第86話 古来種の里

 ユキに先兵の相手を任せ、リンは古来種の里に降り立った。幾つもの住居が並び立ち、多くの人々が暮らす町であることが分かる。煉瓦や石造りの家がたくさん見られる。寒さ厳しい土地柄であることが影響しているのだろう。道は煉瓦で舗装されていた。

「けど、誰もいない、か」

 辺りを見回しても、人の気配がない。

 街並みの先に、他とは一線を画す建物があった。何世紀も前の欧州の城のようだ。中学や高校時代、日本の学校で読んだ歴史の資料集に載っていたな、と思い出す。

 きっと、あそこにいる。

 リンはユキと別れて初めて振り返った。弟の魔力の波動が消えたのだ。先程まで台風のようだったのに、今や静けさを取り戻している。戦いを終え、こちらに向かっているのだろう。そこにきっと、克臣とジェイスもいることだろう。

 克臣もジェイスも、リンを放っておいてはくれない。お互いが幼い頃からずっと一緒にいる兄弟のような存在だ。きっと、何を置いても手助けしに来る。しかしその気持ちは、リンも同じだ。

 彼らが追いつく前に、決着をつけるのは難しい。あまり心配をかけずに終わらせたいものだ。

 人気のない中央通りを進み、城とも言うべき建造物を見上げた。

 唐草のような蔓植物が青々とした葉を茂らせている。それらが壁面に絡みつき、建物に雄々しさを与えている。扉の前に門番はおらず、無防備だった。

「これは、どうぞご勝手に、ってことか」

 甘く見られたものだな、と自嘲する。ひっそりと人の気配も感じられなかったが、奥に魔力のわずかな気配が感じられる気がした。

 リンが一人内部に足を踏み入れると、しんと静謐な空間が広がっていた。玄関ホールの先は一本の廊下のみが存在し、左右に扉も窓すらない。外から見た時は縦に細長い建物だとは見えなかった。複雑に入り組んだ構造をしているのかもしれない。リンは迷うことなくその一本道を歩き出した。




「来たか」

 城の上層階にある小窓から、一対の目が覗いていた。腕を胸の前で組み、体の右半分を壁に預けている。真っ暗な室内からは彼の全身を見ることは叶わないが、窓から差し込む一筋の日光が表情の一部を垣間見せた。その紫に輝く瞳がゆっくりと細められる。

 彼にしてみれば、これでお膳立ては全て整ったことになる。聖血の矛を体に宿す少女を手に入れ、その矛の力を最大限引き出すための駒もやって来た。彼が求める薬弾は、矛が最高の力を出した時に最も大きな恵みを持つものとして顕現し得る。

「……そろそろ準備を始めるか」

 男は踵を返した。


 


「おかしい」

 城の内部に潜入してもうすぐ一時間が経つ。そうであるにもかかわらず、何処にも辿り着く気配がない。そして相変わらず人の気配もない。両壁は真っ白で、画もなければ傷もない。生活感は皆無。

 リンは立ち止まって目を閉じた。意識を集中させ、気配を探る。ほころびを、探る。

「……?」

 ふ、と瞼を開ける。違和感がある。空間の揺らめき。ぐるりと首を巡らせても、不自然なものはない。

 しかし、その何も無さが不自然だった。

「―――結界」

 唸るように呟く。この建物に入った直後に感じた魔力の気配は間違いではなかったのだ。晶穂をさらい春直を傷つけた時と同じく、クロザによって創り出された結界空間だ。外からの干渉を阻害し、内部にいる者を混乱させる。これを打破するためには、結界を創った本人を探し出して倒すか、それ以上の魔力で破壊するしかない。

 リンは自分の握り拳を見て自嘲気味に嗤った。自分の魔力は、銀の華の中でも少ない部類に属する。ジェイスやユキは勿論のこと、晶穂にも追い抜かれているのではないかなと自分では思っている。

