第84話 雪山の女師匠

 小屋は、山の中腹の見通しの良い場所に建てられた丸太小屋だった。中に入ると、暖炉に火が燃え盛り、部屋を暖めていた。冷え切った体に染みる温かさを実感していたリンは、奥で一香の報告を聞く黒髪の女性に目を移した。

 きりっとした目元が女性の美しさに拍車をかける。全身黒一色の衣服は、彼女のまとう空気そのもののように緊張感をかもし出す。

「ようこそ、銀の華の団長殿。わたくしはリョウハン。一香とシンを弟子としている」

「噂に聞く『黒の魔術師』とはあなたのことですね、リョウハンさん。高度な魔力を保持し、白虎を従える魔種の女性だと聞いています」

「おや、そんな噂を耳に入れていたとは。しかし、噂には尾ひれがつくものだよ」

 リョウハンはくすくすと笑い、客人たちを椅子に誘った。一香から報告を受け、二人の目的を聞こうと言うのだろう。

 窓の外を見れば、白虎であるリヨスが小屋の外で丸くなっていた。大きな体にふわふわで密な毛皮をまとっている。寒さを感じていないらしい。

 そこへ、シンも姿を見せた。

「久し振りだな、シン」

「あー、団長。久しぶりだね」

 ふよふよと浮かぶシンは、小さな翼を羽ばたかせて笑った。体が一回り大きくなったように見えるのは、魔力が増強されたお蔭だろう。リョウハンとの修行では魔力強化が最大の目的に据えられていると聞いていた。

 シン用の足の長い椅子に小型ドラゴンが座ったのを見、リンはリョウハンを真っ直ぐに見つめた。

「俺達は、目的があって古来種の里を目指しています」

「ほお。その目的は?」

 面白そうにテーブルに肘をつくリョウハンに対し、リンは一香が出してくれたココアを一口飲み、言葉を続けた。

「俺達の仲間、三咲晶穂がさらわれたんです。古来種のクロザに」

「えっ……」

「そうか。……クロザは知っていたのだな……」

 言葉を失う一香に対し、リョウハンはふと考え込む仕草をした。片手を顎に当てて数秒の間目を閉じる。

「クロザのこと、そして古来種の里が何処にあるかもわたくしは知ってる。しかし、魔種や獣人と交わることを避けてきた古来種がそれを破った理由を、もしも知っているなら教えてくれるかな? わたくしが考えたものが合っているか知りたい」

「ええ。……古来種は、神子の血で創られた聖血の矛の力を欲しています。その力は、使い方によっては古来種の力を強めてくれるのだと。その力を手に入れ、恐らくは世界の支配すら企んでいるのではないか、と俺は考えています」

「……神子、なんだな。その晶穂という娘は」

「―――はい」

 苦虫を数匹噛み潰したような顔で頷く青年に、リョウハンは微笑みかけた。そして何も言わずに隣室へと姿を消す。師匠がいなくなってから、一香とシンは二人してリンに詰め寄った。

「団長、さっきの話は本当ですか?」

「晶穂、さらわれたの?」

「今、無事なんですか?」

「リドアスのみんなは!」

「そうだ、封珠の様子は……」

「落ち着け。一香、シン」

 両手を二人の顔面に出し、リンは苦笑いをした。口を開きかけた兄の隣で、ユキがいち早く声を上げる。

「そうだよ、二人とも。お兄ちゃんが一番不安で心配して、下の町でぼくに会うまで一人で北の大陸まで来たんだからさ!」

「……おい、ユキ」

 リンは二の句が継げなくなり、片手で目を覆う。若干頬が赤くなっていたが、それは三人に気付かれることはなかった。黙ってしまったリンに代わり、ユキが今の状況を一香たちに説明していたからだ。

