第90話 黒幕

 キンッ

 何度も火花が散る。終わりの見えない戦い。

 リンは気力だけで体を支え、晶穂を顧みた。まだ目を覚まさない。

「隙ありっ」

「くっ」

 ドッという衝撃を腹に受け、リンは後方へとふっ飛ばされた。クロザの魔力が爆発したのだ。勢い良く壁に叩きつけられてリンは呻いた。それでもふらりと立ち上がり、残った魔力を体の一か所、手のひらに集めて放つ。それがこちらに近付いて来ていたクロザの胸にあたり、相手をふらつかせることには成功した。しかし、魔力の差は歴然としていた。

 本当に体力が残り少ない。そう自嘲しながらリンがまた一歩を踏み出した時、近くで「んっ……」という間の抜けた呻き声がした。

「……晶穂?」

「……リン……。来てくれたの?」

 リンが信じられないという表情で振り向くと、上半身を起こした晶穂がぼんやりとこちらを見つめていた。重い足を引きずりつつも駆け寄ろうとした瞬間、

「起きたか、神子。……矛を、聖血の矛を寄越せっっ!」

 クロザが渾身の力を持って放った魔力が晶穂に迫った。晶穂は咄嗟に矛を召喚して攻撃を払い、その爆風に吹き飛ばされかけた所をリンに背中から支えられた。

「ご、ごめんなさ……」

「話は後だ。この状況を切り抜けるぞ」

「……うん」

 晶穂は握り締めた矛の柄を胸の前に引き寄せ、頷いた。リンに会えて嬉しくて仕方がないのだが、今はそんな浮ついた状態ではない。気を引き締めた。

「リン、怪我っ」

 体を後ろに押しやられ、晶穂は改めてきちんとリンを見つめた。その全身に傷が走っている。悲鳴めいた声を上げる晶穂に、リンは「大丈夫だ」と弱々しく微笑んだ。

「約束した。みんなで帰る。それはたがえない」

「うん」

 ドクンと大きく跳ねた心臓を抱き、晶穂は後方に下がった。自分はクロザの獲物だ。それが前線に出れば敵の思うつぼとなる。晶穂は回復し切っていない己の力を苦く思いつつ、遠慮がちにリンの背に触れた。そこから温かな陽だまりのような力がリンを包み込む。

 晶穂の力だ。リンの力を少しでも回復させて高めたかった。

 リンは少し驚いた顔をしたが、唇の動きだけで「さんきゅ」と礼を言う。そしてそれ以上振り返ることなく、一直線にクロザに斬りかかった。

「うっ」

 勢いをつけたリンの剣戟は、クロザの意表を突くことが出来たらしい。咄嗟に受け流すことが出来なかったクロザが数歩後ろによろける。それを契機に、リンは魔力を剣先に込めて放った。

「おおおおぉぉぉっ」

「ぐあっ」

 クロザは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。そのままピクリとも動かない彼を見つめ、リンは荒く乱れた息のままその場に片膝をついた。

「リンッ」

 思わずといった様子で駆け寄ってきた晶穂の肩に前から寄りかかったリンは、びくりと体を震わせた彼女に構わず「はあ」と息を吐いた。熱い息だ。晶穂は両手をリンの背に回すことも出来ず、手に空を切らせた。

「お疲れ、リン」

「終わったか」

 ジェイスと克臣、ユキも汗だくでこちらへやって来た。そして晶穂の無事を喜ぶ。

 これで終わった。誰もがそう思っていた。

 その時、白一色だった室内に黒い霧状のものが蔓延し始めた。何事かと思う間もなく、そこにいた全ての人の頭の中に同じ声が響いた。

『使えぬ。全く使えぬな、おぬし』

「!?」

 聞き覚えがあった。でも、まさかと思った。信じられなかった。異常事態だ。リンたちは硬直した。気を失い倒れていたはずクロザがのろのろと立ち上がり、何かに操られたかのように首を垂れた。

「申し訳、ありません。……ダクト様」

「ダクト、だと」

 リンは驚愕に染まった顔を上げ、クロザを振り返った。クロザの周りだけやけに黒が濃く渦巻く。それがクロザの体内から生じていたのだと気付くまで時間を要した。

 ジェイスが唇を噛んだ。

「やはり、いたか」

「封印するだけじゃ、幻を飛ばすくらいは何てことなくやれちまうんだな」

 克臣の言葉を聞きながら、リンは彼の言葉を思い出していた。克臣は言った、クロザは騙されているのだと。ダクトにツユを救おうという意思はないのだと。それどころか、クロザは自身の命の費えにすることしか考えていないのだろう。

