第85話 ユキの戦闘

 一香達と別れて、リンとユキは再び吹雪く山道を進んでいた。

 リョウハンに譲られたコートとブーツは雪道を歩くのに重宝し、それまでの何倍も旅路を落ち着いたものにしてくれた。また大きく膨らんだリュックサックには、同じく貰い物の食料や縄、救急セット等が詰め込まれた。

 再び歩き始めて二日後。二人は山を下り、ようやく平地へとやって来た。

「ふう。やっと山じゃなくなったね」

「ああ、お疲れだったな。ユキ」

「うん。……でも、本当に大変なのはこれからだから。もうすぐ里でしょ」

「地図によれば、もう少しで里が見えてくる……しっ」

 リンは人差し指を口元に当てた。ユキは両手で口を覆い、こくんと頷いた。離れた所から近付いて来る。二人は顔を見合わせ、道沿いの草むらに隠れた。こういう時、整備されていない道というのは助かる。

 息を殺していると、段々と足音と共に話し声も大きくなる。男の二人連れであるようだ。野太い声が響く。

「おい、本当にこっちか?」

「間違いない。向こうから来るには、この道しかない」

「にしたって、この季節にこんな山を登って下りてくるやつらなんているのかよ? 俺なら雪解けまで待つぜ」

「おいらもだ。だが、こっちには人質がいる。近々殺しちまうけど。そいつを奪い返すつもりなら、早く攻めてくんだろうよ」

「で、それを阻止すんのが、俺らの役目だな」

 男たちはガハガハと品なく笑いながら、悠々と歩いて来る。酒が入っているのか、軽く千鳥足だ。そこまで侮られているのか、とリンは声なく自嘲気味に笑った。

 ようやく、二人の男達がリンたちの視界に入ってきた。一人は背が高く、もう一人は幅が広い。そして、両方が鮮やかな髪色を持っている。濃い紫とワインレッド。会話からも予想していたが、古来種で間違いないようだ。

 リンは手振りでユキにそのまま隠れているように指示し、自分はリュックをその場に置いて何食わぬ顔で立ち上がった。突然草むらから出てきたリンに驚き、男達は身構えた。背の高い方がどら声を上げる。

「お、お前。何もんだ!」

「通りすがりの旅人ですよ。なかなか人に会わないもんで、そこで休憩してたんですが、あなた方の姿が見えたので出てきたってわけです。この辺で宿はありませんか?」

 男の質問を受け流し、リンはにこやかに手を広げた。自分は敵ではないというアピールだ。続いて太い男が前に出てくる。

「お前、本当にただの旅人か? この辺にただの人間が来るのは珍しい。……おい……おれらはこの先に住むもんだ。残念だが、あんたを歓待することは出来ない」

「……理由を聞いても?」

「おれらは今、戦闘態勢なんだ。ある事情で、ここにやってくるやつを撃退せんといけない。この辺りはこれから危なくなる。悪いことは言わない。ただの旅人ならさっさとここから去ってくれ」

「……お気遣い、感謝します。しかし」

 ドッ

「お、おい!」

 太めの男が地面に倒されたのを見て、もう一人は目を白黒させた。突然に出来事に、頭が追い付いていないらしい。土を舐めさせられた男はそれこそ呆然としていたが、相棒よりも早く立ち直り、身を起こし振り向いた。

「き……貴様。何もんだ!?」

 立ち上がって指差した先にいたのは、蹴りを放った右足を収めるリンの姿だった。リンは口元だけで笑みを作り、冴え冴えとした瞳で言い放つ。

「―――銀の華団長、リン。お前らの獲物だ」

「や、やっちまえ!」

 濃紫の男がリンに向かって懐に隠し持っていた短銃を放った。それをすんでの所で避けるが、弾はリンを追って来る。

「……魔銃の一種か」

 リンは逃げるのを諦め、手から杖を召喚して魔力で刃を創り出した。ジェイスの矢と同じようなものだ。それと銃弾をぶつけ、弾を粉々に砕く。男は弾を乱射するが、ことごとくリンによって地面に落とされた。

 それを見ていたワインレッドの男は密に、首に下げていた呼び笛で仲間を呼ぼうとそれを口元に当てた。否、当てようとした。

「それは、だめ」

 雪も降っていないのに、突如氷柱が男を襲った。氷柱に弾かれて血を流す手をもう一方の手で押さえ、氷柱が飛んできた方向を見やる。先程までいなかった小さな男の子がにこにこと微笑んでいた。「まさか」という疑心を抱きつつ、男は魔弾を形成して少年に向けて放った。

 ユキは魔弾が真っ直ぐ自分に向かって来るのを見つめていた。兄のリンが自分の名を呼ぶのも聞こえる。心配する声色だ。しかし、コンマ何秒かの間にユキは心の中で呟いた。

「思い出したから。――大丈夫」

 ユキが素早く胸の前で片手を開くと、小さな氷の塊が現れた。それを音速で飛ばし、魔弾にぶつける。パリンというガラスを割ったような音と共に魔弾が砕け散った。唖然と自分を見つめる男に、ユキは笑いかけた。幼い子供のそれではない、好戦的な瞳で。

