第105話 侵入者

 複数の男に囲まれた恐怖感が落ち着き、晶穂は別の緊張を強いられていた。

 体が震えなくなり涙が落ち着いたことも分かるはずなのに、リンが晶穂を解放してくれないのだ。しかも黙ったままであるせいで、余計に彼が何の意図をもってこのままでいるのかが分からない。

「あ、の。もう、大丈夫、だよ……?」

「…………わかってる」

 そう低く呟くように応え、リンは晶穂の背にまわした手に力を込めた。

 ドクン

 大きく心臓が跳ねた。リンの体が晶穂と密着する。熱い。

 喉がからからに乾き、声が喉の奥に閉じ込められて出て来ない。晶穂はどうにか「もう大丈夫」だと伝えようと思うのだが、リンに抱き締められて緊張が止まらない。

 そのままの状態でしばらく経ち、晶穂はリンの肩がわずかに震えていることに気が付いた。と同時にリンが重い口を開く。一言一言、吐き出すように。

「…………心配した。なかなか帰って来ないし」

「……うん」

「市場覗きに来たら、お前が危ないって果物屋のおばさんにせっつかれるし」

「うん」

「行ったら行ったで、やくざみたいなのに囲まれて、こっちがどんだけ焦ったか知らねえだろ……」

「………ううん。来てくれて、どれだけほっとしたか。わたしが泣き止むまでずっといてくれて、今もこうしていてくれて、どれだけ嬉しいか。……リンにはわかる?」

「……少し位は、わかってるつもりだ」

 帰るぞ。

 うん、帰ろ。

 リンは晶穂を立たせると、彼女の前に立って歩き出した。晶穂はその後をついて行く。

 すぐに買い物籠の存在を思い出して木陰から持ち出した。それはリンに奪われる。

「持てるよ、それくらい」

「知ってる。でも、今は俺に持たせてくれ」

 籠の中身は野菜や果物、肉類や魚介類だ。仲間たちをもてなす材料。

 リンに気遣われ、助けられて嬉しい反面、決して手を取ってはくれないことに、晶穂は一抹の不安を感じていた。それだけのことと言えばそうなのだが。

 二人が市場に戻ると、果物屋の女主人が駆け寄ってきた。猫の耳がぴくぴくと忙しく動いている。

「あ、二人とも。大丈夫だった? 晶穂ちゃん」

「はい、おばさん。……リンが来てくれましたから」

「ふふっ。さっすが銀の華の団長ね!」

「いって。背中思いっきり叩かないで下さいよ……」

 バシン、といい音がリンの背中で鳴った。騒ぎを聞きつけた幾つかの店の主人たちもわらわらと集まってくる。

「なんだ、嬢ちゃんだけかと思ったが」

「団長じゃねえか」

「お目付け役が留守だからって、ハメ外すなよ?」

「……外しませんよ」

 中には先程の乱闘を見物していた者がいたらしく、リンの脇に肘鉄をくらわせる犬人もいた。

 わいわいと真夏の熱気を束の間忘れんと、賑やかに好き勝手喋る主人たちの相手に追われていたリンと晶穂。彼らをじっと見つめ目があることに、二人は全く気付かなかった。

 その目は、喫茶店の外に置かれたベンチに座る男たちからのものだった。一人は、氷風を操りつつアイスコーヒーをすする者。そしてもう一人は、緑色の蜜をかけたかき氷を頬張る者。それぞれがぎらついた強い目を持っている。

「……兄貴、聞いたか?」

「ああ。あいつが、有名な『銀の華』の頭分か」

「オレ達が探してんのは、本物の方ですがね」

「……どちらでも同じことだ。あいつを調べれば、本物に辿り着けるかもしれん」

 恰幅の良い男は、弟分の痩せ形の男に粘ついた笑みを見せた。 




 早朝。リンはいつものように中庭で剣の鍛錬に勤しんでいた。

 まだ日も昇っていない時間帯だ。二日に一度のペースで晶穂も一緒にするのだが、今日は昨日の疲れもあるのか起きて来ていない。怖い思いをしたのだ。リンとしては、少しでも眠って忘れて欲しいと願っている。

「……誰だ」

 リンは剣を振る手を止めて、周囲を睥睨へいげいした。何かの気配を一瞬感じたのだ。

 彼は一点を見つめて動きを止めた。そこは建物の角。死角になった場所に誰かの気配がある。

「……出て来い」

「やれやれ。まさか見破られるなんてな。恐れ入りました」

 軽く首を左右に振って姿を見せたのは、商人でもしていそうな人懐っこい顔の男だ。彼は頭を軽く下げ、にこやかなままで名のった。

「お初にお目にかかります。私の名はアゴラ。銀の華の団長、リン殿で間違いないですか?」

「……だとしたら?」

 リンは眉間のしわをそのままに、アゴラと名のった男を睨みつけた。

 アゴラは笑みを深くした。その笑みに薄ら寒いものを取り交ぜて。

「……あなたに、お聞きしたいことがあるのです」

「悪いが、無法者に答える義理はない」

「無法者、ですか」

「そうだろう。不法侵入だ。……だが、お前、このリドアスにどうやって入り込んだ?」

 リドアスは、銀の華の本拠地だ。メンバーの者は問題なくどの入口からも入ることが出来るが、関係者以外が入ることが出来るのは正規の入口からのみ。中庭に続く扉は外付けのものがあるにはあるが、勿論そこにも魔力で特殊な鍵をつけている。無関係者を弾く鍵だ。

