第140話 夢と過去

 わたしは、夢を見ている。

 そう気付いたのは、自分がその世界を俯瞰していると気付いたからだろう。鳥のように、下界を見ている。

 そこは、見覚えのある鉱山。わたしは鉱山で働いた経験を持たないが、何故か知っていると感じた。

 見れば、たくさんの人々が動いている。鉈のような道具を手に、壁を掘っている。そうして時折転がり出る鉱石を抱え、歩いて行く。今行ったのは、猫耳を持った女性だ。

 どの人も、顔色が優れない。青白く、紫にすら見える人もいる。あれは、生きている人の顔ではない。どうして、そんなに辛そうな顔をしているのだ。男も女も、年寄りも若者も、同じような顔だ。

 その理由は、すぐにわかった。鉱山内に響き渡る張り手の音がした。場面が切り替わる。

「こんなもんが売れるかッ」

「―――ッ。申し訳、ありませ」

「早く持ち場に戻れ」

 先程小さな石を持って何処かに歩いて行った女性が、背中をぶたれてうずくまっていた。彼女の前には、大柄で見るに堪えないほど太った男。

 男は数人の取り巻きと共に下品な笑い声を上げながら去って行った。去り際に、

「残念だったな。特級の銀を持って来ればここから出して、俺様の妾にしてやるのになぁ」

 と言いながら。

「大丈夫か?」

「へんっ。あんなやつの約束なんて、誰も信じちゃいないよ」

「皆さん、ありがとう……」

 女性の周りに、何人もの人々が心配そうに集まった。彼らに心配をかけないようにか、女性がゆっくりと顔を上げる。

「ええ、大丈夫よ。みんな同じ境遇なんだから」

 そう苦し気に笑った幼さのある女性の顔が、わたしの方を向く。その時、息が詰まるほどの衝撃を受けた。

 ―――似ている。

 自分に、とても似ている。まるで。そんな気がした。

 衝撃も冷めやらぬ中、鉱山の奥から一人の男性がよろめきつつ走り寄って来た。青年と言ってもいい、まだ幼さの残る人だ。

「怪我したと聞いたぞ、サアヤ。ああ、背中が」

「これくらい、ここではよくあることよ。ハクトは心配し過ぎ」

 ハクトと呼ばれた男性が顔をしかめる。その横顔が、わたしを再び驚かせた。二人共、何故かよく知っていると感じる。記憶ではなく、心で。

「待ってろ。今、冷やすから」

 そういうと、ハクトは両手をサアヤの背中にかざした。すると患部にきらきらと光る魔力が贈られる。それが氷の魔力だと気付いた時には、既に背中の赤みは落ち着いていた。

「あろがとう、ハクト。でも気を付けてね。見つかったら、また……」

「だとしても、わたしは患者を放っておくことだけはしない。魔種の血が、たくさんの奇跡をくれたから」

「そこは……恋人を、ではないの?」

「……それも、ある」

 羞恥に顔を染め、ハクトはうつむいてしまう。サアヤも嬉しげに頬を染め、照れ笑いをした。


 再び、場面は変わる。

 あの大柄な男が、数人の働き手を新たに連れてきたようだ。白い髪もさることながら、彼らの背にあるものを見て、わたしは三度心底驚いた。

 白い、翼だ。その何にも染まらない純白のそれが、今は血や泥で汚れている。よく見れば、どれも折れている。あれでは、もう飛ぶことは叶わない。

「お前らは、まだ良い方だぞ?」

 男が、黄色い歯を見せて笑う。

「他の奴らには、その羽をもいで売っちまった奴もいたっけなあ!」

 あれは高かった、と取り巻きと共に笑う。

「お前らが俺様に逆らえば、同じような目にあわせてやろうぞ。鳥人とりひとはよく働く。力も強いが、翼さえ折ってしまえば抵抗しない。これほど使いやすい労働力はないな!」

 その言葉に、翼の折れた人々が震える。

 そうか、と理解した。普通の人のように見えた先程の人々の背中にも、以前は翼があったのだろう、と。それはこいつに盗られてしまったのだ。


 最後の場面だ。唐突にそう思った。

 あのハクトとサアヤという男女が、泥まみれ、血まみれになって走っている。何処とも知れぬ森の中を、必死に手を離さぬように。

 荒く、激しい息遣いが響く。夜闇の中、怯えを振り切るように。

「あっ」

 サアヤが何かにつまづいた。それに引きずられかけ、ハクトは足を踏みしめる。彼女が転ばないよう、支えた。

「大丈夫か、サアヤ!」

「うん。早く、行かなきゃ」

 再び連れだって、走り出す。その後方で、松明がいくつも揺れている。怒号が聞こえる。あの鉱山の主たる男のものだ。

「探せ! あの二人の奴隷を! 花のことを必ず聞き出せ。その後は、殺しても構わん!」

「……誰が、教えてなどやるものか」

 静かに怒気をはらんだ声で呟き、ハクトは森の出口を目指す。それに頷き、サアヤも躓きそうになりながら走る。その胸に抱かれた何かを、守るように。

「この子だけでも、生かさなきゃ」

 鋭い葉で肌が切れ、転がった石で裸足の足の裏に血がにじむ。それでも、止まらない。走って走って、もうすぐ森の外だ。

「ああっ」

「くっ」

 あと一歩、その時だ。すぐ傍で、松明が揺れた。二人は小さな悲鳴を上げる。その瞳が絶望を映す。けれど、染まり切ることはない。

「……」

「……」

 二人は頷き合い、サアヤの腕から何かを下ろす。木の根元に、ようやく見つけたきれいな布でくるんだ大切なものを置く。

 これが両親との永遠の別れとなるとも知らず、ただ眠り続けている。

「……きっと、生き延びて。このことは忘れて、ジェイス」

「こんなところに置いて、すまない。ジェイス、幸せに」

 小さなその頭を一撫でし、ハクトとサアヤは手をつなぐ。そして、松明ともそのおくるみとも別の方向へ走り出した。


 その時、ようやく理解した。

 これは、父と母の記憶。最後に見た姿。

 わたし――ジェイス――の忘れていた断片。


 鳥人。白い髪と翼を持ち、強大な魔力を持った絶滅種。

 その血を、わたしは受け継いでいたのか。

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