第116話 急襲

 夕方。リンは自室でユーギ達から報告を受けていた。傍には晶穂がいて、年少組にお茶を手渡している。克臣は仕事だが、もうすぐ帰ってくるはずだ。

「……というのが、イズラさんのお話でした」

「わかった。……大陸の東側、か。砂漠が広がる場所だから、住む人は少ない。あまり縁のない地域だったな」

 アラストがあるのは大陸の西側地域。港もあるこの場所は交通の要衝でもある。賑やかな西側と閑散とした東側。発展の度合いに差が出来たのは、ロイラ砂漠の存在が大きい。

「それにしても、唯文まで巻き込んだな。すまない」

「謝らないで下さい、団長。おれ、役に立てて嬉しいんですから」

 唯文はリンの謝罪に首を振って応え、照れくさげに笑った。彼は大陸でも有数の名門学校に通う学生だったが、進学先は異世界日本の高校という異色の少年だ。学業と剣術の訓練の忙しさから、あまり銀の華での出来事に顔を出すことはなかった。

 本人は何も言わないが、文里によれば唯文はユーギたちを羨んでいたのだという。年頃の少年なのだから、荒事に憧れてる気持ちはわかる。けれど、それに関わることは常に危険が付きまとうのだ。

 リンはそんなことを考えながら、ふと図書館に調べ物をしに行ったきりジェイスが戻って来ないことに気が付いた。人に会うと言って出て行き、再び調べ物がしたいと言って彼が出て行ってから二時間は経っている。遅くなりそうなら連絡する、と言っていたのにその連絡もない。

「晶穂、俺ちょっと……」

 図書館を見て来る。そう言い終わる前に、扉が勢いよく開いた。その場にいた全員が扉に注目する。肩で息をしながら入って来たのは、克臣だった。

「ど、どうしたんですか、克臣さん!」

 晶穂が慌てるのは仕方がないことだった。克臣は何か刃物で切られたのか、腕から血を流している。また体中泥だらけだった。リンもすぐに立ち上がり、片ひざをついた克臣の傍に跪く。

「何が……」

「リン」

 思ったよりもはっきりと、克臣はリンに呼びかけた。息が荒いためにとぎれとぎれになる言葉を一つにつなげながら口を開いた。

「ジェイスが、襲われた。図書館の前で」

「……え」

「加勢して、どうにか追い払ったが、あれは手練れだ」

「ジ、ジェイスさんは!」

「あいつが先に不審者と会ったらしくてな、ちょっと深手を負って医務室にいる。館長に頼んだ……」

「わかりました。唯文たちはここにいてくれ。晶穂は克臣さんの手当てを頼む」

「了解!」

 晶穂の声を背に受けて、リンは医務室に向かって走り出した。


「ジェイスさん!」

 走る勢いそのままに、リンは医務室の扉を開けた。バンという大きな音が響き、医者であるいずるが険しい顔をリンに向けた。

「団長、五月蠅いです」

「……すみません、先生」

 畏縮したリンにため息をつき、貫は奥のベッドを示した。

 貫は三十路の人間の男性だ。もともとアラストに診療所を構える町医者だったのだが、よく怪我をする銀の華のメンバーも診るため、週に一度リドアスに来てもらっている。

「ジェイスさんは向こうです。……彼が怪我をするなんて珍しい。一体何があったのやら」

「ありがとうございます」

 リンは一礼し、今度は足音を忍ばせてジェイスが横たわるベッドに向かった。

「ああ、リンか」

「起きなくていいです、ジェイスさん」

「はは……。我がことながら不甲斐ないね」

 力なく笑うジェイスの容体を見て、リンは絶句した。克臣の怪我も酷いと思ったが、ジェイスはそれを上回る。シャツは引き裂かれ、血がにじんでいる。頭にも怪我をしているのか、包帯が巻かれていた。そしてズボンを始め上着も砂まみれだ。

 魔種の回復能力が凄まじいとはいえ、この怪我が全快するには一晩はかかろう。

「一体、どうしたんですか、ジェイスさん」

 安静にした方が回復は早い。だが、リンは理由を知りたかった。どうして、銀の華で一、二を争う強さを持つ二人が怪我をして戻ったのか。

 リンの必死な顔を眺め、ジェイスは笑った。自嘲のようにも見えた。

「……図書館を出たら、突然一人の男に襲われた。応戦したけど、後れをとってしまったんだ。すぐに克臣が来てくれたけど、相手が強かった。……あれは魔種だ。風の属性を持っている」

「刃物で切られたように見えたのは、風……鎌鼬かまいたち

 魔力には属性がある。水・火・地・風を始め、氷、光、などといった抽象的な形を言い表すのが難しいものもある。この世界に幾つの属性があるのかはっきりとしたことは分かっていないらしい。

 ちなみにユキは氷、ジェイスは気、リンは光の属性の魔力を持っている。晶穂の触れた者の魔力を増幅させまた回復させる力も、『和』という希少な属性に分類されるだろう。神子の力を現在に置き換えるとそうなるのだ。

 考え込む弟分の頭を撫で、ジェイスは笑った。

「心配しなくても大丈夫だ。明日には良くなるよ。だから、リンは出掛ける準備をしておいで。……わたしも行くから」

「……わかりました」

 リンは頷き、その場を離れた。貫に頭を下げ、自室へと退く。


 部屋では床に座った克臣の腕に、晶穂が包帯を巻いている所だった。その傍では心配そうな顔のユーギとユキが汚れたタオルを洗面器で洗っていた。その中の水は茶色く濁っている。

 リンが帰って来たのに気付き、克臣が軽く怪我のない方の腕を挙げた。

「おう、リン。あいつの様子は?」

「酷い怪我です。ジェイスさんは一晩で治ると言っていましたけど」

「流石、魔種だな。俺はただの人間だけど、骨を折ってるわけじゃねえ。真希が何と言おうが、俺はお前にしたがうからな、リン」

「……はあ。そう言うとは思ってましたよ」

 リンは大袈裟に嘆息し、表情を改めた。

「お二人がここまでの怪我をした。それが敵の仕業なら、俺は、何が何でもぶっ潰します。……負傷者である克臣さんにもジェイスさんにも、助けてもらわなければなしえません」

 膝をつき、リンは克臣に頭を下げた。最初驚いた顔をしていた克臣は、にやりと歯を見せ、次いでリンの頭をぐりぐりと乱暴に撫で回した。

「うわっ」

「心配すんな! 勿論助ける。それに、銀の華捜索は、俺たちの願いでもあるんだからな」

 ふと細くなった視線の先には、きっと克臣が二人目の父と慕ったドゥラの姿があるのだろう。昔を懐かしむ色が、克臣の表情から垣間見えた気がした。

「……はい。お願いします」

 リンは再び頭を下げた。その膝に握り締めた拳の上に、遠慮がちに細い指が添えられる。驚いたリンが顔を上げると、頬を染めた晶穂がにこりと微笑んだ。

「……大丈夫。みんなで見つけよ?」

「ああ」

 その笑みは温かく、リンの心に染み入るようだった。

 ふんわりとした空気をまとう二人の後輩を見つめつつ、克臣は自分とジェイスを襲ってきた敵について考えていた。

 ――あれは、何者だ。

 気のせいでなければ、ジェイスは、焦っているように見えた。

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