第100話 留守番初日
キャンプ計画実行日。早朝、ジェイスと克臣を先頭に、十数人が玄関ホールに集まっていた。その中にはユーギやユキ、春直の姿もある。また明人を抱きかかえた真希もいた。
誰もが大きめのリュックサックやスポーツバッグを持ち、わくわくとした表情で集まっていた。
克臣は見送りに出て来たリンの頭をわしゃわしゃとかき回した。
「じゃあ、ここのことは頼んだぜ。リン」
「分かってますよ」
「リンのこと、頼むね。晶穂」
「……いってらっしゃい」
ジェイスの微笑に乗せられ、晶穂もぎこちない笑みで頷く。
リドアスに残る留守番はリンと晶穂の二人だけだ。
サラはエルハの所に行っており、他の数家族もそれぞれ避暑を兼ねた休暇に出ている。遠方調査員たちは任務遂行の合間をぬって遊んでいるらしいため、問題はない。
リンは内心、はめられたと思っていた。羞恥心でこれから五日間、どう過ごしていけば良いのか見当も付かない。と同時に、この状況を作り出した兄貴分二人に感謝もしている。晶穂と二人きりで過ごす機会を全く設けて来なかった自覚がある。その穴埋めが出来るかもしれないとも思うのだ。
ジェイスから旅行日程の詳細を聞くリンの様子を横目で見ながら、晶穂は昨日帰宅したサラとの会話を思い出していた。
「で、どうなの? 団長とは」
「……どう、と言われても……」
それは夏の暑さが和らぐ夕刻。晶穂はサラと共に彼女の部屋で談笑していた。
猫人であるサラの耳は、期待するようにぴんっと立っている。何事も聞きもらすまいとしているようだ。
晶穂は彼女の期待に満ちた目から逃れるように少し視線を外すと、ごにょごにょと聞き取り辛い声で言った。
「……も、……いよ」
「何て? 聞こえないよ」
「……何も、ないって言ったの!」
「ウソでしょ! あれだけみんなに宣言しておいて!」
サラの耳どころかしっぽもぴっと立ち上がる。晶穂はサラの勢いにおののきつつも、顔を真っ赤にしてその『宣言』を思い出していた。
「『……俺、自分の気持ちに決着をつけました。俺は、晶穂が好きで……晶穂も、俺を好きだと言ってくれました』だっけ?」
「……セリフ、全部言わないで。恥ずかし過ぎる」
「あ~んな赤面物のセリフ、あたしもエルハに言われたことないよっ」
首まで真っ赤にした晶穂をからかうように、サラはイシシと笑う。
「堅物でクールな団長だって思ってたけど、好きな女の子に関することになると人が変わるんだねえ」
「……わたしだって、好きになるなんて思ってなかった」
「しかも初恋なんでしょ?」
「……そうだよ」
晶穂は施設で年下の子供達と一緒に育ったせいか、異性に特別な興味を持つことなく過ごしてきた。そんな自分が、男の子に心の底から恋をするなんて未来を想像出来なかった。
「初恋でこんなラブラブなんて……見てるこっちが火傷しそう」
「サラに言われたくないよ」
「何のことかなぁ?」
サラはとぼけるが、エルハとサラが結婚するのではないかという噂は随分前から飛び交っている。二人ともそれを否定も肯定もしないため、噂が噂を呼ぶ状態だ。
それに二人は、所構わずいちゃつく。この前は中庭に鍛錬に出ようとしたリンが戸を開けた途端に閉めるということがあった。「……部屋でやれ」という独り言と赤面具合から、通りがかったジェイスが再び中庭を覗いて、
「二人とも、公共の場だからそれ以上の密着は部屋でやってね」
と苦笑いで注意していた。
どの程度のいちゃつき具合だったのか、晶穂は気恥ずかしくて尋ねられていない。
「あたしのことより、晶穂だよ」
「だから、何も無いんだってば……」
「でもっ」
サラがぐんっと身を乗り出す。気圧された晶穂が思わず顔を引きつらせると、サラは晶穂の両肩を掴んだ。
「アイス、間接キスしたって聞いたよ?」
「う……」
「まさか、それ以外でしたことないとか言わないよね?」
「うっ……」
晶穂の赤面と無言を「したことがない」という意思表示として受け取り、サラは何度も
「……え。手をつないだこともないの? 恋人つなぎとか」
「……」
「そういえば、デートしてるとこも見たことないな……」
「…………すみません」
羞恥で居たたまれなくなり、晶穂は顔を伏せて謝った。
サラは信じられない、という感情を表面に出しつつも、晶穂を掴む手を緩めない。「だったら」と晶穂の顔を上げさせた。
「だったら、明日からの五日間はチャンスってことだよ」
「へ?」
呆気にとられる晶穂を尻目に、サラは指折り数えていく。
「『へ?』じゃない。誰もいないリドアスで、団長と二人っきり。普段はたくさんいる邪魔者もいない。朝から晩まで、それこそ四六時中いちゃつき放題。……これを機に、もっと先に進んでみればいいのにぃ」
「さっ……サラぁっ!?」
「……冗談じゃないよ? 晶穂、頑張りな」
素っ頓狂な声を上げて抗議する晶穂に不敵な笑みを返し、サラはぽんっと晶穂の肩をたたいた。
巨大なプレッシャーを晶穂にかけた張本人は、夜も明けきらないうちに出掛けて行った。何処に行くかは知らないが、エルハと共に過ごすらしい。その時にも晶穂の部屋にやってきて、あれこれとやるべきことを伝授して行った。
しかしそのどれも、晶穂は実行出来る気がしなかった。そして、実行する気もない。
本当は、誰にも知られていないだけだ。誰にも、リンにさえ気付かれていないだけ。晶穂は思い出してしまい、心臓が鷲づかみにされるような痛みを味わった。
出掛ける一行を見送り、リンは一度伸びをした。
「……さて。静かなもんだな……」
ちらり、と隣に目をやる。リンの隣では、晶穂が頬をわずかに染めてそわそわと視線を彷徨わせている。緊張しているようだ。
(そんなの、俺も同じだってのに)
リンは晶穂の手を握り抱きしめたい衝動を理性で押し留め、平静を装って声をかけた。
「……晶穂、提案っていうか相談なんだけど」
「えっ、う、うん」
「……これから五日、誰もいないからさ。食事とか他のこととか、二人で分担しようと思うんだが」
「あ、そうだね。うん、いいよ!」
全く自分を見ない晶穂に呆れ、リンは彼女の肩を掴んで強引に自分の顔を見させた。
「……目が合わないんだけど?」
「ひゃあっ」
「……(あー、かわいい悲鳴あげるんじゃないっ)」
めいっぱい見開かれた晶穂の瞳の中に自分が映っている。晶穂も自分も真っ赤なのが丸わかりだ。
内心悶えつつ、リンは食事当番と家事当番を一日交替として二人で務めることを決めることが出来た。それが決まってしまえば、あとはお互い自由だ。
「……じゃあ、俺は部屋にいるから」
「う、うん。わかった……」
これ以上二人きりでここにいれば、自分が何をしでかすか分からない。
そんな自分への後ろめたさを振り切るように、リンは足早に自室へと引き上げた。
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