第79話 女の勘は恐ろしい

 日が落ちてからすぐ、リンの部屋の戸を激しくたたく者がいた。リンはその前から廊下に響く荒い足音を耳にしていたが、手元が忙しい。ガチャリと開いた途端、青年が叫んだ。

「リン、晶穂がさらわれて春直が怪我したってマジか?」

「……本当ですよ」

「お前……っ」

 スーツ姿の克臣は汗ばんだ額を袖で拭い、冷たいリンの回答に異を唱えようとした。しかし、その言葉は途絶える。何故ならリンは、顔をしかめたままで出かける準備をしていたのだから。床に置かれたリュックサックには、地図とノート、食料が数日分入っているのが見える。

 克臣は文句を言う代わりに溜め息をつき、壁に背を預けて腕を組んだ。

「……行くのか、北に」

「はい。少し、ここを頼みます」

「俺は会社も家庭もあるんだがな」

「はい。ジェイスさんにも頼むつもりです」

「……お前、一人で行くつもりか」

「ユキをお願いします。あいつはまだ不安定な部分もあるでしょうから」

 こちらに背を向けたまま、淡々と返される答え。克臣はしびれを切らし「ああもう」と叫んだ。びくりともしない団長の青年の背に、克臣は言った。

「……だから言ったろ? 気持ちは伝えろよって」

「……」

 返事を返さないリンの心に届くよう、克臣は言葉を選んでゆっくりと話し出した。少しでも、彼がわかるように。自分が何を言いたいのかを。

「あの子は持っているモノが不安定で強力過ぎる。意に添わぬ力だからな。それを自分のものにするために頑張っていたのも知ってる。強い力は何を呼び寄せるか分からん。呼び寄せられたもの、引き寄せられたものが良いものかも。今回のように、前回のように。……そして彼女を邪魔しないようにと思ってか、お前が自分の気持ちに気付かないふりをし続けていることも、また知ってる。でも、分かってんだろう」

「…………は、い」

 絞り出された答えは短い。しかしそれが、全てを物語る。

(なんだ、わかってんじゃねえか)

 よく見れば弟分の耳が赤い。顔を直視しなくても、克臣にはわかった。ああ、こいつは大丈夫だと。

 振り返らないリンに、克臣は続けた。

「……実はな、俺のところにもまた古来種が来た」

「え」

 振り返り瞠目したリンを安心させようと、

「勿論、追い返したけどな」

 と、克臣は笑った。けれどすぐに顔が曇ってしまう。

「でもな、それがよりにもよって真希まき明人あきとの目の前でな……」

 昨日の夕方、克臣と明人をだっこした真希が買い物から帰って家に入ろうとした時のことだったという。フードを被った男に襲われ、克臣は武器の大剣を出すわけにもいかず、素手で撃退した。

「死ねぇ!」

「……やだね」

 男が放ったナイフを避け、懐に飛び込んで鳩尾みぞおちに拳を叩き込む。

「かはっ」

 動きが止まったところを見計らい、男の足を払って尻もちをつかせた。

 相手の手首をひねりあげて退散させた後、真希が言った。呆然と現状を理解し切れていない声色で。

「あなた……今の人は」

「ああ。……一方的に知られてる知り合いだ。おっかないよな、あんな殺傷能力の高そうな武器持って」

 男が放置していったナイフをブロック塀から抜き取り、からからと笑う夫の姿に何かを感じ取ったのだろうか。真希は明人を抱え直し、ぽつりと呟いた。

「……あなたは、いつもあんな相手と対峙しているんですね」

「……真希?」

 何かを確信した真希の言葉に、克臣は驚いた。

 妻の真希にソディールのことを話したことは一度もない。まして武器を扱うところも異世界へ移動する姿も見せたことはないはずだ。心の動揺を面に出さぬよう苦労しながら、克臣は妻を家の中へ誘おうとした。

「さ、まだ冷えるし、家に入ろ……」

「わたし、あの人に似た人に、買い物帰りに会いました」

 克臣の言葉に被せ、真希は言った。虚を突かれるとはこのことである。思わず言葉を失った夫に、真希は詰め寄った。

「あれは、二日前でした。コスプレかと思うほど鮮やかな青色の髪をした男です。彼に言われました。『お前、銀の華の克臣ってやつの妻だろう』って。わたしは何のことか分からず、でも、相手が手に持ったナイフに怯え、震えていました。すると相手はこう言って去りました。『我々の邪魔をするなら、お前の命も造作ないモノだ』と」

「おまっ」

 言葉を失う夫に、真希は彼の目を真っ直ぐに見つめた。はっきりと、言葉を紡ぐ。

「……これで、わたしは無関係者ではない。だから、教えて。あなたが抱えるもの、全て。きっと、あなたの仲良しのジェイスさんもその一員なんでしょ。わたしだってあなたの大事なものを守りたい。明人を守りたい。そしてなにより」

 真希は克臣を見上げ、ふっと微笑んだ。

「……辛そうな顔のあなたを見るのは忍びないものだから」

「はあ。……俺の負けか」

 克臣は顔に手をやって、項垂うなだれた。笑うしかなくなりそうだ。しかしここで笑い出しては、ご近所に変な噂が流れかねない。

 眠っていた明人をベッドに寝かせた後、夫婦は机を挟んで向かい合った。

「……だから、俺は真希と家に入って全部話したよ。ソディールって世界があることも、銀の華のことも」

 女ってのは鋭いよな、と克臣は笑った。笑いを収め、突然リンに頭を下げた。

「リン、頼みがある」

「あ、改まってどうしたんですか! 頭を上げてください」

 焦るリンに促されて頭を上げたものの、克臣の顔に苦りが走っていた。

「晶穂を救出に行かなきゃいけない状況でする頼みでもないんだが、真希と明人を一時的にここに置いてやってはもらえんだろうか?」

「ここって……リドアスに、ですか?」

「そうだ。古来種は俺の家の場所まで知ってやがる。普通の人間である真希たちの命が狙われることはないだろうが、事が済むまでは俺も安心出来ない。だから……」

「勿論です」

 克臣が言い終わるのを待たず、リンは首肯していた。「いいのか」と問われたが、ここで断るのは人ではないだろう。それにジェイスと克臣にはリドアスにいてもらうつもりだった。家族は一緒にいた方が良い。そして、出来れば安全な所で。

「俺は明日、朝に出ます。克臣さんは仕事もあるでしょうけど、ここのこともお願いしますね」

「……お前、マジで北の大陸に一人で乗り込むつもりか?」

 無事では済まんぞ。そう忠告され、リンは克臣を振り返った。

「ここだって古来種に知られています。春直も狙われる可能性がある。俺が守りたいものが、ここにもありますから」

 それに、とリンは凛とした表情で窓の外を見た。

「……他の誰かに聞かれたくないですしね」

 何を、とは彼は言わない。克臣にはそれがわかったからこそ、「そうかい」と楽し気に微笑んだ。

 窓の外は月が地を照らし、星々の輝く夜となっていた。

 それが吉を示すか凶を示すか。地上に立つしかない人無勢にはわからない。




 いつ、意識したのだろう。

 そう考えると、明確な答えは出ない。

 しかし狩人や魔女との戦いの中、何度も助けられてきた。同じ屋根の下に住むようになって、それまで見えなかった色々な顔を見るようになった。

 怒りに震える顔も、悲しみに沈む顔も。

 その中でも、自分は彼の笑顔が好きだ。照れ笑いも楽しげな笑みも。

 彼の笑顔を護りたい。

 そう、強く想う。

 理由を挙げればきりがない。


 ―――わたし、あの人が好き。


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