古来種の里へ

第78話 封血の発現

 雪深い山の中。小さな竜と二十代の女性が木々の間をぬって走っている。竜は宙に浮いているため走っているとは言い難いが、全力で進んでいることには変わりない。白く毛深いカーペットを踏み締めている感覚だ。キュッキュと音が鳴る。

 女性の名は一香。銀の華のメンバーであり、巫女の家系だ。神に仕えたり魔を封じて守り人をしたりして、先祖は血をつないできた。長く美しい黒髪を今は無造作に束ね、後ろに垂らしている。それが走る彼女に合わせて左右に振られている。

「ちょっと、シン。速い」

「一香、頑張れ! ボク、先に泉に着いちゃうよ」

「それは、困るっ」

 泉には彼女らの師が待っているのだ。きっと腕を組んで、厳しい表情で。

 白に塗りつぶされた景色に緑が紛れ込む。森を抜け、泉が見えてくる。

「遅い」

「……リョウハンせんせい

 肩までしか伸ばしていないストレートの黒髪にしかめた黒い切れ目。雪山にいるにもかかわらず、薄い衣服だ。その女性は、ふん、と鼻を鳴らした。一香はぜいぜいと荒い息を整えて頭を下げた。

「申し訳、ございま、せん」

「全く。体力の面ではまだまだ改善させていかなければならないようだね。そんな軟弱じゃ、封珠の封印を守り続けることなんて出来ないよ」

「――はい」

 嘆息と共に吐き出した言葉は、唸り声にかき消された。一香の傍にいたシンが嬉しそうに言う。

「あ、リヨス!」

「ぐるる」

 シンの呼びかけに応えたのは、雪に隠れるように立っていた巨大な白い虎だ。霊獣としてリョウハンが従えている白虎・リヨスである。リョウハンはリヨスの顎を撫でてやり、一香に向き直った。

「行くよ、二人とも」

「はい」

「うん!」

「良い返事だ。―――ところで、封珠の守りを放ってきたのかな?」

 ひらりと軽い身のこなしでリヨスに飛び乗ったリョウハンは、手を差し出しながら一香に問うた。

「いえ。私とシンの魔力を半分ずつ残してきました。そして、ジェイスさんにもお手伝いいだきました。……あの人、何者なんですかね。何でも出来て」

「知らない方が身のためだよ。さ、更なる魔力増幅の修行を始めよう」

 一香は無言で頷き、リョウハンの手を取った。




 春直がリドアスにやって来てひと月が経とうとしていた。

 人が全身の血を失い倒れる事件は、その後も数件続いた。その度にジェイスや克臣、テッカが現場に向かったが、何処にも古来種は跡形を残してはいなかった。

 意気消沈して帰ってくる彼らに、晶穂たち女性組は夕飯を振る舞うことで労っていた。

「そのおかげか、最近料理の腕が上がったんだ!」

 リドアス内を歩いていた晶穂は、途中で出会ったサラに笑顔でそう報告した。

「よかったじゃん、晶穂」

 サラはにこにこと目の前の親友の話を聞いていた。一息ついたところでにやりと笑う。

「で、あの人にはいつ作ってあげるの?」

「へ? あの人?」

「とぼけるぅ? 団長に決まってんじゃん。リ……」

「そ……その名前呼ばないでえぇぇ!」

「ええ!?」

 晶穂は顔を真っ赤にして、サラの口を塞いだ。塞いでいた晶穂の手を押しのけ、サラは驚きの顔を隠せなかった。これまで、晶穂がリンへの想いを自覚するような発言と態度を示すことはなかったのだから。

 その訳を面白半分で問い質せば、

「……言えない」

 の一点張りだ。何度聞いても同じである。

「ま、何にしてもようやく自覚してくれたんだし、よかったよ」

「……それでいい」

 顔に手をあてて頷いた晶穂は、気を取り直して話を変えた。

「ところで、春直くん、見なかった?」

「春直くん? さっき中庭に出る方法訊かれたから、教えた所だけど」

「ありがと」

 春直は一か月でかなり銀の華での生活に慣れたようだ。しかし、何処か影がある。楽しそうに笑っていても、ふとした瞬間に顔が曇る。それが何に寄るものかは想像に難くないが、晶穂はそれを少しでも和らげ払拭させられないかと心を砕いていた。それは他のメンバーやリンも同じなようで、春直の近くには誰かいることが多い。

