第91話 脅しのような

 シンは本当の姿に戻り、体をくねらせていた。

 巨大な竜を実体として持つシンは、封珠を覗き込んだ。ジェイスと克臣から聞いた作戦の実行役を任された興奮からは脱し、実行した今は冷静な気持ちで見られる。

 封珠の色はどす黒い。もともと美しい黄色をしていたが、ダクトを封じてから黒さが増した。そして少しずつ色を濃くし、めつの力を使う直前には、渦巻く魔力が台風や竜巻のようだった。

「うまく、いったかな?」

 シンは、雪山に残った一香に思いをはせた。

 同じ頃、一香は師であるリョウハンと共に、彼女の自宅近くにある洞窟に入っていた。若い頃にリョウハンが修行の場として使っていた場所であり、大地の力が噴出する聖地でもあった。

「力は届いたかい?」

「は、い。……思いっきり放ちましたから……」

 一香の体は汗でびっしょりだ。差し出していた両腕をだらりと下げ、ぺたんと地に座り込む。

 祈りにも似た滅の力は、一香が実家の蔵で見つけた書物に記されていた。奥義とも言われるそれは、禁術でもあるという。一人が聖地に立ち、もう一人が目標の前に立つ。同時に陣を描き、力を放つ。それが全てだ。

 今回の場合、封珠に再び封印し、その後に封珠ごと消し去る。

 奥義は魔力の消費が激しい。しばらくはまともに魔力を使えないという。それでも、一香とシンはその作戦を了承した。何度も念押しされたが、気持ちは揺るがなかった。

(守りたかった。自分の居場所を。そして、大事な友達を)

 囚われたという晶穂。彼女と彼女を助けに行った友人たちの無事を祈り、一香は両手を組んで目を閉じた。

  



 一瞬にして何かに包まれてしまった。そう気付いたのは、自分の周辺が暗闇に覆われてからだ。何処からか咀嚼音に似た音が響く。

「……俺を食っちまおうって算段か」

 魔力も実体も失おうとしているダクトは、魔力を残すリンの全てを飲み込むことで現世へのつながりをとどめようとしているのだ。

 ここで黙って食われるわけにはいかない。

「外に、出る」

 一歩踏み出そうとするが、足が動かない。まるで粘着質の罠にかかったようにぴったりと吸い付いている。焦る間にも咀嚼音は近付いて来る。

 しゃくしゃく……しゃく……しゃく……

 魔力も体力もクロザとの戦いで使い切っている。魔力を爆発させて空間を吹き飛ばすという芸当も出来ない。そう思った。

「……ここで、終わりたくはないんだがな」

 自分には、まだやらなければならないことがある。

 ジェイスや克臣たちとリドアスに帰らなければならない。ソディールの平和の一端もまだ守れてはいない。大学も卒業していない。

 何より、まだ、告げていない。その先も、未知数だ。

 リンは苦笑し、目を閉じた。意識を集中させ、外部の音を遮断する。ダクトがすぐそばまで迫っていることは承知している。

(最後の最後だ。……帰る、晶穂のもとに)

 リンは己の中に残る魔力全てを凝縮し、爆発させた。

 それは、ダクトがリンに迫るわずかコンマ五秒前。

 全てが白く染まった。

 全てが吹き飛ばされた。


 ドガアアアァァァッン

「リンッ」

 リンがダクトの黒霧に包まれてすぐ、それは大音量をたてて爆発した。

 晶穂は駆け出そうとしたが、背後からジェイスに止められる。

「待つんだ、晶穂」

「は、離してください! あそこに、リンが」

「分かってる。でも、君にまで何かあったら、わたしはあの子に言い訳も出来ない」

「……リン」

 もうだめだと項垂れる晶穂の耳に、克臣の弾んだ声が聞こえてきた。

「おいっ、あれって」

「あ、お兄ちゃん!」

 ユキが何かに手を振っている。晶穂はゆっくりと顔を上げた。

「……リ、ン……?」

 濃い煙が段々と薄まっていく。その中に人影が見えた。真っ直ぐにこちらへ進んでくる。

 晶穂は不意に立ち上がり、駆け出した。今回はジェイスも止めはしない。煙さに耐えつつ、晶穂はリンの前に辿り着いた。

 ぼおっと立ち竦んだリンは、目の前で瞳を潤ます少女を見下ろした。それが誰かを認識し、瞳の光が戻って来る。

「……あき……ほ……?」

「そうだよ、リン! わたし、晶穂だよ……」

 おかえり。

 そう言うと、晶穂はリンに飛びついた。リンも「ただいま」と応えて少女の頭をぽんぽんと撫でた。少し視線を外すと、ジェイスや克臣、ユキ、そしてクロザやゴーダの姿もあった。ほっと息をつき、リンは呟いた。

