第107話 初デート
水族館は、最終日というだけあって混んでた。夏休み中の子どもを連れた家族連れが多く、小さな彼らにぶつからないように歩かなくてはならない。建物に入る前からこの人出だ。
受付嬢の猫人は、きりっとした目の美人だ。波をイメージしたと思われる青の制服を着ている。順番が来て、リンと晶穂は受付の前へと進んだ。
「いらっしゃいませ。ようこそ、アラスト移動水族館へ」
「大人二枚、お願いします」
「はい。……こちらがチケットです。入り口で係の者に見せてくださいね」
受付を済ませたリンと晶穂は、順路に沿って通路を進んで行く。
晶穂は、胸元に大きなリボンのついた水色のファンシーなワンピースの上に透けるほど薄い生地の白いカーディガンを羽織った。以前かわいい似合うとサラに言われて買ったものだったが、着る機会が無くて箪笥の肥やし状態だったのだ。髪はそのまま流した。ふわり、と風になびく。
リンは濃い緑のシャツに薄手の黒いパンツ姿。これは自室にいた時とそう変わらない格好だ。誰かとおしゃれをして出かける、という経験も用事もなく、相応の服を持っていない。
館内は薄暗い。海の中をイメージしてか、青っぽい照明器具が使われているようだ。
並んで歩きながら、展示されている魚を見て回る。丸い水槽や小さな水槽、巨大で壁のような水槽など、様々な場所で海の生物が客を出迎えてくれる。
「すげぇなこの魚。深海で、自分で光って獲物を引き寄せるんだ」
「こっちのは、逆に浅瀬に住んで小魚を狙う甲殻類。……おっきなエビに見える」
「あっちで言う所のマンタだな。よく水槽内でぶつからずに泳げるな」
大きな水槽の前に立ち、二人は魚を見ながら感想を言い合った。水槽は照明で照らされ、まるで幻想的な夢世界のようだ。その世界にたった二人でいるように感じられ、晶穂は隣のリンを盗み見た。
「こんな時間が、ずっと続けばいいのにな……」
「何か言ったか?」
「ううん。何でもない」
ふるふると頭を横に振り、晶穂は微笑んだ。その時、館内アナウンスが流れる。
「皆さま、お待たせいたしました。これより十分後、特設ステージにて海獣ショーをご覧に入れます。是非、お越しください」
「あ、向こうで海獣ショーをやってるんだって!」
晶穂はぱっと顔を輝かせた。雰囲気を誤魔化すためではなく、この移動水族館の目玉の一つが見られるのだ。ぱたぱたと少女のようにはしゃぐ晶穂に苦笑しつつ、リンはその小さな背を追った。
イルカに似た海獣が宙を舞う。トレーナーの命令に従って芸を披露すると、観客からは惜しみない拍手が贈られる。水しぶきが容赦なく客席を襲った。
「水族館のショーなんて、初めて見た!」
「そっか。施設育ちだもんな。差はあれ、そういうイベントがない所だったのか」
「うん。余裕のある場所じゃなかったし。……でも、リンと初めて来られて嬉しいよ」
満面の笑みでそう答える晶穂に、リンは聞こえないように呟いた。
「……俺も」
「?」
「何でもない」
ショーが拍手喝采の内に終了し、リンは「行こう」と晶穂を促した。
その背について会場を出ると、小さな子供たちも親に連れられてはしゃぎながら出て行くところだった。どの子も目をキラキラと輝かせ、手をつなぐ父親や母親にショーの感想を伝えているのが分かった。
「あのね、じゃっぱーんって、とんでたね!」
「うん! おっきいのどっかーんで、すごかった!」
二人はショー会場を離れ、南の海の魚達の展示スペースで立ち止まった。熱帯魚に似た魚が群れを作っている。水槽の底ではイソギンチャクがカラフルな姿で揺れている。
リンが腕の時計を見ると、午後五時前。あと一時間ほどで閉館となる。
「晶穂、あと何か見たいものはあるか?」
「あ~、もうすぐ閉館時間なんだ」
「あと一時間ってところだな」
タイムリミットを告げられ、晶穂は考え込むように顎に指を当てた。
