第119話 夜闇と出立

 ―――ああ、黙って出て来てしまったな。

 下界を見渡せる崖の上で、ジェイスはため息をついた。月が地上を照らしている。

 目指す砂漠はもうすぐそこだ。ここまで人目を忍んで来たためか、戦闘は免れている。治癒力の高さで体の傷は全て完治しているが、病み上がりにも等しい状態での戦いは御免こうむりたいのが本音だ。

 木陰に腰を下ろし、懐から小箱を取り出した。昨夜、中身を初めて確認した。それを見てもなお、自分が何者であるのかは分からない。

 箱に入っていたのは、くすんだ灰色の石と白い羽根。

 あの時、ジェイスを襲った男は彼を指して『シカイシュ』と呼んだ。何を示す名なのかも不明だ。

 何もわからないまま、不安を感じて飛び出してきてしまった。後悔を感じて胸は疼くが、このままでは巻き込んでしまう。あのままリドアスにいれば、自分を襲った何者かが仲間を害そうとする気がした。

 今、彼らは銀の華を探さなくてはならない。それに横槍を入れるようなまねはしたくなかった。しかし、ここまで来つつ考えるに、自分を襲った者と花を探す者が仲間である可能性もある。そうであるなら、一緒に行動してもよかったのかもしれない、と。

「……いや、敵を二手に分けられるなら、わたしが別に行動した方が良い」

 その結論を呟きながら、ジェイスの頬は緩んだ。恐らくご立腹であろう幼馴染のことを思い出したからだ。

(怒鳴られるな、次に会ったら)

 克臣だけではない。リンも晶穂も、今頃困惑していることだろう。申し訳ないとは思うが、あの二人なら乗り越えてくれるだろう。なんたって、次代を担うのは彼らなのだから。あの二人がくっついてくれればいいのにな、と密かに思っているのは秘密だ。

「まあ、実はみんなそうなると踏んでるけど……っと」

 思い出し笑いで頬を緩めていたジェイスは、近付く気配を感じ取って気を引き締めた。

「……さて、お客さんだ」

 闇夜に潜む敵意は、簡単に届く。相手がそれを隠しもしないのならば尚更だ。

 ジェイスはふらりと立ち上がり、空中に円を描いた。星の光のように瞬くことはせず、そこに描かれる半透明な白い線。その線に沿って空気が小さな玉となって並ぶ。玉は形を変え、鋭利なナイフとなった。

 殺意が明確になる。波となって押し寄せる。

 ジェイスは口端を少し上げた。


 


「晶穂!」

 玄関ホールで振り返ると、走って来たらしいサラと一香、それにエルハが息を切らしていた。

「どうしたの、三人で」

「どうしたじゃないよ、もう。晶穂はすぐに飛び出してく。あたしのことを置いてくんだから」

「ごめん、サラ」

 むくれるサラのしっぽがくるくると回る。横で彼女の肩を抱くエルハは、苦笑いを浮かべていた。

「別にサラはきみを追及したいわけじゃない。……ただ、なんの力もない自分が不甲斐ないだけだ」

「そうだね、エルハも戦闘能力高いもんね。……この前なんて、強盗一味を一人で取り押さえたもんね」

「ちょ……サラ」

 普段は飄々として穏やかなエルハが、珍しく慌てた様子でサラの口を手で塞いだ。びっくりして目を見開いた晶穂の横にやって来た克臣が、ニヤリと口端を上げる。

「晶穂は知らなかったっけ。エルハは優秀な戦力だ。俺らが出掛けられるのも、エルハみたいな強いやつがここを守ってくれるからだな」

「……克臣さん、買い被り過ぎですよ」

「ははっ、そんなことはねえよ。まあ、そういうことだから、後は頼んだぜ、エルハ」

「……分かりました。みんな、気を付けて」

 諦め顔で笑うエルハの傍で、サラも微笑んだ。幾つもの紙袋を晶穂に押し付ける。

「これ、餞別せんべつ。絶対に全員無事に帰って来るように。……前に破れちゃったから、繕い直したんだ」

「全部?」

「全部。当然でしょ」

「……嬉しい。ありがとう、サラ。これと一緒に、絶対に帰って来るよ」

 紙袋に入っていたのは、以前サラが作ってくれた戦闘服だ。前にはなかった春直と唯文分の衣装が増えている。晶穂が二人を呼ぶと、彼らは不思議そうな顔をした後、目を輝かせた。

 春直の衣装はブレザー制服のような雰囲気を持つ。紺色の髪とは違う明るい桃染ももぞめ真朱まそほの色の生地で作られた上着の下に、黒のシャツを着る。そしてズボンは、シャツの襟に添えられた小さな石と同じ木賊とくさ色。

 唯文のそれは騎士の制服のようだ。深縹ふかはなだ肩章けんしょうと上着の袷をつなぐベルト。そして浅葱あさぎの上着は、墨色のシャツとズボンに映える。

「よく、こんなにたくさんのデザインを思いつきますね……」

 呆れとも感心とも取れる言葉を呟いた唯文に、サラはふふっと微笑んだ。

「きみらがちゃんと帰って来れること。それを願っていたら、デザイン画は降って来るんだ」

「すごい。ぼく、とても気に入りました。ありがとう、サラさん!」

「……おれも、嬉しいです」

「ふふふ。二人とも、ありがとう」

 素直な春直と照れる唯文の対比を楽しみ、サラは「そうだ」ともう一つ取り出した。

「こっちはユキの分。でもきっと、すぐにサイズ合わなくなるんだろうなぁ」

「え? ぼくの!?」

 ぱたぱたと走り寄って来た小さな男の子に、サラは「はい」と袋を手渡した。

 真っ黒のマントのような上着の襟には、瑠璃色の石が装飾されている。その下にはあけぼの色のベルトと白土はくどのシャツがある。ズボンは紺色だ。

「早速着るよ。サラさん、ありがとう」

「どういたしまして」

 来た時と同じようにぱたぱたと去って行くユキを見送り、晶穂は再び三人に向き直った。

「いってきます」

「いってらっしゃい」

「待ってるよ」

「ご武運を」

 玄関の外に向かって、晶穂は一歩を踏み出した。


 リンが外を見ると、玄関先で本来の姿に戻ったシンの首を一香が撫でていた。二人はリドアスの守護を担う同志のような関係だ。会話は聞こえないが、互いを思いやり合っているのだろう。

「さあ、ジェイスのバカも探さなきゃいけないからな。さっさと出発するぞ!」

 克臣の号令を受け、彼を筆頭にユキ、ユーギ、春直、唯文がシンの大きな背に飛び乗った。唯文の背には父・文里に稽古をつけてもらっている愛用の刀が背負われている。

 五人が乗ってもシンの背には余裕がある。克臣がシンの首筋に当たる前側を空け、リンと晶穂を手招きした。

「早く乗れ、二人とも」

「はい。……行くぞ、晶穂」

 リンはひらりと軽い動作でシンの背にまたがると、右手をまだ地上にいる晶穂に差し出した。

「え、あ……うん」

 晶穂は当惑の表情を浮かべたが、リンの顔が穏やかなのにつられ、そっと手を重ねた。リンはその細い手をぐっと握り、引っ張るようにして晶穂をシンの背に乗せた。

「みんな乗った? ―――行くよ」

 そう言うが早いか、シンは大きな翼を羽ばたかせ、風と共に空へと舞い上がった。

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