第94話 春直の区切り

 その夜は賑やかだった。食堂は笑い声に溢れ、余興も催されて誰もが笑顔だった。リンも晶穂も銀の華の仲間たちから質問攻めにされ、笑顔を保持するのが辛くなるほどだった。

 そうした中、春直の姿を見失ったユーギは、ユキと共に食堂を抜け出した。

 誰もが宴会会場に釘づけの中、リドアス内は静かで物音一つしない。その中に、二人分の少年の走る足音だけが響く。

 タンタンタン。

 規則正しい足音は、リドアスの奥へと続いて行く。

「いた?」

「いないよ」

 そんなやり取りを数回繰り返し、二人は中庭に辿り着いた。そこにつながる扉に手をかけると鍵がかかっていない。誰かがいると見当をつけ、ユーギはゆっくりと扉を開けた。

 月明かりに照らされた中庭は、昼間とは装いが異なる。銀の光に草木が輝き、神秘的な雰囲気を創り出している。そんな中、ベンチに腰かけてぼおっと空を見上げている少年がいた。

「春直くん」

「……あれ、ユーギくんとユキくん?」

 春直はちょっと驚いた顔をして二人を迎えた。

「となり、座ってもいい?」

「うん」

 春直が少し体を横にずらす。そこにユキ、ユーギの順で座った。地面まで足が届かないユキは、ぶらぶらと両足を遊ばせつつ、春直を見上げた。

「どうしたの、春直くん。食堂にいないから、探したんだよ?」

「ああ、そうなんだ。……ごめんね、勝手にいなくなって」

「それはいいよ。……うん、ここの空気、冷えてて気持ちいいね。昼間は暑くてどうしようもないけど、今はいい感じ」

 暑さが苦手なユーギが伸びをして、二人に笑いかけた。ユキと春直も真似をする。確かに冷たく落ち着いた空気が口や鼻から中に入って来る。

「ぼく、昼間にここでかけっこするのすごく好きなんだ。ユキもよく誘うんだよ。春直くんも今度一緒にやらない? 今は夏で暑いから、もうちょっと涼しくなってから」

「うん……いいね」

「……」

(会話、続かないっ)

 ユーギの心の悲鳴を知ってか知らずか、春直はまた月を見上げて黙ってしまった。ユキはその視線を追い、「月、きれいだねえ」などと感想を漏らしている。

 会場に戻ろうと誘いに来たつもりが、それを切り出せる雰囲気ではない。何か思うことが春直にはあるようだが、複雑な問い方をすることが出来ないし考えもつかない。ユーギは観念して、夜の景色を見回してみた。

(あれ……?)

 春直の首もとに、見慣れない赤い紐がかかっている。「それ……」と指さすと、春直は素早くそれを手で握り締めた。

「あ、ごめん。取ったりしないよ? でも見たことなかったから、何かなって思って」

 気分を悪くしたならごめん。そう謝ると、春直は首を横にぶんぶんと振った。

「そうじゃないよ。こっちこそごめんね。……これは」

 春直が紐を首もとから出してみせた。それは案外長く、先には星の飾りがついている。銀色の小さな星が三つ重なり合ったデザインだ。

「きれー」

「ありがとう、ユキくん。これね、ぼくの家の跡から出て来たんだって。克臣さんが教えてくれた」

「え……」

 想定外の告白だ。ユーギは思わず硬直してしまう。親の形見だということだろう。しかしそれならば、ここに来た当時から身に着けていてもおかしくない。どうして今になってなのか。そう思って尋ねると、苦笑が返って来た。

「ふふ。実は、ぼくを村で探してた時に見つけたらしいんだけど、親がいなくなったことを改めて見つめさせるようで居たたまれなくて、渡せなかったって言ってた。事件の全貌が分かった今なら受け止め方も違うだろうって言って、昨日の朝、ぼくに返すって言ってね……」

 きらり。月光に照らされ輝く三つの星。それが示すものは、きっと春直の家族なのだろう。

 春直は、微笑みながら泣いていた。正確には泣くつもりは全くなかったのだが、勝手に涙が流れるのだ。仕方がない。

 慌てたのはユーギとユキだ。互いにハンカチはティッシュは、と気忙しい。それを目の当たりにして、春直は笑い声を上げた。心から。

(お父さん、お母さん。ぼく、ここでなら頑張れる。だから、見守っていて)

「さ、戻ろう!」

 春直の口から自然とそんな言葉が飛び出していた。




 その夜、春直は夢を見た。

 久しく見なかった、故郷の夢だ。

 故郷を半ば強制的に出て、長く経った気もするが、実のところはそうでもないのだ。

 夢の中で、春直は実年齢よりも幼かった。五歳位だ。

 お母さんもお父さんも、春直を慈しんでくれている。頭を撫でて、半開きの口からこぼした人参を笑いながら拾ってくれる。

(お父さん、お母さん……)

 そんな光景を、春直は少し離れた場所から見つめている。触れることも、ましてや話しかけることも出来ない。

 景色は本のページをめくるように変わっていく。

 次に見えたのは、村で一緒に遊び学んだ友人たちだ。かけっこが速かった犬人の男の子。いつも笑っていた魔種の女の子。そして、実の兄のように慕っていた人間の男の子。

 幾つもの場面が現れては消え、走馬燈とはこれかと春直に思わせる。


 みんな、みんな、いなくなってしまった。

 みんな、自分を置いて、何処かへ行ってしまった。

 探せども探せない。地上の彼方まで行っても会えはしない。

 それでも、と春直は思う。

 失ったものは大き過ぎる。小さな自分では抱えきれない。

 それでも、ぼくの道はつながっている。

 ぼくは、たった独りでも、みんなのことを覚えていられる。

 消えてしまったけれど、失ったけれど。

 全てなくなってしまったわけではない。

 きっと。

 次があるのなら、胸を張って会えるように。

 笑って、久し振りだね、と言えるように。


 春直は、反応を示さない自由な夢の幻たちに向かって手を振った。大きく、大きく。彼らに自分は見えはしない。そんなことは、百も承知だ。

 それでも、これは春直の区切りだ。

「またね」

 涙でぼやけた視界の端に、恋しい人々の笑顔が見えた気がした。

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