第148話 懐かしい風
その暴風は、家具を薙ぎ倒した。
「何だっ!?」
「くっ。室内に暴風だと!」
「お前ら、飛ばされるなよ!」
グーリスたちの焦った叫び声が交差する中、ジェイスは無風の中にいた。己が繭のように風に包まれているのだとわかる。ジェイスだけではない。克臣もリンも。
これは、またとない好機だ。
「リンッ」
「は、はい」
「行くんだ。わたしたちもすぐに追う」
「行け、リン!」
背中を押され、リンはつんのめるようにして駆け出した。風に行く手を遮られるかと思ったが、風は阻むどころか道を作り、壁となった。風に抗いリンを邪魔しようとしたガイは、激しく重い風圧にさらされて近付くことさえ叶わない。
風に導かれるように、リンは邸の奥へと消えた。彼と共に風も落ち着き、無風となる。
克臣が立っている場所の頭上には豪奢な装飾の施されたシャンデリアが吊るされていたはずだが、既に床に落ちて無残な姿となっている。まるで嵐か台風、強盗に襲われた後のような惨状に、克臣はしばし言葉を失った。
「誰が、一体……?」
わずかに口から零れ落ちたのは、そんな言葉とかすれ声だけ。見ればグーリスたちはそれぞれ壁や床に叩きつけられて呻いている。
「……ジェイス」
「ああ、行こうか」
戦闘不能にしたわけではないから、最上階で再び彼らと戦うこともあり得る。しかし風によるダメージを受けて呻いたり気を失ったりしている相手に、これ以上の攻撃を与えるのは戦闘ではない。ただの暴力であり、いじめだ。
それに二人はここで立ち止まってはいられない。先に進んだリンの後を追わなくては。
ジェイスと克臣は互いに顔を見合わせ頷くと、荒らされた玄関ホールを背に一路走り出した。
(間違いない。あの風はケルタの力だ。……彼はもう生きていないはずなのに)
命尽きた後、己の意志で力をこの世に残すことは可能なのだろうか。いや、可能だ。それをやったのが、一人だけいる。ダクトである。ではケルタも、同様に彷徨っているのか?
そんな疑問の答えを見いだせないまま、リンは長い廊下をひた走る。途中、何度か刺客に襲われたが、グーリスたちよりも弱く、リンは杖を一振りするだけで彼らを吹き飛ばした。
廊下には両側に幾つもの扉があったが、どれもリンの関心を引くものはない。巨大な魔力は、ここにはないのだから。
「この上、か」
上がった息を整え、リンは目を上に向ける。
廊下の終着点にあったのは、螺旋状にどこまでも続きそうな踊り場のない階段。これを一段一段上って行くのは、気が遠くなりそうだ。
リンはごくりとのどを鳴らすと、魔種の翼を広げた。
からん、と胸元で音が鳴る。晶穂がお守りにと持たせてくれた水晶だ。
ふっ、とリンの表情が和らぐ。これを首にかけてくれた少女は今にも泣きそうな顔をして、それでもリンを送り出した。彼女の思いに応えるためにも、目的を達して帰らなければならない。三人、一人も欠けずに。
リンは水晶を握り締めた後、床を蹴った。ぐん、とスピードを上げて最上階を目指す。
つむじ風のように突き進めば、目的の階に着くのにそれ程の時はいらなかった。
十年以上前、リンはアラストにある公園で一人の少年と出会った。
弟以外に友人を作らず読書ばかりしていたリンは、その日も公園の隅にある木の根元に座って本を読んでいた。
「ねえ、きみはあそばないの?」
初めて声をかけられ、リンは目を丸くした。
リンが自警団銀の華の団長の息子であることは、アラストではよく知られている。銀の華に尊敬と共に畏怖の念を持つ人は多く、その感情は子どもにも伝わっていた。団長の息子であるリンは好奇の対象であるが、誰かに遊びに誘われたことはほぼ皆無だった。
だから、本当に驚いた。
「きみ、だれ?」
目を丸くしたまま尋ねた問いに、相手の少年はにっこりと笑って答えてくれた。
「ぼく? ぼくはケルタ。さいきんアラストにひっこしてきたんだ」
「……おれは、リン」
「リン。ねえ、なによんでるの?」
それが、リンとケルタの出逢いだった。
ケルタはくるくると表情の変わる少年だった。蝶を見つけては笑い、石に蹴躓いては泣き、リンが仲間外れにされていると知れば怒った。
とある日、いつものように公園でケルタと待ち合わせたリンは、彼が来るよりも先に来て待っていた。その公園では先客の少年少女が滑り台やブランコ、砂場を占拠していた。
いつも通りに木陰のベンチに座って本を読んでいたリンは、足元にボールが転がってきたことに気付いた。ベンチから降りて、それを抱える。持ち主はと探せば、少し離れた場所でこちらを見つめ戸惑っている一団があった。
「……」
ポンっとボールを放った。放物線を描いて持つ主らしき男の子の足下に落ちる。犬人の男の子はさっと急いでボールを拾うと、そそくさとその場を立ち去った。
「なにあれ? かんじわるい」
「……みてたのか、ケルタ」
公園の入り口にいたケルタが、小走りでリンの傍にやって来る。彼の頬が膨らんでいるのを見て、リンは思わず吹き出した。
「ふふっ」
「リン、なんでわらうんだよぉ」
「ごめん。なんか……うれしかった」
「え~?」
納得のいかない顔でこちらを見つめるケルタに、リンはもう我慢出来ないとばかりに声を上げて笑った。思えば、これほど笑ったのは、その時が初めてだったかもしれない。
目に涙をためて笑うリンを、ケルタは不思議そうな顔で見つめた後、一緒になって笑い転げた。今となっては、何がそんなに面白かったのか。
ひとしきり笑った後、ケルタはリンに手を伸ばした。
「あそぼう」
「うん」
二人は手をつないで、誰もいなくなった砂場で山を作り、トンネルを掘って上から崩した。
いつまでも続けばいい、と願った時間は、小学生になってしばらく経った頃に唐突に終わりを告げた。
学校に忘れ物をしたというケルタと別れて帰宅した翌日、ケルタは学校に来なかった。彼の両親がドゥラに相談し、捜索したが見付からなかった。
しばらく後、書簡が届く。
まさかあの時の雪辱と、悔しさと、今になって向き合うことになるなんて、思いもしなかった。
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