第82話 男二人で

 見慣れた薄暗い空間。青年はしっかと目を見開き、その場所の奥を見定めようとしていた。静寂に染まったそこには、誰もいない。彼以外に気配もない。

「―――いるんだろ、そこに」

 しかし、彼は知っている。この空間の王者たる存在が、身を潜ませている。それが青年たちを導く神である。その姿を見た者は一人としていない。神と銘打たれてはいるが、青年はその存在を神だとは思っていなかった。

それは、神と呼ばれる存在が持つべき荘厳で畏怖を感じさせる独自の神々しさを持っていない。持っているのは、禍々しいとしか言い表せない邪悪な気配のみである。加えて、鬱屈とした怒りも感じる。恐らく、その存在は何処かに封じられているのだろう。

 一度自由の味を覚えたそれは、再びの自由を欲し、自らを捕らえたものを呪い続ける。

「ぉおぉぉぉおおぉ」

「……分かってるよ。あんたが教えてくれた彼女を救う方法。もうすぐ手に入る。……あとは、好きにしてくれて構わない」

 地響きにも似た唸り声。自由にならない身への焦燥と激昂。

 元からない気配は、完全に今遠ざかった。封じられた場所から意識のみをここへ飛ばしてくる。最近は頻度が増して来た。きっと、自らの力が消える時が近いのだろう。

「オレも、もうすぐ終わらせる」

 青年は目を閉じ、朝を待った。




「真っ白だね」

 最初の山はハイキングコースとして夏場に使われるくらいのなだらかな山だった。それを越えてグリゼを遠方に見ながら通り過ぎて数時間。二つ目の山脈に足を踏み入れて、ユキは思わずといった様子で叫んだ。

 確かに、分け入ってからというもの、見渡す限りの雪景色である。落葉した寂しい木々の枝は、多量の雪が積もってたわんでいる。地図があっても迷って遭難してしまいそうだ。冬眠をしているのか、獣の姿は見えず、当然のことながら虫もいない。花も咲いていなければ、目立った特徴もない。これまでほとんど未開の地だった理由も肯ける。そして、古来種が隠れ里に選んだ理由も。リンはユキの言葉に同意して苦笑し、改めて前を見晴るかした。

「お兄ちゃん、今どのへん?」

「ん。地図によると、この辺り。二つ目の山の半分かな」

「うっわあ、まだまだあるね」

「ここで音をあげるなら帰れ。山はあと、四つある」

 山脈だからな。そう真面目な口調で言い返され、ユキは慌てて尻込みしそうになった自分を叱咤した。

「―――か、帰らないよ」

「その意気だ」

 ずんずんと前に進んで行くユキを追いながら、リンは遥か先にも見える古来種の里に思いをはせた。正確には、そこにいるはずの大切な存在に。

「……俺は、いつの間にこんな気持ちになったんだろうな?」

 苦笑い気味に呟かれた言葉は、急に吹いた寒風にさらわれていった。




 リンとユキが山脈を歩いていたのと同じ頃、ジェイスと克臣はリドアスの前に仁王立ちになっていた。

「さてさて。誰の許可を得てここに攻めて来たのやら」

「大方、誰の許可も得てねえだろ。無断の不法侵入だ」

「じゃ、手加減は要らないってことで」

「ああ」

 短い会話は、互いの意思を確認するには十分だった。

 ほんの数分前のこと。

 リドアスの案内を終えて克臣の部屋に帰って来た真希と明人を休ませようと、克臣は明人用の布団を荷物から引っ張り出して来て床に敷いた。明人が寝息をたて始めてから、備え付けのコンロでお湯を沸かし、真希に温かい紅茶を振る舞った。

「……驚いた。あなた、こんなこと出来るんだ。家では全くしないのに」

「男がこんなことしたら退くだろ。それに週に一回は食事を作ってるし、家事も分担してるつもりだったんだが。……不満か?」

「ううん。驚いただけ。それに、あなたが会社ともう一つ、何処か別の所で何か大事な役割があるんだと薄々勘付いてはいたから」

「……女ってのは、恐ろしいもんだな」

「それ、失礼」

 ふふっと笑った真希は、受け取った紅茶でのどを潤した。春の果物を思い起こさせる、甘くて爽やかな風味がする。克臣はあおるように飲み下すと、自分のベッドに腰を下ろした。真希も椅子から隣へと移動する。

