第106話 留守番最終日

 四日目の昼過ぎ。明日の午前中にはキャンプ組が帰ってくる。

 ここ数日は大きな事件や問題が起きることもなく、平穏に過ぎていた。事件と言えば昨日の市場での出来事と、今朝の襲撃くらいのものだ。

 晶穂はちらり、と廊下の最奥にある部屋のドアを見た。ワイパーに専用シートをつけて床を掃除していた時のことだ。

「また、籠ってる」

 最奥にあるのはリンの部屋だ。昼食を食べる前も後も、部屋で調べ物をしている。銀の華をアゴラと名のる男とその仲間に奪われる前に見つけ出すのだ、と古い資料を当たっている。

 賑やかなメンバーがいない今ならゆっくりと調べ物をするのに最適だ。しかし、籠りっぱなしでは体に良くないと思う。毎朝剣の修行のために外に出ているとは言っても、だ。

「わたしにも、出来ることないかなぁ。調べものとか手伝いたいけど、要らないって言われるし」

 手を煩わせたくない、と遠慮される。父の遺したものだから自分でやりたいのだ、とも。

 だから晶穂は、小休憩の時に飲み食べしやすい紅茶やお菓子を差し入れる役割に徹してる。今日は何を作ろうかな、と考え手を動かすのは楽しい。

 けれど、それでは足りない。

 不安なのだ。

 自分だけがこんなにももどかしいのだろうか。そして、これは自分が異常なだけだろうか。

 リドアスにいるのが自分とリンの二人だけなのだ。日常業務の全てが二人に振りかかる。しかしそれも些細なものだ。午前中には終わる。

 いつ戦わなくてはならない時が来るかも分からない。それに向けての中休みなのだ。

 そうは分かっていても、このもやもやと整理出来ない気持ちはどうしようもない。

(リンは、わたしのことをどう思ってるんだろう……?)

 晶穂はワイパーを片付け、お茶の準備を始めた。

 外はまだまだ暑い。夏なのだ。夏休みはもうすぐ終わるけれど。

 この暑さを少しでも和らげ、それでいて心を癒せる場所にリンを誘いたかった。

 水出しコーヒーにミルクをつけ、棚にあったレモンのパウンドケーキを二切れ切った。

 パウンドケーキは昨日の夕方作ったものだ。市場から帰って落ち着いてから、リンに対するお礼として作ると決めた。

 切ってみるといい具合に生地がしっかりとして、粉糖がガラスのように輝いた。


 銀の華について書かれている史料は少ない。

 否、ほぼないといっても過言ではない。

 リンは入手出来たのは、父・ドゥラが遺したものと口伝えの伝説のみ。その伝説というものもあいまいで断片的なものだ。仕方がないため、そこに自分の推察を加えていく。

(誰か、もう少し詳しい話を知らないものか……)

 朝からこの作業を続けている。本とネットを調べる作業だ。図書館でも調べ、館長にも尋ねた。ネットは地球の技術を拝借して、こちらの技術者に願って構築してもらった。魔力を使ってつなげるタイプのものだ。少しずつ普及しているらしく、見られるページは日に日に増えていく。館長には「ここにはそれ以上の情報はありませんよ」と言われてしまった。

「……はぁ」

 時計を見ると午後二時前。そろそろ晶穂がここにやって来る。何もしなくていいとやんわり拒絶してから、彼女はこの時間帯になると飲み物とお菓子を持って来るようになった。

 大抵、この頃になると頭が休憩を欲する。とてもありがたいサービスだ。

 それとは別に、晶穂と過ごす時間はリンにとっての癒しだ。

 特別な関係になったとはいえ、どう扱えばいいのかも全く分からない。市場で暴漢に襲われていた彼女を助けた時は、頭に血がのぼってどうやって倒したのか覚えていない。しかし男たちは伸びていたから、拳と脚で伸したのだろう。それから泣いている彼女を抱きしめて……。

 そこまで思い出して、リンは心臓が早鐘をつくのを感じた。頬が熱い。

 ああ、と思う。感情が先走って、いけない。

 これまでとは違い過ぎる。何もかも。

 リンは首を左右に激しく振って、感情を落ち着かせようとした。

「落ち着け、俺。今すべきなのは、銀の華について調べ探すことだろう?」

 深呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻した頃、部屋の扉がたたかれた。

「リン、お茶」

「ああ」

 晶穂が持って来たのは、水出しの冷たいコーヒーとパウンドケーキだ。使い過ぎでヒートした頭には丁度いい。礼を言って受け取り、一口飲む。ミルクを入れても入れなくても飲めるのだが、今はブラックの気分だった。

「どう、進んでる?」

「いや、分かることが少な過ぎて進んではない。もう少し分かればと思うけど……。このままじゃ、先を越されちまう」

 焦りを覚えるリンを見つめ、晶穂がもの言いたげな顔をする。

「……どうした?」

「あの、リン。……気分転換しない?」

「気分転換? 何処で」

 リンは思う。お前といるのが一番の気分転換だと。口には絶対に出せないが。

 晶穂はごそごそとスカートのポケットから封筒を取り出した。その中身を出してリンに見せる。

「……アラスト移動水族館?」

「そう。昨日、八百屋の店長さんに貰ったんだ」

 アラスト移動水族館とは、魔力で浮遊する水族館のことだ。アラストで始まったらしいが、今では大陸を縦横無尽に移動して各地で水族館を開いていると聞く。移動式とは思えない広い館内では、川や海の生物がたくさん見られ、老若男女の小さな観光地の一つだ。

「今はこの近くに来てるんだって。しかも今日まで。……一緒に行けないかな?」

 リン、ずっと調べものしてるし。心配だよ。

「……」

 そんなにかわいい顔をしないでほしい。リンは心の中で叫んだ。目を伏せて不安げに揺れる瞳。これは作戦なのか、と疑いたくなる。しかし彼女にそんなスキルはない。これは天然なのだ、始末に負えないことに。

 確かに、このまま部屋で呻っていても一向にはかどらない。分からないことが多過ぎて頭痛もする。リンは気分を変えるため、晶穂の提案に乗ることにした。

「わかった。行こう」

「うんっ」

 こうして二人のほぼ初めてのデートは幕を開けた。

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