 晶穂は一度自室に戻ってから、中庭に向かった。

「いた。春直くん」

「……晶穂さん」

 猫人の少年は、傍に文庫本を置いてベンチに座っていた。晶穂は隣には座らず「ちょっと邪魔するけど、ごめんね」と言って手に持っていたものを振るった。

「……」

 ヒュンと空を切る音が静かに響く。晶穂は部屋に戻った折、ジェイスを通してリンから貰った矛を持って来ていたのだ。晶穂の体の中にも矛がある。しかしそれは彼女の命を削るもの。晶穂はその『聖血の矛』を使うことを自身に禁じた。

「わたしね、この身体を鞘にしている矛を自分の意志で目覚めさせたわけじゃないんだ」

 一時の鍛錬を終え、晶穂は春直の隣に座った。少年に矛の由来を訊かれ、それを話し始めたのだ。

「え。そうなんですか?」

「そう。体を敵に乗っ取られたことがあって、その時にやられたんだ。だから、わたしは出来れば使いたくないの。矛をもし手放してしまえば、わたしは死ぬから」

 冗談じゃないよね、と晶穂は笑った。目を丸くして言葉を失くした春直は、それでも何か返そうと答えを探している様子だ。晶穂はそれを首を横に振って制し「でもね」と続けた。

「それでも戦いたいんだ。リンやジェイスさん、克臣さんには守ってもらってばかりだから。わたしの力は強大みたいだけど、諸刃の剣。そんなわたしに、リンが戦う術を与えてくれた。だから、強くなるためによくここで鍛錬してるんだ」

「……すごいな」

「すごくないよ。春直くんだってすごい。だって、大変な経験をして、それでも前に進もうともがいてる。新しい環境で戸惑うこともたくさんあると思うけど、誰も、もうきみを置いては行かないからね」

「……ほんと、ですか」

 訝しげな春直に、晶穂は明確に頷いた。

「よかった……」

 ほっと一息ついた顔の春直に微笑みかけ、晶穂は彼の頭を撫でた。もともと持っていたさらりとした質感の髪が、彼女の手によって揺れる。

 その時。

 ドンッ

 地響きが鳴り、土煙が舞う。空から何か落ちてきたようだと気付くまで、数秒かかってしまった。その間に攻撃の第一波が二人を襲う。

「逃げて!」

 春直の体を力いっぱい押し、晶穂は自分も反対方向に跳んだ。危機一髪で避けた刃は、二人が先程まで座っていたベンチを両断していた。

「……ちっ。仕留め損ねたか」

「あなたは……!」

 煙が少しずつ晴れて視界を開く。晶穂は矛を手に、瞠目した。剣の切っ先をこちらに向け、ほくそ笑んでいる男の姿に見覚えがあったからだ。

「久し振りだな、神子」

「……クロザ」

「時は来た。お前を殺す」

 そう言うが早いか、クロザは勢いをつけて晶穂に襲いかかった。晶穂も矛で応戦するが、防御にしか手が回らない。どうにか春直の逃げる隙を作ろうと彼の居場所からクロザを離そうと誘いをかけるが、クロザは乗らない。それどころか、腰を抜かせた春直に近付こうとさえする。

 何度刃を合わせたか。晶穂の全身には切り傷や擦り傷が絶えず増えていく。対するクロザは涼しい顔だ。クロザはひょいっと片方の眉を上げた。

「そいつは……生き残ったか」

「やっぱり、オオバを襲ったのは!」

「オレたちだが?」

 激しい打ち合いの中、間合いを取った瞬間の会話だ。それがどうした、という表情を見せるクロザは、背後で立ち上がった少年の殺気に嗤った。

 春直は震える声を叱咤し、激しい憎悪を載せた。

「……お前たちが。父さんたちを!」

「春直くん!」

 晶穂の制止は間に合わない。彼女が手を伸ばすより早く、クロザは振り向きざまにタックルして来た春直の体に刃を叩き込んだ。

「がはっ」

「……殺せはしなかったか」

 春直は半身を回転させ、紙一重で切っ先をかわしていた。しかし完璧に避けることは出来ず、左の二の腕から血が流れ落ちていた。そこを右手で押さえるが、血は簡単には止まらない。

