第146話 中庭の乙女たち

 リンの胸元で、水晶のような珠が淡く光る。同時刻、同じものを首から下げた晶穂は、それを両手で握り締めて中庭のベンチに座っていた。

 光の洞窟から戻って来た翌日である。早朝からいつも通り矛の自主練習をして、穏やかな風に吹かれながら木陰にいる。

(必ず、無事で三人とも帰って来て)

 一夜で片が付くはずがないのだ。わかってはいたが、心ばかりが逸る。焦っても、共にいない自分には何も出来ないのに。

 ぎゅっと目を瞑り、握り締めた手を額にあてて俯く晶穂の傍に、人の気配が近付く。影の尻尾が揺れた。

「晶穂、ご飯食べよ?」

「……サラ」

 顔を上げた晶穂の前に立ったのは、親友のサラだ。その目は微笑んでいるが、猫の耳は軽く折れている。晶穂を心配しているためだろう。

「ごめん、すぐ行くよ」

 立ち上がって矛を仕舞った晶穂が歩き出そうとすると、サラがその腕を取った。

「待って」

「わっ」

 急に腕を取られ、晶穂は尻もちをつきそうになった。けれど何とかその場に留まる。どうしたのかと振り返れば、サラが真剣な顔をしてこちらを見ていた。

 サラは晶穂を再び座らせた。そして彼女の両肩に手を置いて「なんて顔してるの」と呆れる。

「え?」

「涙は出てないけど、溜めに溜めた感情が溢れそうになってる。死んじゃいそうな顔してるもん。ほら、落ち着こ」

「うん……」

 サラは晶穂の隣に腰を下ろし、空を見上げた。鳥が数羽、羽ばたいて行く。

「晶穂。団長たちは、また戦いに行ったんだよね?」

「うん。ジェイスさんを捕まえようとしていた人たちのところに」

「じゃあ、もう少し、かかるかもね」

「……うん」

「……」

「……」

 黙ってしまった二人の間を、朝の爽風が行き過ぎる。

 サラはちらりと晶穂の横顔を見て、うーんと両腕を空に伸ばした。

「今回は、ついて行こうとは思わなかったの?」

「え?」

 意表を突かれて目を丸くする晶穂に、「だって」とサラは言葉を続けた。

「ほら、この前は無理矢理にでもついて行ったじゃない」

「あー……うん」

 晶穂は天を仰ぐ。眉を八の字にした。

「無理について行った、ね。あの選択は間違ってなかったと思ってる。勿論心配はかけたし、心配もしたし。でも、リンの傍にいないといけないって思ったから」

「うん」

 サラは晶穂の言葉に相づちをうつだけだ。晶穂は洞窟からこちらに帰ってくる際の電車の車内のことを思い出す。

「でも今回は、あの人の過去の因縁だって知ったから。わたしが土足で入れない領域だって思った」

「だから、待つことを選んだの?」

「うん。……それが正しいかどうかなんて、わからないけど」

 晶穂は手の中にある水晶を見つめ、きゅっと握り締めた。

「わたし、自分勝手だよね。前は一緒に行くって言って、今は彼らが帰ってくる場所を守ろうなんて。……こんな情緒不安定じゃ、リンに嫌われるよね」

「そうかなぁ?」

 苦く笑う晶穂の手を、サラはその上から優しく包んだ。彼女の細い手の中に、想い人への心があることを知っているから。

 目を見張る晶穂に微笑みかけ、サラは「さあ」という声と共に勢いをつけて立ち上がった。くるりと晶穂の顔を見て、歯を見せる。

「大丈夫。三人とも、一緒に戻って来るよ。あれだけ強い三人だよ? ……晶穂は団長たちが戻って来た時、最高の笑顔で迎えなよ」

「ありがと、サラ」

「ふふっ。じゃあ、行こう」

 背を向けて先に行くサラを追って、晶穂は木陰から歩き出した。




 ラクターの屋敷最上部の一室。日の光も届かない暗い部屋の中、藍色のショートヘアを汗によって頬や額に貼りつかせた少女がいた。

 鉄製だったはずの手枷は、石化により更に硬度を増している。足枷はまだジャラジャラと音をたてる鉄の鎖だが、再度脱走を試みればこちらも石化して、身動きを取れなくなるだろう。

「……叔父さん。ガイ、アゴラ。みんな」

 仰ぎ見た扉には、幾つものナイフが刺さっている。彼女が抵抗した跡だ。

「もう、諦めたらどうだ? ストラとやら」

「誰が、諦めるもんか」

 暗がりから威圧的に見下ろしてくる相手を、ストラは殺気のこもった瞳で見返した。ジャラと鎖が鳴る。

「あたしの叔父さんは、野獣と呼ばれる男だ。……二親を強盗に殺されたあたしを引き取り、実子同然に育ててくれた。そんな叔父さんが、あんな顔だけの奴らに敗れるはずない! 必ず勝って、助けに来てくれる」

 勝利を微塵も疑っていないストラの瞳の奥には、一抹の不安があった。戦いの相手はあの銀の華の三人組だ。彼らの強さは身をもって知っている。だからこその不安だ。

 しかしそれでも。ストラは深く息を吸い、吐いた。

(待つよ、あたしは)

 こちらを睨みつけ、臆することもない少女を驚きを持って見つけていた男は、ふっと息を吐き出した。

「……盲目の信頼は、真実によって崩れ去る」

「五月蠅いな。それに崩れ去ったらあんたたちがあいつらの相手をしなきゃいけないでしょう。こんなところで油売ってて、暇なわけ? 人買いのオドア・トラシエさん」

「……」

「貴様、主に向かって軽口をたたくとは何事だ」

 ストラの首筋に、猫の爪が伸びる。サドワの唸り声がストラの耳朶を叩いた。

「……止めよ」

 至近距離で睨み合う両者の間に入ったのは、意外にもオドアだった。

「時間の無駄だ。そろそろ行くぞ、サドワ」

「御意」

 カツカツという軽い足音を残して消えた男たちの気配を、枷の重い金属音が打ち消した。

「それが黒一色に塗り潰されてる未来だとしても、あたしは生き延びる。みんなと一緒に」

 ドッ

 それは、ストラが拳で扉を殴りつけた音だった。

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