 そうであるにもかかわらず、アゴラは何の苦労もなく侵入している。リンと晶穂しかいないとはいえ、これは非常だ。

 リンの問いに直接は答えず、アゴラは魔力で剣を取り出した。どこにでもありそうなデザインのものだが、そこにまとわされた魔力は強い。黒い柄を持ち、男はリンを見つめた。

 アゴラは微笑み、切っ先をリンに向けた。

「……ふふ。団長殿、銀の華の在りか、ご存知なら教えてもらえませんかね?」

「俺は知らな……っくそ!」

 キン、と刃が交わる音が響く。

 その一太刀で、アゴラの力量が知れる。この男は、手練れだ。百戦錬磨とは言わないが、相当の場数を踏んできたのだろう。きな臭さも伴って。

「くっ……。お前、堅気じゃねえな」

「ふふ。ほらほら、口を動かしてる余裕があるんですか?」

 何度も何度も、アゴラの剣がリンを襲う。全てしのぎ切ってはいるが、少しずつ追い詰められているのがリン自身にも分かった。

 一度、距離を取らないと。

 リンは後方に跳び、体勢を整える。中庭には二人の気配しかない。晶穂がこの騒ぎに気付く前に片をつけなければならない。

「お前が知りたいのは、銀の華の在りかだと言ったな?」

「ええ。おかしらが探されているのですよ。私共は情報収集をしています。……同じ名を持つあなた方なら、その存在場所を知り、なおかつ所持しているのではないですか? あの、幻の花を」

「……知らない」

「ほお」

 もう一度、アゴラの攻撃が来る。リンは剣で応戦すると、魔力での遠距離攻撃に切り替えた。剣ではいつか、一撃を食らう。

 魔弾を軽い動きで避けたアゴラは、嘆息してみせた。

「知らない、というのは嘘ではなさそうですね。残念です」

「……今は、知らない。けど、お前たちより早くに見つける」

「私たちより早く、ですか?」

 アゴラは目を瞬かせると、くすりと笑った。

「では、楽しみにしておきましょう。私共とあなた方、どちらが早く銀の華を手に入れるのか」

 アゴラはそれだけを言い捨てると、一陣の風を巻き起こした。それが剣で起こされたものであったことに、リンは彼の姿が見えなくなってから気付く。振り下ろした刃で地面を浅く割っていた。

 リンは舌打ちをして剣を一閃させた。今の自分では真正面から彼らとぶつかれば、やられる。

(……俺たちは、ダクトを斃し、古来種とわたり合った。それでも、上には上がいるのか?)

 ソディールで一二を争う強さを身に着けたのではないかという幻想は、そのまま幻想だったようだ。自分の自尊心に嫌気が差す。単に、自分が一人では弱いということなのだろうが。

 相手の正体は分からなかった。しかし、リンたちに危害を加えかねない存在だということだけははっきりとしている。

 がむしゃらに剣を振り回していたリンは、背後に近付く気配を感じて勢いのまま振り返った。

「きゃっ」

「え、あ……晶穂、か」

 切っ先を向けられた晶穂が、びっくりして目を丸くしている。長い髪を後頭部で結んでいる。ショートパンツにTシャツ姿なのは、矛の修行をしに来たためだろう。手には聖血の矛ではない方の矛を持っている。リンがジェイスに頼んで渡してもらったものだ。前者は晶穂の命をかけるが、後者は少々古い普通の武器だ。

「すまん。……また、誰か来たのかと思った」

「……誰か、来たの?」

 途端に不安な顔になった晶穂に苦笑して見せ、リンは「ああ」と頷いた。

「何処の所属かは分からん。けど、アゴラと名のった男だ。銀の華の在りかを教えろと言われた」

「銀の華って……ここのこと?」

「いや。どうやら俺が今調べてる方の銀の華だ。幻の」

「……それ、手に入れてどうするんだろう」

「さあな。あいつらの親玉が叶えたい願いを叶えるんだろう。……あの力で解決しようっていう態度から察するに、あんまりいい願い事じゃなさそうだがな」

「怪我、したの?」

 そっと、晶穂がリンの腕に触れた。温かい手だ。外気で少し冷えたリンの腕を温めてくれる。

 それ以上に、触れられている部分から熱が全身に広がっていく気がしていたが、リンはその不穏な気持ちを体の奥へと押しやった。晶穂が真剣に自分を案じているのだ。そこにこんな無粋な感情はいらない。

 リンは全力で平静を装い、笑って応えた。

「怪我はしてない、大丈夫。ちょっと一戦交えただけだ。……お前を巻き込まなくてよかった」

「……わたしだって、無力じゃないよ?」

「うん。俺の我儘だ」

 リンに笑いかけられ、晶穂はほっと胸を撫で下ろした。

 実は中庭に向かおうと歩いていた時、目的地から刃物同士が打ち合う音が響いていた。リンがそこにいるのかを知っていたのだが、相手の気が強過ぎ、晶穂をその場に縫い付けた。

 誰にも邪魔はさせない、という気迫。目的遂行への強情。晶穂はそれらに恐怖した。

 自分が行っても足手まといにしかならないことも分かっていた。

「……独りに、ならないでね」

 銀の華を求めてリンが消えてしまわないように。晶穂はリンのシャツの袖を握り締めた。

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