第144話 崖の上の館

 密林めいた森を抜け、その先にある崖の上。館は今、雷雨の中にあった。

「ふん、それで置いてきたのか。取り逃がしたのではなく」

「「申し訳ありません、あるじ」」

 サドワとヒスキがこうべを垂れる。しかし主と呼ばれた男は目もくれない。

 彼の名は、オドア・トラシエ。人身売買を裏世界で行う組織のボスだ。手に入れた人材を有効に使い、自らの行動範囲、勢力範囲を広げてきた。

 その痩身は鴉色の衣服に隠され、闇にまみれればその姿を見つけることは容易くない。

 オドアは一人掛けのソファーに深く体を預け、指をあごにあてた。その唇が、わずかに歪む。

「……“必ず潰す”か。面白いことを言う」

 そのような言葉を吐くほど怒りに心を支配された者は、単純な行動に出やすい。例えば、誰の言うことにも耳を貸さず、単身で敵地に乗り込んで来る。リンという青年は、おそらくそのタイプだ。

 そして彼を助けるため、獲物である『四界種しかいしゅ』の力を持つ青年がやって来る可能性も、また高い。

 そうなれば、袋の鼠。飛んで火にいる夏の虫とはこのことである。

 彼らの依頼主であるラクター所有のこの邸には、オドア配下の戦闘員が詰めている。暗殺さえ厭わぬ者たちだ。そう簡単に、ラクターのいる最上階にはたどり着けない。

 しかし、念には念を入れなければならない。

「サドワ、ヒスキ。お前たちは、この直前の部屋で迎え撃て」

「「はっ」」

「……殺しても構わん。依頼人の能力の前では、生も死も同じことだ」

「「御意」」

 返答と共に、二人の気配が掻き消える。「さて」とオドアは足を組み替えた。そして、照明の届かない部屋の奥へと目をやる。その場には、複数の気配があった。それらは皆、怒りと恐怖に震えている。

「お前たちの仕事は……わかっているだろう?」

「……は、はい」

 ガクガクと頷く幾人分かの音が聞こえたが、オドアはそれらにもう興味がなかった。死地を与えてやっただけ、まだ慈悲のある方であろう。

 部屋の奥の気配も消え、部屋には男一人が残された。

 オドアは、口端を吊り上げる。そして、嗤う。

「さあ、来るがいい。お前たちは、屍となるのだ」

 同時に、雷鳴が轟いた。




 リンが目を開けると、そこは見慣れぬ深い森の中だった。いつからか、激しい雨が降っている。

 扉を使ってサドワとヒスキの気配を追った末、たどり着いた場所だ。近くに彼らがいるとみて、違いはないだろう。

 所々で紅葉が始まっているが、木々はどれも元気がないように見える。半ば枯れかけの森が、ぎりぎりのところで命を維持している。そんな印象だ。

 一歩一歩、確かめるように進む。リンは雨水を時折拭いつつ、先を急いだ。

「ここは……」

 暗い、森の獣道を進んだ先に、森が開けた。その空間には、草原が広がる。何でもない森の途中の場所が、何故かリンの心を波立たせた。

(ここじゃない。だけど、よく似た場所を、俺は知ってる)

 脳裏に浮かんだのは、幼馴染の面影。思い出したその笑顔に、リンはのどを詰まらせた。雨も気にならない。

 そうだ。ケルタとよく遊んだ森の空き地によく似ている。

 よく笑う少年だった。もう、十年前になる。

 下校途中、忘れ物をしたというケルタと別れたのが、最後。

 遺体は見つからなかったが、通学路に不審な男たちがいたとの目撃証言が複数寄せられ、誘拐事件と発覚した。

 リンの父ドゥラが先陣を切って探したが、全く見つからなかった。

 一か月後、ケルタを誘拐した犯人と思われる者からの書状がリドアスに届く。曰く、『美しい吸血鬼をコレクションに加えた』と。

 確かに、ケルタは女の子に見間違えられることも多かった。中性的な顔立ちをしていた。

 ドゥラはその書簡を破り捨て、死の間際まで仕事の合間を縫ってケルタを探していた。書簡の内容をリンが知っているのは、破り捨てられた書状を拾った母ホノカが、夫に秘密で保管していたためだ。何かの証拠になると思ったのだろう。

 両親と弟を狩人に奪われたリンは、ケルタを奪ったのもまた、狩人だと考えていた。

 しかし、狩人にはコレクターなどいなかった。

 風が吹く。リンは幼い頃の自分を思い出した。

 激しい後悔が胸に押し寄せる。あの日、どうしてケルタと共に行かなかったのか、と。泣きじゃくる息子に、父は言った。

「あの時のお前にもケルタにも、未来を見る力なんてものはなかった。わかるはずもなかった未来を気に病んで、何になる。お前は決して、ケルタを忘れてやるな」

 父の言葉は、リンを立ち止まらせなかった。後悔に支配され続ける悲しさを、リンは日々を銀の華の団長として生きることで忘れようとしてきた。

 それが正しいのか、正しくないことなのかは、わからない。

 その時、森を流れる風に何かが加わった。一陣の風。リンのすぐ脇を駆け抜けたそれは、風の中に懐かしさを感じた。

 リンの唇が震える。

「……ケル、タ?」

 ケルタの属性は『風』。いつか、散った桜の花びらを巻き上げて見せてくれた。

 今もまた、散った葉を攫って躍らせている。手を伸ばすと、風が頬を撫でた。

 いつの間にか、雨は止んでいた。雨水で濡れて重いはずの体が、風に誘われる。

「呼んでる」

 ごくりとのどを鳴らし、リンは駆け出した。

 空き地を抜け、森を通り、肌を切る葉をものともせずに。

 やがて、深い森を抜け、崖の上に館があることに気が付いた。それはひらけた場所にあるにもかかわらず、淀んだ影をまとっていた。

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