよ」と投げやりに答える。

「あんたと今、争うつもりはない。……叔父さんたちの代わりにお前が来たってことは、そういうことか」

「何か言ったか?」

「いいや。お前が聞く必要はないことだよ」

 一瞬、ストラの瞳が揺れたように見えた。しかしストラはすぐに表情を戻し、引きつった笑みを浮かべる。

「あんたが何を目的にここに来たのは知ってるよ、リン団長。……気を付けるんだね。自由を奪われないように」

「それは、どういう……っ」

 ひゅっと風を切る音がリンのすぐ傍で鳴った。次いで、何かを押し潰すような、何かに突進してぶつかったようなドスッという音が響く。

「くっ……」

 ストラの腹をさすまたで壁に押さえつけるかのように、石の半輪が彼女の体を拘束していた。それに驚く間もなくリンが背後に気配を感じて振り向くと、先程までいなかったはずの誰かがこちらを見つめている。

 その威圧感に、リンは思わず息を呑んだ。

「……誰だ?」

「『誰だ』とはご挨拶だな、銀の華のリン。わしの名は、ラクター・レスタ・ジール。お初にお目にかかる、な」

 暗がりから現れたのは、還暦を越えた男だ。白髪交じりだが豊かな頭、大ぶりの宝石をはめた指輪が光るごつい指が目を引く。着る物の上等さから、彼の男が富豪であることは明らかだ。

 そしてラクターの目は高貴な色とされる紫色をしているが、それは濁っているようにリンには感じられた。

「貴様がラクター。ケルタを奪い、殺したのはお前か」

「ああ、あの子か。彼はわしのお気に入りでな。……この部屋の中央に立っているよ」

 ラクターの口元は笑っているが、目は一切笑っていない。

 ラクターが指し示す方を見ると、ストラの向こう側に何かの石像が立っていることがわかった。ラクターが壁にあるスイッチを押す。突如明るくなった室内で、リンは眩しさのあまり目を閉じた。

 そっと目を開けると、不自然に心臓が鼓動する。信じられないと信じたくないという感情が荒れ狂う中、リンはを仰ぎ見た。

「――

 絶望に打ちひしがれる、という感覚はこれに近いものだろうか。

 そこにあったのは、色彩と生命を失った少年の石像。両の拳を握り締め、目の前の何かを睨みつけて立っている。少女と見紛みまがう少年は、確かに十年前、行方不明になったケルタであった。

「き、さま……ッ」

「再会の挨拶は済んだようだな」

「ッ。ざけんなよ、テメッ……!」

 振り向きざまにラクターを殴りつけようとしたリンだったが、その拳を受け止める陰に気付いて動きを止めた。

「……サドワ」

「よお、久し振りだな。わりぃがコイツは依頼人なんでな。簡単に殺させるわけにはいかない」

 見ればサドワの隣にはヒスキが立ち、ラクターの後ろには見たことのない壮年の男が腕を組んで立っている。後ろに立っているにもかかわらず、彼には隙が無い。ラクターを害そうとすれば瞬時に防がれるだろう。

「主、りますか?」

 サドワがそう尋ねたのは、壮年の男だった。ならば彼がサドワとヒスキの主であり、ラクターの依頼を受けた本人なのだろう。

「構わん」

 呟くように発せられた言葉は、命令だ。その命が発せられたのとほぼ同時に、リンは後方へ跳んだ。彼がいた場所には、サドワが手にする得物の刃が突き刺さっていた。

 ヒュッと風を切る音がして、サドワが刃を収める。それは細く頑強な棒の両端に刃のついた、彼独特の武器だ。

「ちっ」

 舌打ちしたサドワの後ろから無言のヒスキが跳び上がる。その手には雷撃が握られていた。

「ここで、友人と共に眠れ」

「断る」

 放たれた雷を両断し、リンははっきりと答えた。死ぬために来たのではない。

「俺は、今は亡き友を助けるために、そして、大切な仲間を失わないためにここへ来た」

 シャリンと胸元の水晶が揺れる。リンは剣の切っ先をラクターの心臓にえた。

「――俺が用があるのは、あいつだけだ」

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