第134話 存在の意味
急に細くなった通路に、ビル風を超える風速が吹き荒れる。痛みさえもはらむその風の中、克臣は真っ直ぐ前を見据えていた。こんなところで砂漠用のゴーグルが役立つとは思わなかったな、とわずかに苦笑する。後ろの気配を探れば、晶穂と春直、ユキ、ユーギが固まってついて来ているのがわかった。
くっと歯を喰いしばり、克臣は友の無事を願う。
服は擦り切れ、泥を含んでいる。雨風に打たれ、ズボンに穴が開いている。髪を束ねていた紐は、何処かで落としてしまった。
「ここは、何処だ?」
いつの間にか迷い込んだ。砂漠をあてもなく進んでいたはずなのに。
見渡す限りの白銀の世界。それが鉱物の輝きであると理解するのに、随分と時間を要した。壁面に触れる。冷たく温度を持たないそれは、現実を直視させた。
見る毎に、自分の背にあるものを意識する。あると思い続けて、そこに確かにあって。しかし、ないもの。
突然、自分が何者なのか、わからなくなった。
自分の存在の意味が、自分というものそのもののことが、わからない。
しかしそれでも、敵は考える時間をくれはしない。
「こんなところに居やがったのか」
「まあ、私たちは彼を追い続けてたわけですけど。こんな場所があるとはね、噂も馬鹿には出来ないということか」
ガイとアゴラが姿を見せる。狼人と魔種の男たちは、数人の仲間と共にリドアスからずっとここまで追いかけて来た。幾度となく闇の中の戦闘を繰り返し、ようやく撒けたと思ったのだが。
「……どうやら、そろそろ決着をつけなければ怒られることも出来なそうだ」
仲間たちの顔が浮かぶ。あそこへ帰るために、終わらせなければ。
ジェイスは空気から幾つものナイフを作り出し、いつでも発射出来る体制を整えた。それに応じ、アゴラとガイもそれぞれの武器を手にした。アゴラは持ち前の炎の弾を生成し、ガイは自慢の足をスタンバイする。
天井から、地下水が落ちた。たった一滴。地面で跳ねて、吸い込まれる。
それが、爆発の合図だった。
炎とナイフが交錯する。触れた場所から爆発を起こし、風が縦横無尽に吹き荒れる。その爆風の中、ガイの蹴りがスピードを増す。ジェイスは腕を交差させてそれを受け流し、次なる一手を打つ。
しかしガイにかかりきりになることは出来ない。すぐ後ろのいたアゴラが、まるで消防車の放水並みに炎を吐き出す。それを全て避け切ることは出来ず、ジェイスの手の甲は痛みを発した。
「くっ」
更に洞窟の奥へと、戦いの場は移って行く。
アゴラの炎で焼かれ、壁面や地面の岩が溶ける。それは溶岩のように降り、または流れることで、ジェイスの動きを制限した。
それでも止まることは出来ない。ジェイスのナイフがガイの頬を斬り、次いでアゴラの上腕に傷をつけた。滴る血をものともせず、二人は更に攻勢を強めていく。
熱がほぼ密封された空間に満ち、呼吸の自由すらも奪う。ジェイスは珍しく、余裕をなくしていた。冷汗が耳の傍を伝う。
戦闘で受けた傷はその傍から再生する。それは良いのだが、だからといって、受け過ぎれば勿論回復はそのスピードを落とす。
現在、ジェイスは両手両足に火傷を負い、今まさにガイの攻撃をまともに鳩尾に喰らっていた。
「ガッ――」
「おいおい、銀の華最強はそんなもんか?」
「仕方ないですよ、ガイ。こちらは二人、あちらは独り。……ですがもうそろそろ終わらせた方がいい」
「あいつらが、何処で監視してるかなんてわからないからな。……生け捕りとは命じられたが、それが守れるかはわからんぞ」
「構わないでしょう。どうせ、先方の魔力をもってすれば、どちらでも同じだ」
(なんの、ことだ?)
鳩尾に手を添え、ジェイスは呻きながらも体を起こした。敵が言っている意味がわからないが、まずはこの状況を何とかしなくてはならない。
少しずつ、傷は回復していく。もう少し、もう少しでいいから早く治ってくれ。そう思わずにはいられない。
どんな状況であろうと、
自分の存在すら、
こんなに弱い精神を持っていたとは、自分でも驚くほかはない。
アゴラの炎が勢いを増す。ガイが人の頭ほどの大きさの岩を足の甲でリフティングしている。キャンプファイヤーのごとく強められ巨大化した炎が岩に移る。
巨大な火球が、驚異のスピードでガイの足から放たれる。
スローモーションを見ているようだった。体が動かない。空気を集めて無数の矢を作り出すにも時間が足らない。あれがクリーンヒットすれば、通常命はないだろう。
ジェイスは最後の力を振り絞り、透明な壁を築く。そこにシュウシュウと焦げ付くにおいをさせながら、火球が近付く。
諦めるなど、したくない。自分は彼に、諦めさせるわけにはいかないのだ。そんな兄貴分の姿を、見せるつもりはない。
だから、ジェイスは最後まで抗う。残った空気をまとめ、槍を作り出そうとする。そのわずかな時間が、絶たれていたとしても。
その時、鮮やかな青緑色が視界を覆った。
「おいおい。情けねえなあ、ジェイス!」
「……あ」
青緑の
その大剣で火球をぶった斬り、地鳴りが起こった。
呆然とその様子を見ていたジェイスは、次いでやって来た少年たちに囲まれる。
「ジェイスさん!」
「よかった、無事ですね」
「焦ったよ~」
「形勢逆転、だよ」
「晶穂、春直、ユーギ、ユキ。……どうして」
「『どうして』? そんなん、決まってんじゃねえか」
状況を飲み込み切れずにかすれた声で言うジェイスに、親友は笑った。
「お前が心配で、来たんだ。……なんで黙っていなくなりやがった、バカ野郎が」
「ごめ、ん」
泣きそうな、消え入りそうな声で暴言を吐く。その背中に、ジェイスは言い訳も出来なかった。そんな二人を後輩たちは黙って見守っている。
ジャキン
真っ直ぐ敵を見据える。アゴラとガイは突然の援軍に少し驚いているようではあったが、それほど障害にはならないと踏んだのだろう。再び攻撃準備に入った。
背中を見せたまま、後ろに立ったであろう親友に言う。
「説教は、終わってからだ」
「ああ。リンにも叱られるな」
「違いねえ。諦めろ」
克臣の大剣が、うなった。
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