第77話 束の間のシフォンケーキ
春直の世話を晶穂に任せて退出させた後、男三人は表情を変えた。
「……まさか、本当に吸血事件、からの殺人事件が起きるとは思ってもなかったですよ」
「本物の吸血鬼だね」
ジェイスに同意し、リンは目を閉じた。犠牲になったオオバ村の人々の冥福を祈るつもりだった。少しして瞼を上げると、ジェイスと克臣も目を開けたところだった。
「これは、あちら側の一策でしょうね」
「間違いなく」
「俺らが動かざるを得なくなる状況を作ったってことだろ」
「……そして、こちらの『吸血鬼』を脅している。こちらは魔種なんだけどね」
ジェイスは眉間にしわを寄せて「目的は何だ」と自問した。克臣が苦く嗤う。
「それが分かれば苦労はない」
「まあ、そうだね」
ジェイスは息をつくと、リンに目を合わせた。
「忘れる所だったけど、春直くんが村で妙な会話を聞いたと言っていたよ」
「妙な会話?」
「『おい、どれくらいたまってる?』『我々が食した分を含めて……あと少しです』だと。一体何が『あと少し』なのかは雨音が激しくて聞こえなかったみたいだけど」
「……何を、ためている?」
リンの疑問に答えられる者は、この場にはいなかった。
「さて、どうしようかな」
リン達と別れ、晶穂は黙り込む春直を持て余していた。緊張しているのか、話しかけてもこちらを向かない。
どうしたら彼と親しくなれるのか、普通に話してもらえるのか。考えた末、ユーギとユキを呼び出した。
「どうしたんですか、晶穂さん?」
「ぼくらが役立てることですか?」
「うん。春直くんと仲良くなる作戦遂行だよ」
何をするのか、とキラキラした目で問われた。春直は困惑顔でこちらを見つめている。晶穂はふふ、と微笑み、三人を食堂へと誘った。
食堂の当番に許可を貰い、材料を台に載せていく。卵、牛乳、薄力粉……
「何か作るの?」
ユキの疑問に「そうだよ」と頷き、晶穂は年少組にエプロンを手渡した。
「さ、これをつけて。手を洗ってね」
「……へ?」
「ほら、春直くんも」
目を瞬かせた春直の手を両側から引き、ユキ達が手洗い場へと連れて行く。その間に、晶穂はオーブンの予熱を開始した。
手を洗った年少組が戻って来た。エプロンもつけてくれている。春直がグリーン、ユキがブルー、ユーギがオレンジの腰に巻くタイプだ。晶穂はイエロー基調のエプロンをつけた。
「よし、始めよう」
それからは、賑やかなものだ。年少三人はこういった料理をほとんどしたことがないらしく、卵を割るのもハンドホイッパーで混ぜるのもわーわーと言いながらやっていく。
「あ、卵飛んだ」
「ちょ……ユキくん、何すんだよ」
「あはは! 春直くん粉まみれー」
その様子を見ながら、晶穂はボウルの中身を混ぜ合わせる。もう台所は色んなものが散っている。後で念入りに掃除しなければならない。苦笑しつつ、それでもいいか、と目を細めた。
出来上がった生地を型に流し込み、トントンと空気を抜く。それを予熱の終わったオーブンに入れる。
ピッ
スタートボタンを押す。年少組はあと何分もあるにもかかわらず、
「まだかな」
「早く出来ないかなあ」
「……おいしくなれ」
わいわいと楽しそうだ。それを見守るのもほのぼのとして楽しかったが、晶穂はパンパンッと軽く手を叩いて三人の意識をこちらに向けた。
「ほら、三人とも。待ってる間に後片付け終わらせるよ」
「「「はーい」」」
ガチャガチャと音をさせながらスポンジでボウルや計量スプーンを洗って、布巾で拭く。片付けた頃合いで、オーブンが出来上がりを告げた。
「あ、出来た!」
ぱたぱたとイの一番で駆けて行ったのは、なんと春直だ。ミトンをはめて中のケーキを取り出した。
「見て、シフォンケーキ!」
輝く笑顔で晶穂たちにケーキを見せた春直は、彼女らのしたり顔を見て首を傾げた。そしてはっと顔色を変えた。耳まで真っ赤に染まる。それを見て、晶穂はにこりと笑って春直に近付いた。彼の手からシフォンを載せた天板を受け取って机に置いた。
「よかった。やっと笑ってくれた」
「え、あの」
「……ここに来てからずっと辛そうだったから。辛いのは変わらないかもしれないけど、少しでも笑ってくれればと思って。……ごめんね?」
「……いえ」
耳を垂らし、顔を伏せ、春直は小さな声で付け加えた。ありがとうございます、と。晶穂は嬉しくなって春直を正面から抱きしめた。仰天する春直に抵抗され、晶穂は慌てて放した。
「ごめんね。つい」
「……お兄ちゃんが見たら絶句するな」
ユキの呟きは距離が離れていた晶穂には届かなかったが、隣にいたユーギは苦笑いをして応じた。そんな年少組の会話を、晶穂は知らない。
「みんなで食べよっか」
そう言って食堂に年少組を行かせ、晶穂は皿とフォークを準備した。冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップに入れる。誰か来てはいけないため、コップは数個余分に準備した。それらをお盆に載せて食堂へ行くと、明らかに人数が増えていた。
「おお、晶穂。ケーキおいしそうだな」
「わたし達の話し合いも一段落したので、お相伴にあずからせてもらうよ」
「……よう」
「克臣さん、ジェイスさん。……リン……」
皿とコップを余分に持ってきてよかった。晶穂は大皿に載せたシフォンケーキをナイフで人数分に切り分けた。春直が率先して手伝ってくれ、コップにジュースを注いでくれた。
「ありがと、春直くん」
「いえ」
少し頬を赤くした春直は、若干乱暴にコップをみんなに配った。
「いただきます」
みんなで一斉にケーキを口に入れる。最初に声を上げたのはユキだった。
「晶穂さん、おいしいね!」
「あ、ほんと?」
「ぼくもおいしい! ね、春直くん」
「……うん。みんなで作ったから」
ユーギに問われ、春直は素直に頷いた。しっぽが左右に揺れている。尾は本人以上に正直だ。
年少組に続き、年長組も子供達を褒めちぎる。
「お前ら、ケーキなんて作れたんだな。すっげえうまいわ」
「ええ。春直くんも笑顔になってくれたし、よかった」
わいわいと喧しくおやつの時間が進む中、晶穂の隣に座っていたリンが、ぼそりと呟いた。
「……シフォンケーキもうまいけど、このクリームも甘過ぎなくて俺は好きだな」
「ありがと。さっき慌てて作ったやつなんだけど」
実は砂糖は目分量だった。生クリームのパックに書かれた表示よりも少なくなったと思っていた。先程コップなどを用意した際、シフォンケーキに生クリームがなくてどうするんだと思い立ったのだ。
リンは僅かに目を逸らし、再び呟いた。
「……また、作ってくれよ。俺に」
「……うん」
晶穂は、花が咲くように微笑んだ。
彼らから少し離れた所では、春直が輪の中心になって笑っていた。
これから来る嵐の前に、静かさとは程遠い賑やかな時間が過ぎようとしていた。
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