『おやおや、貴様たちもいたのか』

「ダクト……」

『こいつを利用し、神子を始め貴様らを滅しようと思っていたのだが、ワレの期待には応えなんだ。これでは、お前の女の命はワレが貰う』

「待て……。やめてくれ。ツユを失えば、オレは生きられん」

 クロザの哀願めいた言葉を、クロザは一笑した。

『契約は契約。聖血の矛を手に入れれば、ワレの願いもおぬしの願いも叶う。しかしそれが出来なんだ時は、おぬしの女の体をもらい受ける』

「くそっ……」

 悔しさをにじませるクロザの方を見やった後、ジェイスは一歩前に出た。

「ダクト、お前は最初からツユを助ける気は全くなかったのだろう? それどころか、彼女が言い続けられた年を越えても生きながらえてきたのには、お前の魔力が大きな役割を果しているのではないか?」

「お前、何を言っている?」

 クロザが狼狽した声を上げた。反対にダクトは何も発しない。ジェイスが更に言い募ろうとした時、彼らの背後からも声が響いた。

「そちらの人の言う通りですよ、クロザ」

「ゴーダ……生きていたのか」

 信じられないものを見る目でクロザが言った。克臣らとの戦闘で倒されたと思い込んでいたのだ。ゴーダの綺麗にまとめていた青黒い髪は下ろされ、右足を引きずっている。怪我だらけの体のまま、親友の傍らに膝をつく。

「やつ、ダクトに契約なんてものを守る必要性はない。何故なら、ツユの健康はあいつによって維持されていたのですから。何年も前から、彼女の強い力を自分の受け皿とするために」

 ゴーダは訥々とつとつと話し続ける。

「ツユの短命は、遺伝的な病気のためだといいます。効果的な治療法はありません。何故罹ったのかもわかりません。そんな想い人を抱えて途方に暮れる君を見つけ、ダクトは利用するために、嘘をついたのです」

「嘘、だろ……」

 クロザの呆然とした声に、ゴーダは首を横に振ることで応えた。

「ダクトは、狩人という組織を使い、魔種や獣人を滅亡させようと動いて来たそうです。それも、リン団長の弟を受け皿として。しかし彼の体がダクトの魔力に耐えられなくなる前に、代わりを見つけた。それが、ツユだったということです」

 一息で言い切り、ゴーダは深く頭を下げた。口調が砕けたものに変わる。

「ごめん、クロザ。これに僕が気付いたのは、ごく最近なんだ。そして確信したのは、ついさっき。ジェイスさん達に聞いてから。……気付けなくて、ごめん」

 がくん、と膝から崩れ落ちたクロザの肩を支え、ゴーダは息をついた。ここまで精神的ショックを受けてしまった幼馴染の姿を見たのは初めてだ。今まで、幼馴染としてではなく主従として関係性に線引きして来たことが悔やまれる。もっと近くで支えていれば、こんなことにはならなかったのではないかとも思える。しかし、後悔というものは先に立ってはくれない。

 今は思い出に浸っている暇も、後悔の念に苛まれる暇もない。ゴーダは顔を上げ、リンを見つめた。

「僕から頼みがあります、リン団長」

「……」

「これまで僕ら古来種がしてきたことは、謝って済むものではありません。自分たちの命をかけて償わなければいけないものです。一族を滅亡させてもきっと足りない。クロザはツユを、そして一族を救うためにしてはならない方法に手を出しました。止められなかった僕にも責任があります。……だけれど、今は手を貸して欲しいんです。ダクトという悪魔をこの世から消し去るために。もう二度と、操り人形にされる者を出さないために」

 黙ったままのリンたちに、ゴーダは深々と頭を下げた。黙したまま目を合わせあったリンたちは、一斉に頷いた。リンは敢えてゴーダとクロザに背を向けたまま、クロザの影に正面から向かい合った。

「―――ゴーダ、クロザ。俺は、晶穂を傷つけ、春直の故郷を消したお前たちを許すことは出来ない。どんな理由があれ、他人を傷つけて良いという道理はない」

 リンの言葉は、低く冷たく、ゴーダとクロザの胸に届いた。リンは続ける。苦々しさをはらんだ口調で。

「……それは、俺たちとて同じことだ。俺も目的のため、敵を、敵と思う者を倒してきた。そうしてきたことが間違いだとは思わない。守りたいもののため、それがどんな道に通じるかも顧みないのは同じかもしれないな」

「でも、無差別はいただけないね。関係のない人々を傷つけてしまったことは、深い罪だ」

 ジェイスの静かな言葉に、クロザは頷いた。ひどく、力のない動作で。

 リンは目を二人に向けぬまま、一歩踏み出した。その先でダクトが地を轟かすような笑い声を上げる。

『ふっ……ハハハハハハハハハッ! 面白い茶番劇であった』

「茶番、か」

『ああ、茶番である。しかし、ワレは気が短い。ワレはワレのため、貴様たちを滅しよう』

「……その前に、俺が貴様を再び封印し、存在を消してやる」

『笑止! 出来るものか。一度封印したと思い込み、ただ祠に封じていただけの怠け者に』

「……」

『ワレは何度でも生き返る。何度でも、ワレの理想を掲げ、世を滅亡させる』

「それを、必ず止める」

『ほお』

 黒い霧が笑ったようだ。かすかに揺れる。リンは剣を杖に持ち替え、十字の中心にある魔珠に自分の魔力を集中させた。歯を食いしばり、叫ぶ。珠が白く光り輝き、周辺を照らし出した。