「ごめんね、おじさん。ぼく、魔力強いんだ」

 その言葉の終わらぬうちに、次の氷の塊が幾つもユキの周りに出現し、一直線に太った男に向かって放たれた。

 弟の様子を見ながら、リンは幼い頃の記憶の一つを思い出していた。

 ユキが生まれて間もなく、この赤ん坊が兄を凌ぐ魔力の持ち主であることが明らかとなった。それを示したのは昔父が懇意にしていた魔術医師の老人だった。

 医師は言った。この子は、きっと強大な魔力を持った魔術師に成長するだろう。早くから兄のそれを抜き去り、この子が次期団長に相応しいという声が出てくるだろう、と。

 リンはそれでもよかった。魔力を持つ弟ならば、兄である自分がそれ以外の足りない所を補ってやれば良い。兄弟で果たす役割が違うのは当然のことだ。

 ――しかし、ユキは成長する前に誘拐されて消えてしまった。

 生まれた時からあった魔力が魔女を倒した直後くらいから目を覚まし、ユキにその使い方を思い出させたのだ。

 年が改まり、体も徐々に成長している。ユキの四歳児の体が、もう小学一、二年生ほどになるまで。

「お前、よそ見してて良いのかよ?」

「まさか」

 長身の男の次なる攻撃をひらりとかわし、リンは杖を突き出した。にやりと笑う。

「……少なくとも、俺達を追えないようにしてやるよ」

 その言葉と共に、杖の先から光流こうりゅうを召喚する。それは渦となって男に襲いかかった。彼は光の中で息が出来ずに気絶してくれたが、騒ぎを聞きつけた古来種の仲間の声が聞こえてくる。これ以上の相手はしていられない。眉間にしわを寄せる兄に対し、

「お兄ちゃん、行って」

「何言ってる、ユキ。お前一人であの数は無茶だ」

 足音と叫び声の数からして、ここに向かっているのは少なくとも五人以上だ。それを力を目覚めさせたばかりの少年にさばき切れると考えるほど、リンは楽観的ではない。しかしユキは笑った。

「だって、ここで足止めをくらってても仕方ないでしょ? お兄ちゃんにはこの先に行くべき場所があるんだ。それに、ぼくの力の強さ、知ってるでしょ」

「――任せる」

「任された」

「だけど、片付けたらすぐに来い」

 確かに時間はない。いつ晶穂の命を奪われるか、こちらには判断のしようがないのだ。それならば、助けに行くのは早い方が良い。リンは一つ頷くと、一切振り返ることなく背中の翼を広げた。

 里の方向に飛んで行く兄を見送り、ユキは破顔した。敵に向けられたそれは、彼らを竦み上がらせるのは十分だった。

「……お兄ちゃんの後は、追わせない」

 その呟きと共に、寂しかった雪山の中に幾つもの氷の柱が出現した。




 同じ頃、ジェイスと克臣も最後の山を登っていた。ふと顔を上げたジェイスに、克臣が首を傾げる。

「どうした?」

「……この先で、魔力が爆発した」

「へえ。あの兄弟のどっちかだな、きっと」

「だね」

 短い会話の後、二人は少し歩調を強めた。

 数時間前に一香達と再会した彼らは、リンとユキが聞かされなかった話を一つ、リョウハンから聞いていた。それを思い出しつつ、克臣は苦笑した。

「あの話、リンに聞かせなかった訳が瞬間で分かるよな」

「だね。最短距離で里に突撃すること請負いだ。自分じゃ言葉にしないだろうけど、晶穂のことが本当に好きだからね」

「ああ。絶対言わないけどな」

 弟分を幼い頃から見てきた二人にとって、リンの変化は一目瞭然だ。そして彼の思いを守りたいという気持ちと共に、リドアスの仲間たちを守るためにも、クロザの企ては阻止しなければならなかった。

 克臣はふと思い、隣に並ぶ幼馴染に訊く。

「そういや、お前にはそういう相手、いないのか?」

「真希ちゃんみたいな?」

「ぐっ……。ま、まあ、そんなやつ」

「いたら、一番に克臣に教えるよ。君が高校生の時みたいに」

「……恥ずかしいことを思い出さすな」

 耳を赤く染め、顔を背けた克臣にジェイスは笑いかけた。克臣は気を取り直し、話題を変えた。

「シンは戻ったんだよな」

「うん。一香はあそこで。シンの方が身軽だし速いし、戻るのにそれほど時間を要しない」

 シンと一香、このどちらかがリドアスに戻ることは、この事柄を終わらせるのに必要なことだ。最悪の場合、封珠自体を消し去るか、より強固な封印を施さなければいけないからだ。

 リョウハンから聞いたことは、兄貴分である二人がリンに直接話すことに決まっていた。そして、怒りに彼が持って行かれないように、抑え込む役割も担っている。

 爆発した魔力の源に近付く。ただの人間である克臣にも、その波動が感じられる距離だ。

「……リン、じゃないな」

「うん。これは、久し振りに感じる波動だ」

「―――ユキ」

 冷え切った水の気配と鋭い刃の輝き。本当に赤ん坊の頃、ユキが空腹に耐えきれず暴走させた氷風ひかぜ。それを全力で止めたのは、幼いジェイスと克臣だった。擦り傷切り傷だらけになった少年達に、在りし日のユキの母・ホノカは申し訳なさそうに「ごめんね、二人とも。ありがとう」と言って手当てをしてくれた。懐かしい。

 しかし今は、そんな思い出に浸っている暇はない。二人は阿吽の呼吸で駆け出した。

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