 その話が終わる頃、リョウハンが筒状にした大きな紙を抱えて戻って来た。一香にテーブルの上を片付けさせると、それを一気に広げた。

 紙は古びた地図だった。北の山脈を中心に描き、北側にはリン達が見たことのない地形と地名が散りばめられている。リョウハンが山脈の北側を指した。

 その場所は、少し開けた平野であるようだ。周りを針葉樹の森で囲まれているらしい。

「ここが、古来種の里。今でも何十人もの古来種の人々が暮らしている。蛇足だけど、古来種はここに住んでいる者たちだけではないよ。このソディール中、またはそれ以上の広い世界に散らばってる。彼らの先祖は、皆この里出身者だけどね」

 君らは、ここへ行くんだろう? そう問われ、リンとユキは頷いた。辿り着かなければ、晶穂を取り戻すことは出来ない。

 リョウハンは一つ頷いた。その隣で話を聞いていた一香が、静かに手を挙げた。

「じゃあ、私も行きます」

「ボクも行く! だって魔力を持つ戦える人は多い方が……」

「駄目だ」

 身を乗り出すシンを制し、リンは首を横に振った。

「どうして」

 自分では戦力にならないのかと言い募る一香に、リンは再び首を振った。申し訳なげに眉を下げる。

「……すまんな。あまり大人数では行きたくないんだ」

「わかりました。……でも、無理はしないでくださいね。団長が晶穂さんを心から案じているように、私を始めとしたみんなが、晶穂さんに団長とユキくんを含めて心配していることも忘れないで下さい」

「ああ。……そうだ。きっとジェイスさんと克臣さんが追いかけて来ると思います。彼らにも手助けをしていただけませんか、リョウハンさん」

「心得た」

 外を見れば、吹雪きは止んでいた。雲の切れ間から夕闇に染まる西の空が垣間見える。リンとユキはリョウハンたちの厚意で小屋に一泊することになり、客間を与えられた。

 ここ数日の強行登山の疲労からか、ユキはベッドに身をゆだねるとすぐに寝息をたて始めた。規則正しい寝息を聞きつつ、リンは妙に冴えた頭を落ち着かせようと、音を立てないように廊下へと出た。そのまま外に出て冷たい夜風に身を震わせた。

「風邪をひくよ」

「リョウハンさん」

 リンが振り返ると、厚着をしたリョウハンが立っていた。彼女はリンの隣に立つと、ふっと息を吐き出した。

「まさか、君がこんな山奥までやって来るとは思わなかったよ」

「……俺のことをご存知なんですか?」

「知ってるよ。君が銀の華の二代目団長だってこと」

「それは、一香たちが」

「彼女らにも聞いたけど。それ以前から。わたくしは、ドゥラ殿と懇意にしていたんだ」

「……父さんと?」

 目を丸くするリンを軽く見上げ、リョウハンは記憶を思い起こすように目を細めた。

「……懐かしいな。君は、ドゥラに似てるよ。よく、ね。あいつも無茶はするし怪我しに行くし、死にかけもしたし。全く、ホノカにどれだけの心配をかけたことか」

「……耳が痛いです」

 リンは苦笑しつつ目を伏せた。今は亡き両親の話を聞くことが出来たのは良いのだが、リョウハンの口調はリンの行動を非難しているようにも聞こえる。それを口にすると、リョウハンは「バレたか」と笑った。

「だが、わたくしが言った所で、めはしないだろう? それに、大切な誰かに危険が及んでるんだ。子供なんだから家に帰れ、なんて言っても無駄だろ」

「……子供じゃありませんよ」

「わたくしから見れば、十分子供だ」

 照れ隠しに顔を背けたリンの顔を覗き込み、リョウハンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 見れば見るほど、リョウハンは年齢不詳だ。三十代にも見えるがドゥラと懇意にしていたと言うのだから、それ以上の年齢であることは間違いないだろう。

 ぽんっとリンの背をたたき。リョウハンは彼に背を向けた。

「まあ、頑張りな。お姫さまを助け出すんだろ?」

「……ええ。必ず」

 リョウハンは背を向けたまま、片手を挙げて小屋に入って行った。それを見送り、リンは真上に昇った月を見上げた。今日は半月だ。半分だけ明るい月は、静かに雪山を照らし出していた。



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