 晶穂は生粋の人間だが、神子という性質上、強大な魔力を有すると確信している。幾度も、晶穂の魔力に助けられてきた。

 そんな強い晶穂を頼もしく思うと同時に、リンは彼女を危ない目には合わせたくないのだ。出来ることならば、聖血の矛を目覚めさせたくなかった。しかし、晶穂は自ら進んで前に出てくる。それを怖いと思ってしまうのは、自分の身勝手だろう。

 だからこそ、強くならねばならない。

 リンは大きく息を吸って吐き出した。雑念と思われる気持ちを鎮め、前を向く。腹に力を入れた。

「何処だ、クロザ。さっさと決着つけようぜ!」

 怒鳴ってみたが、返答はない。リンはそれでもかまわなかった。

 おもむろに来た道を振り返った。白く光って奥は見えない。リンは片方の壁に手をついた。そこから一歩分離れ、左足を軸にして蹴りを放った。

 ドガッ

 思い切りが良かったのか、壁面が崩れた。と同時に結界の壁が砕け散ったのが感じられた。かすかにパリンという音が響いた気がした。

 リンが軽く息を吐くと、ぱちぱちと一人分の拍手が聞こえてきた。背後に目をやると、見知らぬ青年が立っていた。クロザではない。青黒い髪を後ろでまとめ、垂れ目がちの緑の瞳は普段ならば柔和な雰囲気を醸し出すのだろうが、今この瞬間の彼の目は冷え切った刃のようだった。

 無言で身構えたリンに対し、青年はわずかに目を細めてゆっくりと唇を開いた。

「まさか、本当にここまで来るとは思いませんでしたよ、銀の華の団長、リン」

「抜かせ。お前らのボスが誘ってきたんだろうが。ご丁寧に人質まで取りやがって」

「悪い言葉遣いですね。そんな風では女性にモテませんよ」

「話をはぐらかすなっ」

 思わず赤面したリンは、腕を大きく広げて杖を召喚した。照れ隠しの気持ちもあったが、目の前の青年が古来種の里における重要人物であるという確信があった。

「……お前、誰だ」

「申し遅れましたね。この里でクロザの側近を務めるゴーダと言います。以後、お見知りおきをっ」

「くっ」

 ゴーダは自己紹介を終えると同時に右手を一閃させた。魔力を伴う風が生み出され、リンは杖から守りの壁を創造してそれを防いだ。

「……くっそ」

 無意識に呟いたリンは、内心で舌を巻いた。

(こいつ……ゴーダは強い。俺の魔力じゃ、太刀打ち出来ない……?)

 こんなところで足を止めている暇はない。本当に倒さなければならない相手は、こいつではないのだ。そして、迎えに行かなければならない人もいる。

「どうしたのです? まさか、逃げる気じゃないでしょうね」

「……逃げるかよ」

 ゴーダほどの魔力の持ち主ならば、リンの魔力が自分のものより少ないことなどお見通しだろう。それでもリンをいたぶるように、魔法を爆発させてリンを襲う。同時に日本刀によく似た武器も駆使し、リンに斬りかかる。

 リンも剣術では負けない。杖を素早く剣に変え、応戦した。

 一閃。一閃。一度打ち合い、再び刃を合せる。火花が散った。

 リンは剣のみだが、ゴーダは詠唱なしで魔力を刀に載せて放ってくる。その度にリンは軸足を踏ん張り、その場に止まる。しかし、息が上がり始めたリンと涼しい顔のゴーダの差は歴然としていた。

「残念ですよ、団長。いくら志高くとも、それに見合う能力がなければ、ただの無謀ですから」

「……俺は、無謀じゃない」

 ゴーダの魔刀を左胸に向けられ、リンは笑った。

「ただ、身勝手なだけだ」

「……僕は、クロザを支え続ける覚悟です。それが、どんな結末を迎えようと、ね」

 リンは、目を閉じなかった。絶体絶命の場面だが、それをそうとは感じていなかった。ゴーダの刀が高く掲げられるのを睨みつつ、その刀を手元の剣で跳ね返す気でいた。

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