「うーん。……あ、じゃあ」
晶穂が何かを言いかけた時、通路の方から多くの人の足音が近付いて来た。
「ねえ、最後にエージの集団散歩が見られるんだって!」
「エージっていったら、絶滅危惧種の海獣でしょう?」
「よちよちあるきでかわいいの! おかあさん、いこっ」
「えっ……。っ、晶穂!」
「り、リンっ」
展示スペースの真ん中で立ち止まっていた二人は、人波に押され、別れ別れになってしまった。
「……どうしよ」
人の群れに押し流され、晶穂はアラスト近海の展示スペースまで戻って来てしまった。ちなみにこの場所は、水族館の順路からいえば最初の方だ。入り口からゆっくり歩いても十分以内に到着する。そして晶穂がリンと共にいたはずの場所は、ここからゆっくり歩いて直線距離で三十分はかかりそうな場所にある。しかも、現実の道は直線ではない。迷路のように入り組んでいるのだ。
つまり、完璧にはぐれた。
「ま、まずはなんとかあそこに戻らないと……」
閉館時間が迫っている。このまま外に出て出入り口で待っていれば会えるはずだ。けれど、それではここへ来た最終目的を果たせない。晶穂は、リンと二人で見たい展示があったのだ。次にこの移動水族館がアラストに来るのが、いつかなんて分からない。
会いたい。
晶穂は人波を縫うようにして、リンを探して通路を戻った。
「……参ったな」
リンは頭をかいて、息をついた。目の前ではペンギンに似たエージという生き物が行進している。それをきゃっきゃと子供たちが追いかけている。
南の海の展示スペースから一部屋分離れた場所。出口に一歩近付いている。エージ達はここから入口方向に向かって進む。パレードの終わりは、閉館と共にある。
なんとかして、閉館時間までに晶穂と再会しなければならない。彼女は、リンに何かを言いかけた。きっと、この水族館で見たい展示があるのだろう。それを見せてやりたかった。そしてそれを、自分も隣で見たい。
「何処まで行った、晶穂……」
リンはエージと子供たちにぶつからないよう気をつけながら、速足で晶穂が流されていった方へ足を向けた。
朝焼けが迫り来る頃。眠気眼をこする子供達を起こし、大人は荷造りを始める。
「さあ、そろそろ帰るよ」
「みんな、帰る準備だ」
ジェイスと克臣がテントを畳みながらそう声をかける。すると案の定、方々から不平不満の叫び声が上がる。主に、子供たちの物足りないという声だ。
「ええっ」
「まだ遊ぶぅ」
「だめ。もうすぐ学校も始まるよ?」
「や~だ~」
駄々をこねる子供をなだめすかし、ジェイスたちは汽車に飛び乗った。
「なあ、ジェイス。あのトレジャーハンターっていうやつは」
「ああ、エルクか?」
「そうそう。もう、どっか旅立ったんだっけ」
「何処に行くかは知らない。けど、連絡先はくれたから、向こうも必要があれば連絡してくれるだろ」
「……銀の華に関係することが、か」
「ああ」
ジェイスは車窓から見える南の海を眺めつつ、頷いた。
汽車のスピードと比例して、海辺はどんどんと遠く見えなくなっていく。
子供たちはここ五日で遊び疲れた反動なのか、座席に体を預けて寝入っている。ユーギもユキも春直も、ぐっすりと身を寄せ合って眠りこけている。
「……よく寝てら」
「そうだな」
克臣は大欠伸を一つして、座席の背をギシッといわせた。
「俺も寝る。着いたら起こせ」
「了解」
「……なあ、リンはうまくやったかな?」
「さあな」
ジェイスは苦笑し、克臣は察して声もなく笑った。
急速な進展なんて、ないだろ。あの二人に限って。
ジェイスと克臣の総意は、大体そんなものだ。
数時間後、アラストの見慣れた景色が見えてきた。
そろそろ皆を起こさなければ。
ジェイスは半分まで読んだ文庫本を閉じた。
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