第112話 つなぐもの

 仕事に出る克臣と別れ、ジェイスは自室へと引き上げた。

「……さて、と」

 机の引き出しを開け、小箱を取り出す。これはまだ、ジェイスが物心つくかつかないかの頃に両親から渡されたものだ。

 とはいえ、彼がそれを両親からの贈り物だと知ったのは、十歳になった日の午後だ。両親は事故で、ジェイスが三歳の頃に亡くなっている。そう教えてくれたのはドゥラだ。

 もう十年以上も前のことだ。その頃既に、ジェイスは銀の華のメンバーとしてリドアスにて暮らしていた。リンも幼く、ユキに至っては生まれたかどうかという頃のこと。

 いつもにこにこしているが他人との距離をある程度保ち、寄せ付けない。そんな子供だったジェイスを心配してか、ドゥラはしばしば幼い少年と共に過ごした。

 薄暗い部屋に蝋燭の明かりがぼんやりと灯る。蝋燭はケーキに幾つも立てられ、それを前にする少年の戸惑いを含んだ笑顔を照らしている。その部屋にいるのは、ドゥラとジェイスのみ。

 克臣はまだいない。学校が終わってから顔を出すだろう。あの賑やかでやかましい少年は、ジェイスの心を溶かし始めていた。そんな彼とは、後でたくさん遊べばいい。ドゥラはジェイスと二人だけで話したかったのだろう。

 手のひらに乗せられた箱を差し出し、ドゥラはジェイスの十歳の誕生日を祝いつつこう言った。

「これはな、ジェイス。きみときみの両親をつなぐものだ。……きみの出自にも関するものだから、時が来るまでは大事に仕舞っておきなさい」

 そう言われ、ジェイスは言いつけを守って自分の宝物入れと称した箱の中に仕舞っていた。それがキャンプに行く数日前、掃除中にひょっこり出て来たのだ。

 小箱は手のひらサイズだ。木で出来ていて、正方形。何も書かれていない無地の箱。振れば、カタカタと小さな音がする。

 ジェイスは中身を知らない。「出自に関する」と言われ、びびってしまったのだ、幼い自分は。

「……だけど、今なら」

 鍵はない。ただふたをされているだけ。

 ジェイスは喉を鳴らし、ふたに手をかけた。




 新学期が始まり、晶穂はコンピューター室に来ていた。

 新しい学期や学年が始まる度に、ここで履修科目の登録を行う。家にある自分のパソコンでやる学生も多いが、どうせ大学に来るのだからとここで済ませたい学生もまた多いのだ。

 加えて、まだまだ残暑厳しい季節に、暑い自宅に居たくないという学生が多いことも事実。

 晶穂は歴史や文学系の科目を中心に登録した。水曜と日曜には講義を入れていない。そもそも入れなければならない必須科目がなかったからだ。抽選となるものもあるが、それは時の運に任せるしかない。

 隣では友人の美貴みきが頭を抱えながらデスクトップを睨みつけている。晶穂はひそひそ声で彼女に話しかけた。

「美貴ちゃん、決まらないの?」

「うん……。取りたい科目がだぶっちゃっててさ、どっちを諦めるか迷ってる」

 ショートボブの美貴はスポーツ女子だ。小学生の頃からバスケットボールをやり続けているらしい。彼女のパソコン画面上には二つの科目にチェックが入っている。どちらも木曜日の同じ時間のものだ。

「……運動指導論と栄養科学。文武両道だね、美貴ちゃんは」

「将来は体育の先生か指導者になりたいから。……教員免許も取れる大学だしね」

 美貴は照れ笑いを浮かべ、再び画面に目を向けた。数分間悩み、栄養科学を選択する。運動指導論は来年取るつもりだと言った。

 そうして履修登録を全て終え、二人は連れ立って建物を出た。八号館と呼ばれるそれは、重要文化財級の古さを有する建築物らしい。その中に現代機器のコンピューターを入れてしまうのだから、これがユーモアなのかどうなのかも判然としない。

 晶穂の斜め前を伸びをしながら歩いていた美貴は、くるりと後ろを向いた。

「終わったぁ~。あ、でも明日からは仮講義か」

「ちゃんと履修科目が決まるのは一週間後だもんね。それまではお試し期間」

「晶穂は出るの? 講義」

「うん、そのつもり。一応、正規の講義に入ってるし。必須科目は決定してるようなものだしね」

「そっか。わたしは、必須以外は今週出ないかも。バスケの大会も近いし」

「今から練習?」

 美貴の肩にかかったスポーツバッグを見て、晶穂は微笑んだ。美貴は首肯し、さっと手を振る。

「そう。大会、来れそうなら見に来てよ! じゃ、またね」

「うん、頑張って」

 美貴を見送り、晶穂はリドアスに戻るために校門を抜けた。




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