「消えろッ、ダクトォォッ!」

 真っ直ぐな光線が、勢い良く飛び出した。滝のようにダクトに降り注ぐ。

『グッ』

 霧は苦しげに身をよじった。光によって半分以上は消え、あとは顔らしき部分を残すのみだ。そこに目のようなどす黒い闇が二つ灯った。それらは楽しげに細められた。

『面白い。ここまでワレの影を消したのはお前が初めて。……しかし、お前の魔力ではここまでが限界のようだ』

「くそっ……」

「リンッ」

 魔力を使い果たし、リンは膝をついた。どうにか杖にすがるようにして立ち上がろうとする。彼の背を晶穂が支える。触れられた部分から魔力が回復していく気がするが、それだけではダクトに対抗するだけのものにならないのは明らかだった。悔しさをにじませ「俺の力不足か」と呻くリンの耳に、不意にジェイスの囁き声が聞こえてきた。

 しかし、ジェイスがいるのはリンの後方だ。一メートル以上離れている。ダクトに困惑が悟られないよう気をつけつつ、リンはその言葉に耳を傾けた。

「……リン、聞こえるね? おっと、声は出すな。最後まで無言で聞いてくれ……」

 リンは頷くこともせず、ただじっとダクトを見つめた。ジェイスの話は十秒もかからずに終わった。その内容を理解し、リンは晶穂を押しのけて翼を広げた。満身創痍だ。それでも、兄に命じられた分の時間は稼がなくてはならない。

 余裕綽綽の風情のダクトは、霧を伸ばしてクロザや克臣らにも襲いかかった。クロザとゴーダを守るように、克臣とジェイス、ユキ、晶穂は彼らを囲む。晶穂の足元はしっかりとしている。鉄鎖はゴーダが鍵を使って取り除いてくれた。彼女はその手に矛を持ち、懸命に影を追い払う。

 影であるにもかかわらず、殺傷能力のある刃のような攻撃に、晶穂らは善戦していた。その間にもリンは本体からの攻撃を回避しつつ、その時を待っていた。

 ピリッ

 突然、空気が震動した。衝撃が走ったと言う方が正確かもしれない。ダクトが一瞬だけ動きを止め、苦しげに呻いた。

 ジェイスがいち早くそれに気付き、叫ぶ。

「今だ、リンッ!」

「オオオォォッッ!」

 瞬時に杖を剣に変えたリンは、迷いなく刃をダクトの影に振り下ろした。刃が届く直前、ダクトがニヤリと笑った。

「馬鹿め。実体のないワレを斬ったところで……ッ!?」

「馬鹿は貴様だ」

 静かに音もなく着地したリンは、さっと血振りをした。実体のないはずのダクトが一刀両断されている。ダクト自身も信じられないといった様子で苦悶している。影の切れ目からは黒い液体が滴り落ちている。それが床に水溜りを作る。水溜りが大きくなるにつれ、ダクトの影も形を失っているようだった。

『な……何故だ。ワレハ、実体ノナい……』

「その、まま、ならな……」

 リンは荒く整わない呼吸のまま、ダクトに向き直った。その傍に克臣とジェイスが立ち、それぞれの得物を向ける。

「残念だったなあ、ダクト。お前の実体は、確かにここにはない」

「だが、何処にあるのかをよく思い出してみることだな」

 克臣とジェイスの言葉に、ダクトはハッとしたようだった。霧を歪める。

『……貴様ら、封珠に何をしたッ』

「思い出したか。……そう、お前の実体はリドアスの封珠の中だ。それを一香とシンが封じていた訳だが。……彼女らが修行していた意味を、留守にしていた意味をお前は知らないだろうな」

『留守にしていたのは知っている。だからこそ、ワレハ、より強い魔力を愚か者共に注ぐことが出来たのだからな』

「……『愚か者共』か」

 クロザの自嘲を聞かぬふりをして、リンは続けた。

「二人はより強い封印の力を得るため、修行していたんだ。そして、その力がお前を滅する力となるように。……ようやく完成したその力が、お前に叩きつけられた」

(そうか。あの空間の揺らぎはその力の影響……)

 リンの言葉を聞き、晶穂は納得した。グラリ、キリリと神経を揺さぶるような震動は、魔力の静かなる爆発であったのだ。

 ジェイスは頷き、後の言葉を引き取った。

「一香は師匠の自宅から。そしてシンはリドアスに戻り、祠の前で魔力を放った。……二度と、お前は現世に現れることはあるまいよ」

『おのれえェェェェッ』

 ダクトは怒りに震え、最期の力を爆発させた。その矛先は、真っ直ぐにリンへと向かった。

「「「リンッ」」」

 三人分の悲鳴がこだました。

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