「春直くんッ!」

 隙を突いて、晶穂は春直に駆け寄った。血止めをしようと手持ちのハンカチを傷口に当てた。

「ありがとう、ございます……」

「じっとして……え……?」

 どくん

 晶穂は自身の右手を見た。春直の傷から流れる血に触れていた方だ。そこだけではなく、全身にクロザとの交戦の傷がある。かすり傷がほとんどだ。その中でも右手がうずく。まるで、何かに反応しているようだ。

「え……くっ」

「晶穂さん?」

「……始まったか」

「なに……が?」

 余裕で、足元から崩れ落ちる晶穂を見下ろしていたクロザがふんっと鼻で笑う。そういえば、チャンスであるにもかかわらず、クロザは晶穂が春直に近付くのを邪魔しなかった。それに思い当たった時には、既に時遅しであった。

「教えてやろうか、お前の突然の不調の原因」

 ちらりとクロザは、晶穂を支えて困惑する春直を見やった。

「そのガキだ」

「……ぼく?」

「まさか。そんなはずない……」

「オレらが、何故そいつを残したかわからないだろうな」

 くくっと喉を鳴らした男を、晶穂と春直は愕然と見上げた。

 春直はわざと殺されなかったと言うのだ。何故か。解答としてクロザが口にした真実は、信じがたいものだった。少なくとも、晶穂と春直には。

「ガキ。お前の村は、大昔、オレらの先祖が神子をたおすための血を残した土地だ。そんな土地は、この大陸に幾つかあるがな。そこに残されたのは、神子の血を封じ込める力を持つ血脈。『封血』を守り伝えてきたやつらなんだよ」

「……ふう、けつ」

 晶穂の意識はその言葉を最後に途切れた。しかし春直は意識を失うことも出来ず、がたがたと体を震えさせていた。晶穂の重みが体にかかる。

「封血は、神子のみが持つ聖血の矛の力を封じる血の力だ。オレらは自分たちの命にかかわる力を破る方法を長年にわたって研究して来た。それは先祖も同じだったんだな。オレに、こんなに良いものを遺してくれた。オレは封血の存在を知って、その血をつなぐ者片っ端から血を抜いていった。封血は神子には毒だが、オレ達には魔力増強剤みたいな役割をしてくれるしな」

 興が乗ったのか、クロザは喋り続ける。

「お前、良い働きをしてくれた。……だが、もう用はない」

「ひっ」

 クロザに殺されると悟った春直が、身をすくませた。しかしクロザは彼を殺すことなく、晶穂の体を肩に担ぎ上げた。

「……リンとかいうやつに言っとけ。神子はもらう。オレの目的を達するための駒だからな。それが達せられれば、こいつは好きにさせてもらう、とな」

 その言葉を最後に、クロザは空に溶けるようにして姿を消した。いつの間にか、日は西に傾いていた。

「春直!」

 呆然と座り込む春直のもとにリン達がやって来たのは、それから数秒後のことだった。

 息を切らせるリンが描人の少年の肩を支えた。

「すまん。随分前から物音には気付いていたんだが、中庭には誰も入れなかった。恐らく、結界が張られていたんだろう。俺の魔力じゃ……春直?」

「ぐず……リン、だんちょ……。あ、晶穂、さんがっ」

「……そう、晶穂はどうした? 一緒だと」

 思っていたんだが。そうリンが言う前に、春直は突然リンに抱きついた。それだけで、リンは彼が言わんとすることを察した。ゆっくりと、感情を抑えた声で問いかける。

「……さらわれた、んだな。クロザに」

「そう、です」

 ひっくひっくとしゃくり上げながら、春直はクロザの言葉を全て伝えた。自分の村が密かに担わされてきた役割について。そしてそれが神子である晶穂に及ぼした影響について。そして、クロザの最後の台詞も。

 全てを話し終わると同時に、春直はふっと意識を手放した。伝えるべきことを伝え終え、恐怖が勝ったのだろう。よく、耐えたものだ。

 小さな体を抱き上げ、リンは険しい顔で目を閉じた。共に来たジェイスに春直を預け、彼は無言で中庭を後にした。

「さ、傷の手当てをしようか」

 ジェイスが春直に話しかけ、抱き直す音は聞こえた。彼に任せておけば問題はない。それよりも、自らの失態がリンの心を蝕んだ。

「……あきほ」

 ぎり、と噛みしめた奥歯が痛い。

 痛いのは、口内ではないのだ。

 足下に、赤く汚れた文庫本が落ちていた。

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