「よかった。みんな、無事か……ッ」

「え、リン?」

 晶穂は慌てて声を上げた。ぐらりとリンの体が前方にかしぎ、晶穂に寄りかかったのだ。首まで真っ赤にした晶穂が何度もリンに呼びかけるが、それに応える声はなかった。

 慌てる晶穂の後ろからジェイスが覗き込み、苦笑する。

「寝ちまったんじゃねえか? なあ、ジェイス」

「ああ、寝てる。安心したんじゃないかな」

「満身創痍だしな。精神に体が追いつかなくなったんだろ。晶穂、運ぶからこいつの傍にいてやってくれないか?」

「あ……はいっ」

 克臣がリンを肩に担いで歩き出した。その背にゴーダが近付く。

「この屋敷の一室を使って下さい。半壊を免れた部屋が幾つかあるはずですから」

「そうか、頼む」

 ゴーダはクロザに体を支えるための太く長い棒を手渡し、自分は克臣と晶穂を部屋へと案内するために足を引きずりながら歩き出した。


 ジェイスはユキを連れ、クロザと共に屋敷内をある場所を目指して歩いていた。決戦の舞台に姿を見せなかったツユを探してのことだ。

(彼女、ツユはダクトの魔力の供給を受けられなくなった時点で倒れている可能性が高い。助けられるならば助けてやりたいが……)

 自分の思考の甘さに笑いが込み上げそうになる。ジェイスは前を行くクロザの背を見つめた。体を自分で支えるのが辛いのか、ゴーダに渡された棒で体を支えている。何人もの人を殺めてきたとは思えないほど一途に歩んでいる。愛する者を救うためとはいえ、目的のためには手段を選ばない。ジェイスは、リンもそういう傾向を持つのではないかと密かに危惧していた。杞憂に終わることを望んでいるが。

 クロザは長く続く廊下を一度だけ左に曲がり、一つの扉の前で足を止めた。

「ここは?」

「……屋敷の聖地だ」

 それだけを呟くと、クロザはギギッと音をさせて扉を開けた。ぐるりと部屋を見渡し、一か所を見つめて硬直する。目を見開いて震え出す。

 彼の後ろからジェイスも顔を覗かせた。部屋の奥に祭壇が見える。祭壇の上には割れた珠が一つ。そして壇の前にはうつ伏せに倒れた人物がいた。赤い髪が背に広がり、血の気のない白い足の裏がこちらを向いている。

「ツユッ」

 棒に支えられていたはずのクロザはそれを投げ捨て、倒れ込みそうになりながらもツユの傍に片膝をついた。少女の上半身を起き上がらせ、肩を揺する。しかし幾ら呼びかけようとも、固く閉じられた目は開かない

「おい、起きろ。おいって」

「……診せてくれるかい」

 ツユの傍らに膝をついたジェイスは、有無を言わさず彼女の額に手をかざした。その後に口元に手をやり、呼吸の有無を確かめる。わずかに浅い息が手のひらに当たる。ジェイスはほっと張り詰めさせていた息を吐き出した。

「大丈夫。彼女はまだ生きてるよ。……まだ、って段階だけどね」

「ツユ……」

 安堵と困惑がない交ぜになった声色で少女の名を呼び、クロザはその細い体を抱き締めた。意識が戻らないツユは微動だにしない。なされるがままだ。

「……ジェイスさん。ツユさんはダクトが消えたから」

「ああ、そうだろうね。彼女の命をつないでいたのは良くも悪くもダクトだ。やつが消え去ったことで魔力も消え、ツユの病が再び進行し始めたんだろう」

 ジェイスはユキに克臣達のもとへ行くように命じ、少年が部屋を出るのを見送った。その後でもう一度クロザに近付く。きつくツユを抱き締めるクロザの耳元に、ジェイスは口を寄せた。

「……正直、彼女が目を覚ます確率は五分だ。君が彼女との余生を穏やかに、そして罪を償うために過ごすと約束するのなら、彼女が意識を取り戻す手伝いは出来るかもしれない。……どうだい?」

「ふっ。半ば、脅迫ですね」

「そうかもしれない。では、どうする?」

 ジェイスは立ち上がり、座り込むクロザに向かって手を差し出した。この手を掴むか掴まないか、その選択をゆだねて。

「…………。答えは、一つしかない」

「決まりだ」

 クロザは迷った末にジェイスの手を取った。

 白かったはずの祭壇の上には、赤い液体を流す出す割れた珠が無残な姿で転がっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る