「……悪かったな、怖い目に合わせて」

 頭をかき、視線を逸らして克臣はぼそりと呟いた。まさか謝られるとは思っていなかった真希は目を丸くした後、

「本当に悪かったと思ってる?」

「ああ」

「ふうん……」

 真希は夫の隙を突き、彼の肩に頭を預けた。

「ちょ……何してるんだ、真希」

「良いでしょ。たまには。……甘えたい時だって、あるんだから」

「……」

 克臣は頬を少し赤らめ、ぶっきらぼうに同じく赤い顔をする真希を抱き寄せた。

 そうしてから一分後。

「―――来たな」

「克臣くん?」

突然立ち上がった自分に戸惑いの顔を向けた真希に、克臣は眉間にしわを寄せたまま言った。

「悪い。招かれざる客だ。ちょっと相手してくる」

「え、ちょ」

 真希が止めるのも聞かず、克臣は素早く部屋を出て走って行ってしまった。招かれざる客とは、彼が言っていた古来種のことだろう。まさか先方からの攻撃か。

「……大丈夫。克臣くんは強いから」

 明人の寝顔に微笑みかけ、真希は一人頷いた。

 真希と別れてから数分後、克臣は戦闘の真っただ中にいた。殴りかかってくる相手には殴り返し、得物を振るってくる者には得意の大剣で応戦する。ちらりと左を見れば、同じく戦いに身を投じる幼馴染がいる。ここに来る途中にユーギと出会ったため、メンバー全員を建物から出すなと言い含めておいた。野次馬をする愚かな者はいないはずだが、念のためである。

「おい、てめえら。誰の指図だ!」

「……」

 吼える克臣の問いに、古来種の青年達はただの一人も反応しない。むきになって更に声を荒げる。

「無視ってか。勝手に来て勝手に暴れてんじゃねえぞ。主犯と目的くらい言いやがれ!」

「……克臣、言葉が汚い」

「ほっといてくれ」

 とんっと背合わせになったジェイスが苦笑気味に注意する。それを何処吹く風で受け流し、克臣は正面を見据えた。後ろを気にする必要はない。そこには信頼する戦友がいる。

 阿吽の呼吸で音もなく飛びだし、二人は別々の方向から一点に向かって殺到した。そこにいたのは、積極的には戦闘に参加せずただそこにいるだけに見える男。しかし、目深に野球帽を被った彼の口元がしばしばわずかに動くのをジェイスは目撃していたのだ。

「―――ひっ」

 得物を取り出す隙すら与えられずに首もとと心臓に刃を突き付けられた男は、引きつった悲鳴を上げた。彼を人質に取られ、他の古来種達はその場を動けない。

 首もとに冷気を集めたナイフを突きつけたジェイスが、その冷たさに拍車をかけた冷笑を浮かべる。

「さあ、ここから立ち去ってくれないか? 全ての決着は、君らの里でつけたいんだ」

「ああ。俺らもすぐに向かう。リンを独り誘い出して殺しちまおうって算段なら、そりゃ、失敗すると思っとけ。……そう、お前らのリーダーに伝えな」

 克臣は剣の柄でその場のリーダーらしき男の鳩尾を突く。咳き込みながらよろけた彼を、部下数人が支えて逃げ出した。そして突然姿をくらました。誰かが瞬間移動でもしたのだろう。

「追うか?」

 剣の腹を肩に載せて笑った克臣に、ジェイスは戦闘態勢を解いて首を振った。

「いや。追っても無駄だよ。遠過ぎる」

 彼らが向かった先は分かり切っている。克臣は悪戯っぽい笑みを口元のみにたたえ、幼馴染に呼びかけた。

「行こうぜ、ジェイス。これ以上、あの二人に辛い思いをさせたくない」

「同感」

 リドアスにやって来た古来種は計十名。その内、五名が玄関先で伸びている。リドアスを血で汚すわけにいかなかったため、全てみねうちで仕留めた。骨の数本は折れているかも知れないが、自分達に戦闘を挑んだ彼らのミスだ。少々の切り傷もつけたが、命に別状はないと思われる。ジェイスは去り際、右手の人差し指をくるっと振った。その瞬間、男達が掻き消える。振り向きざま、克臣は笑った。

「何処に飛ばした?」

「適当な、山脈の何処か」

「ああ、故郷の近くなら、帰れるだろ」

「それが北の大陸ならね」

 山脈と名の付くものは、きっとソディールのものだけではない。世界には、この大陸以外の場所もあるのだろう。隔絶されてきたこの地では想像も出来ないが。

 ジェイスは『山脈』とだけ念じて男達をワープさせた。それが何処のものかなど、知る由もない。

「さっさと準備して、北に行くぞ。ジェイス」

「ああ」

 一時間後。二人はリドアスを残すメンバーに預けて出発した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る