第83話 ゴーダ

 狭い部屋に閉じ込められて数日。怪我の手当てや食事のお蔭か、晶穂の体調は良くなってきた。

 しかし相変わらず聖血の矛を出すことは出来ない。矛が出なければ、古来種達が求める薬弾に変えることも出来ない。だからまだ生かされている、という状態だ。それを幸と取るか不幸と取るかは判断がつかないが、ともかく、逃げるチャンスはまだ残されているということに変わりはない。

「どうしたら、出られる? どうしたら……帰れる?」

 幾度となく繰り返してきた自問。それに対する解答はまだ見つかっていない。

 ドアを開けることは考えたし、実行もした。だが鍵がかかり、小さな窓の格子は鉄で作られており、晶穂の力では全く動かない。またそれは外を見せる壁の窓も同じことだ。床は一見脆い木の板で作られているようでいて、その裏には金属板がはめ込まれている。炎を操る力を持っていれば、溶かすことが出来たのに。そんなわけで、まだ脱獄方法は見つけられていない。

 しかし、ずっと大人しくしている時間にも限界はあるわけだ。

「えいっ」

 晶穂はゆっくりと扉に向かい、扉そのものに体当たりを始めた。ドン、ドンと頼りない音が響く。それを二十回ほど繰り返した頃。

「せぇのっ」

 渾身の力を込めて全力で扉にぶつかりにいった晶穂は、突撃する前につんのめって誰かに思い切りぶつかってしまった。彼女が体当たりする直前に、誰かが戸を開けてしまったのだ。

「……悪いですが、部屋から出られても帰れませんよ?」

「―――え?」

 静かに諭すような声色の中に、微小な苦笑いが含まれている。誰かが晶穂を抱きとめたのだ。晶穂が板にぶつかった時の衝撃がないことに目を白黒させていると、上からそんな声が降って来た。

 晶穂が顔を上げると、鮮やかな緑色の瞳でこちらを見下ろす青年の顔が目に入った。青黒い髪を後ろで束ね、垂らしている。彼は驚いて固まる晶穂の肩を軽く押し、もといた部屋に下がらせた。

「あ」

 と晶穂が思った時には既に戸は閉められ、見知らぬ古来種の青年がその前に立ちはだかっていた。表情を消してこちらを見やる青年を、晶穂は睨みつつ問いかけた。

「あなた、誰? ここに連れて来られてから、会ったことはないよね」

「ああ、そうでしたね」

 青年は丁寧に腰を折り、

「僕はゴーダ。クロザの付き人兼、ツユのお目付け役、ですかね」

「やっぱり、クロザたちの仲間……」

「ご明察。だから、あなたをここから出すわけにはいかないんですよ、三咲晶穂。あなたには、大事な役割がありますから。―――僕らに命を差し出してもらう、という役割が」

 室温が数度下がった気がした。それ程、ゴーダの言葉がまとう空気は冷たい。

 晶穂は両方の拳に力を入れ、キッと見返す。

「そんな役割、了解した覚えはないけど?」

「あなたが了解しなくても、あなたが近日中に矛を差し出す、という未来からは逃げられませんから」

 口を引き結ぶ晶穂に対し、ゴーダと名のった青年は、彼女を憐れむ表情で笑った。しばらく洗っていない晶穂の髪は、埃や汗で汚れ、パサついている。その頭に手を載せ、ゴーダは彼女に聞こえない程度の声で呟いた。

