第122話 消えた小箱

「そういや、ジェイスの部屋からやつと共になくなってたものがあったな」

 ソイ湖から東に向かって歩き始めてから十数分後、遠くに見える街並みを見ながら克臣が呟いた。

「なくなってたもの? 何ですかそれ」

「ああ、箱、だよ」

「箱?」

 前を年少組がはしゃぎながら歩いている。時折道端で虫や小動物を見つけているようだ。それを眺めつつ、リンは首を傾げた。彼の隣を歩いていた晶穂と、年少組とリンたちの間を歩いていた唯文も克臣を見上げる。

「箱っていうか、正確には小箱かな。木製の、ポケットに入りそうなほど小さいものだ。小学生の時に一度だけ外観を見せてもらったっけな。あれ以来、というかあれ以前もジェイスは中身を知らずにいたはずだ」

 持ち主であるジェイスが中身を知らないとはどういうことか、それを唯文が尋ねたが、克臣も詳しくは知らないという。

「わかってるのは、あれがやつの親の形見だってことくらいだ。先代に手渡されたと言ってたよ」

「父さんに……」

「『時が来たら開けると良い。君の疑問が解決するはずだ』と言われたんだと。小さい時にそんなこと言われても意味なんてわかりゃしねえ。だからジェイスは怖かったらしい。その幼い恐怖心を今も引きずってる」

「……自分が持ってる疑問の正体を知るのが怖かったんでしょうか?」

「さあな、こればっかりは本人じゃなきゃ分からんよ、晶穂。―――でもこれだけは言える」

 克臣は目を細め、すっとリューフラのある方を指差した。ユーギたちが不思議そうな顔で克臣を見ている。

「あいつがあれを失くすことはない。だったら、持って行ったと考えるのが妥当だ」

「……成程。その箱の中身を知ることが、ジェイスさんがいなくなった理由をも知ることになるってことですね」

「恐らく、な」

 リンの補足に、克臣は歯を見せて笑った。

 ジェイスと共に消えたという小箱。それがジェイス自身の抱えると思われるどんな疑問を解消する鍵となるのか、今は誰も知らなかった。


 


 荒い息が苦しい喉から漏れる。

 短く速く。疾走する足に息がついて来ているか怪しい。

「……はっはっ。撒いた、か?」

 一つに髪を縛っていたゴムは何処かに行ってしまった。乱れた髪が汗ばむ頬に貼りついて鬱陶しい。黒髪をかき上げ、ジェイスは切株に手をついた。

 一晩だ。一晩、攻守を何度も交替しながら戦闘を繰り返した。流石に体力の消耗が激しい。

 救いは昼間は人目があるためか、襲っては来ないことだろう。その間に休息をとる。しかし視線は常に感じるが。

 相手は複数だ。しかしそれぞれの顔を間近では見ていない。全員が覆面代わりに黒や紺の布を顔に巻いていたからだ。その中でも手練れの刺客が、ジェイスと剣を交えた時にこう言い放った。

「お前、翼はどうした!? 飛べばここから離脱出来るぞ!」

 その言葉を思い出し。ジェイスは唇を噛んだ。出来るものならしている。それが出来ないから、否応がなしに戦闘に応じているというのに。挑まれて逃げるのが癪だというのも勿論あるのだが。

 魔種の証でもある漆黒の翼。リンとユキの兄弟には勿論あるし、他の魔種の背中にも当然存在する。ジェイスにもあった。

 正しくは、年少期の翼はのだ。それが今では違う色をしている。リドアスを出る直前、春直に見られた。敵がやって来ることを仲間に告げられれば良かったのだが、それどころではなかった。気が動転した。

 何度か戻ろうと思った。だが、戦闘に次ぐ戦闘がその機会を奪った。

 執拗な追跡は、今も続く。殺意がすぐそこまで迫っている。

「っくそが」

 ジェイスは彼らしくない罵倒の言葉を呟き、傷だらけの自分に回復魔法を施した。

 彼の行く先に、朝日を受けて白く輝く岩盤がむき出しになった岩山があった。


 