「彼女も、そろそろ目を覚ましてくれないとな」

「……何か?」

「いいえ。―――では、僕はこれで」

 ふわりと会釈し、ゴーダは部屋の戸を閉めていった。晶穂は彼に触れられた頭に触れた。ゴーダの手があった場所が冷えている気がする。別の誰かに触れられた時とは正反対だ。

「わたしは、負けない。必ず帰る。生きたい場所へ」

 いつの間にか日は沈み、小窓からは月が見えていた。あと数日もしないうちに満月になろうかと思われる、白銀の星が。




 晶穂を閉じ込めた部屋を出たゴーダは、定期報告のためにクロザの部屋を目指して歩いていた。実は、彼は晶穂を捕らえた後の銀の華の様子を逐一観察している。

 彼の力は遠視と空間透過だ。戦闘向きではない魔力を保持するために前線に立つことはないが、諜報など隠密活動に重宝されている。

 だから、リン達が里に向かっていることは知っている。

 それでも、クロザの目的は達せられる。彼はそう断定する。

 彼らの目的は戦闘での勝利ではない。そこには最終目標はない。

 ゴーダは唇だけで笑みを作った。

 ――三咲晶穂。きみが戦いの中で命の危険にさらされた時、初めて、僕らは目的を達成する。

 もうすぐ、きみは直面する。

 それが、今生の神子の最期だ。





 二つ目の山を踏破してから三日後。リンとユキは裂ける時間全てを移動に費やし、北の山脈最後の山と思われる山林の中にいた。時に歩き、時に飛びつつ進んできたのだが、ここである問題が浮上した。

 食糧難である。

「やばいな。あと一日もてば良い方だ……」

 もともと一人で古来種の里に乗り込むつもりでいた。そこにユキが加わって計画変更を余儀なくされた。更に雪に閉ざされた山には食べ物が圧倒的に少ない。猛獣に襲われる心配がないのは良いことなのだが、それは狩りが出来ないことにも直結するのだ。

 そして、ユキはそこまで考えられるはずもなく、また体力もない。食糧を数日分しかリュックサックに入れていなかった。

 焦っても仕方がない。しかし、焦りは募る。リンは痛い頭を抱えつつ、ユキが空腹を出来るだけ感じる時間を遅くしようと自身の翼をフル活用して移動していた。

「お兄ちゃん、無理はしないでよ?」

「わかってる」

 背中にしがみつくユキが心配そうに声を上げる。それにぶっきらぼうに答えながら、リンは早く山を抜けようと必死に翼を動かし続けた。

 裸の木々に氷柱が垂れさがっている。白い雪が辺り一面を占めている。こんな所に人の住む場所があるのかと疑いたくなってくるが、体力の限界まで進み続けるより他はない。

(待ってろ、晶穂)

 そう心に呟いた時だった。偶然木々が幾重にも重なって見える場所を飛んでいたリンは、それらを避けようと大回りをした。そして、同じく反対側から来た誰かにぶつかりそうになった。

「うわっ」

「きゃっ」

 リンは空中であるためその場に静止すれば良い。しかし相手は徒歩であったため、思い切り尻餅をついた。

 一瞬、助け起こすべきか迷う。ここまで来れば古来種と鉢合わせしないとも限らない。この相手がそれだった場合、自分は助け起こさず逃げなければならない。

 だが、リンはその選択をしなかった。「いたた」と体をさする少女に見覚えがあったからだ。

 薄いコートに身を包み、長い髪をポニーテールにしている。足元は動きやすいスニーカーだ。

「……一香」

「え……団長?」

「一香さんだ!」

 座ったまま見上げる形で目を瞬かせる一香は、リンとユキの登場に心底驚いた様子だ。それはリン達も同じだ。「どうしてここに」と訊くと、一香は苦笑いで、

「実は、修行中なんです」

「ああ、そうだったか」

 そういえば、とリンは思い出した。数週間前、一香とシンがジェイスに封珠の守りを託して魔力の修行に出たことを。

「シンは?」

「あ、向こうで師匠と一緒にいますよ。私は薪を拾いに来たんですけど……。団長たちは何でこんな山奥に? 何かあったんですか?」

「あったんだ。そうか、一香は知らないのか」

 合点し、リンは事件の詳細を語ろうとした。しかしそれを遮り、

「詳しい話は場所を移しませんか? 寒いですし、小屋はこの近くなので」

「……助かる」

 一香の厚意に甘え、リン達は彼女らの師匠が住むという小屋を目指した。


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