 リューフラの町は、鉱山で栄えた頃程ではないのだろうが、賑やかな雰囲気に包まれていた。小売店には可愛らしい小物や美しい布、露店ではおいしそうな食べ物が売られていた。

 店先で店員と話していた晶穂が戻って来る。手には人数分の焼き芋の入った袋が握られていた。ただし湯気は立っていない。

「これ、冷たい焼き芋なんだって」

「冷たい焼き芋? なんですか、その相反するネーミングは」

「春直。これ、食べてみれば分かるよ。焼いたお芋を冷やしただけなんだけど、中身の甘さが凝縮されておいしいよ」

 晶穂に手渡された芋を口に入れ、半信半疑だった春直の顔が変わる。しっぽが左右にぱたぱたと振られる。その反応を見て、リンや克臣たちもそれぞれに芋を受け取った。

 確かにより甘みが強くなり、冷たさが歩いて火照った体の熱を冷ましてくれそうだ。

 晶穂が聞いたところによると、リューフラは元々作物が育ちにくい土地柄だったらしい。そこで荒れ地でも育つという芋が主な農作物となった。今ではメインやスイーツなど様々な料理が開発され、それを目当てに来る観光客も多いのだそうだ。

「ああ、それから布地の生産も盛んだそうです。これはおじさんに聞いたんですけど、綿なんかの植物の中にも荒野で育つものがあるとか。それを植えて糸にして、特産品にしてるんだそうです」

「へえ、だからか」

 店先に置かれていた淡いピンク色の布地を手に取った克臣が、店員に捕まった。奥様にどうですかと勧められて面食らっている。桜に似た植物で染め上げられた生地は、少し濃い桜色で所々に花が染め抜かれている。ストールなどにすれば映えると薦められた。

「良いじゃないですか、きれいですし。真希さん喜びますよ」

「ユーギ、俺らは遊びに来てるんじゃないんだ」

 くすくす笑いながら茶化され克臣は憮然としていたが、表情の一部に別の感情が見え隠れしているのに皆が気付いていた。晶穂がその場を取り成そうと克臣の傍に寄る。

「まあ、今すぐに決めなくてもいいんじゃないですか? 用事を終わらせた帰りに判断しても遅くないですよ」

「……ん、まあ、そうだな」

「お客様、ここに滞在を? ……成程、数日の予定で。ではお気に召された布は奥に置いておきましょう。お帰りの際にまたお寄りください。ここで注文していただければ加工してお届けすることも可能ですので」

「あ、ああ。ありがとうございます……?」

 晶穂と店員の押しに負けた形の克臣が戻って来ると、リンと唯文が宿を見つけたと言って全員を先導して歩き始めた。

 宿は寝るためにあるような座敷のみの宿屋だった。何日も観光目的で滞在する訳ではない。寝る場所さえ確保出来ればいい旅だ。ただ衝立を一枚だけ借りそれを立てることで、女子と男子の空間を分けた。


 チェックインして荷物を置き、リン達は再び町へと繰り出した。ここからは数名ずつに分かれて町を歩く。

「じゃあ、俺とユキ、晶穂と春直、克臣さんはユーギと唯文と一緒に。情報収集お願いします。夕方には宿に戻ること」

「わかった。お前らも気をつけてな」

「はい。トレジャーハンターの人たちもこっちに来てるでしょうしね」

「ああ。……晶穂は出来る限り戦闘は避けてくれ。俺らと克臣さんは、まあ、適当にやるから」

「……適当にって。誰も怪我してほしくないんですけど」

「わかってる」

「ほんとに……?」

 疑いの目を晶穂に向けられ、リンは明後日の方向を向いた。そのやり取りがツボを刺激したらしく、唯文とユーギが笑いを必死に堪えている。

 リンは気を取り直すためにわざと咳払いをし、「解散!」と右手を挙げた。

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