第74話 惨劇
食堂は獣人や吸血鬼、人でごったがえしていた。それぞれが思い思いに腰を下ろしたり壁に背中を預けたりしている。
「あ、晶穂さん!」
「ユーギ、ユキくんも」
入口から最も遠い席に、見知った小さな友人達を見つけて晶穂は駆け寄った。駆け寄ったと書いたが、人が多過ぎてその間を縫うように進んだのだ。
「晶穂さん、お出かけは楽しかった?」
「うん、お蔭様で。……ってそれは良いとして、これは何?」
困惑顔の晶穂に対し、ユーギは眉をひそめて囁いた。
「何でも、重要な知らせが入ったんだって。団長とジェイスさん、克臣さんが今話し合いをしているって。もうすぐ、誰かが内容を知らせに来てくれるはずなんだけど」
その時、外で雷が鳴った。ゴロゴロと不穏な音を響かせる。夕方までもった天気は、限界を迎えたようだ。ユキが窓の外を見ると、大雨が降り始めた。
また雷が鳴る。今度は遠くだ。それを合図にしたように、廊下から人の足音が聞こえてきた。
「ああ、みんな……というか、色んな人が集まってたのか」
食堂の入口に姿を現したのは克臣だ。その姿を見た途端、室内がしん、と静まり返る。その変わりように苦笑した克臣は、表情を改めて見回した。
「……みんな知ってるかもしれないけど、サディアから電報が入った。同時にテッカさんも報告に帰って来たが、二人の話す内容は一致していた。これが真実なのは間違いないだろう」
心して聞いてくれ。そう前置きし、克臣は事のあらましを話し始めた。
しとしとと細雨が降り始めた午後。リンの許に二つの知らせが入った。一つは電報で、そしてもう一つは、
「ああ、団長」
「え、テッカさん!」
息を切らせて部屋に入って来たテッカに驚き、リンは慌ててハンドタオルを手渡した。テッカの体は雨で濡れていたのだ。タオルを受け取って拭きながら、テッカはせいだ様子で話を始めた。
「実は、調査先で噂を聞いてな。噂の出所に急行したんだ」
そこでちらりとリンの手元を見、頷く。
「ああ、サディアからも報告が来たのか。向こうで会ったからな」
「……同じ内容なんですか?」
リンの問いに再び首肯し、テッカは彼の傍に来たジェイスにタオルを返した。
「ジェイスも、克臣もいるのか。二人とも聞いてくれ。団長はその電報を読みながらで良い」
そう言うと、テッカは勧められた椅子には座らず、カーペットに胡坐をかいた。
数日前、テッカはアルジャで古来種の動向を調べていた。しかし芳しい結果は出ず、そろそろ場所を変えようかと考えていた所だった。
「て、テッカさん」
「おお、おやっさん。どうしたんだ、そんなに慌てて」
テッカ行きつけの酒場の主人が、大きな腹を揺らしながら走って来た。不思議に思い、テッカも彼に向かって歩く。話を始めた主人の言葉を聞くうちに、みるみるとテッカの顔が厳しく変わっていく。テッカは礼の言葉もそこそこに、体の向きを変えて走り出していた。
主人の話はこうだ。
アルジャ近くにある森の中の小さな村で、大量殺人が起こったのだ。それも村人は全員死亡。狩猟のため森にやって来た猟師が、昨日の朝発見したという。
死体を詳しく調べると、どの首筋にも何かに噛まれたような跡があり、血が流れていた。腹をすかせた猛獣の仕業ではないかと考えられており、実際に第一発見者の猟師とその仲間達が深い森の中を見回り始めたという。テッカは森近くの小屋で、その猟師達から話を聞くことも出来た。
村に向かって森の中を進む中、後ろからテッカを呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、リドアス所属の同じ遠方調査員であるサディアが走って来た。
「テッカさんも、噂を聞いたんですか?」
「ああ。……だが、単なる噂ではなさそうだ」
風に乗ってきた血の臭いを感じ取り、テッカは眉を寄せた。狼人である彼は嗅覚が鋭い。サディアもそれに気付き、テッカの後について慎重に歩を進めた。
しばらく進むと、むせそうなほど濃い臭いが漂って来る。血だけではなく、別の臭気もあった。テッカが隣を見ると、顔を青くしたサディアがいた。
「……気分悪いか?」
「大丈夫、です」
「そうは見えないな。君はここで待ってろ」
「え、でもっ」
「……現場で倒れられても面倒だ。団長達への電報の準備でもしていてくれ」
ばっさりとサディアの言い訳を切り捨て、テッカは更に奥へと進んだ。
「……凄いな、これは」
呆然と呟く。辿り着いた村の現状は、一言では言い表せない惨状だった。
あちらこちらに血だまりがある。死体は埋葬したと聞いていたが、その死体があったであろう形が残っている個所もあり、サディアを置いて来てよかったと心底思った。
「人が生きてる様子もなし、か。……これ以上に分かることもなさそうだ。まずは団長に知らせよう」
テッカは内心一目散にこの場を離れたく思っている自分を自覚しつつ、ゆっくりとサディアが待つ場所へと帰った。
「――それからサディアには電報を打たせ、自分は急ぎ報告に帰って来たというわけだ」
息をつくのも惜しいという体で話し終えたテッカは、険しい表情の年下団長を見上げた。
「……俺、ここへ行ってきます」
「早急な判断は控えた方が良いと思うが?」
「ですが、俺達が暮らす街の近くでたくさんの人が殺されたということでしょう? それに直に見ないと事態は分かりません。テッカさんは俺達に現場を見せたかったんじゃないんですか?」
「……オレは、団長に事件を知らせて次の惨劇が起きないように気を配って欲しかっただけだ。村の遺体は役所に埋葬を願っておいた。もしも遺族がいるなら、そっちから連絡が行くだろ」
だから団長はこれから先を考えろ。そう言われた気がして、リンは密かに奥歯を噛み締めた。自分の無力さが悔しい。
しん、と静まり返る室内で、克臣とジェイスは顔を見合わせた。血を失った遺体。それが示す物は、彼らが持つ知識の中で解答は一つしかない。
「……古来種」
「それしか、ないだろうな」
年長者二人の会話を背中越しに聞いていたリンは、目を伏せた。
その時、ノックもなく勢いに任せてドアが開いた。その傍にいたテッカがすんでの所でドアを避ける。戸を開けた本人を目視し、溜め息をつく。
「サディア。せめてノックくらいしろ。危ねえだろ」
「ご、ごめんなさい! でも、団長達にすぐ知らせないとと思ったので」
「何かあったのか?」
慌てふためくサディアを落ち着かせようと、ジェイスが水の入ったコップを差し出す。それを受け取り一気に飲み干したサディアは、ふうっと息をついた。
「失礼しました。もう大丈夫です」
「もう一度聞く。何があった?」
「はい。……テッカさんがいなくなった後、役所の人達が来て遺体を移動させました。それを見届けてから近隣で聞き込みをしていたんですけど、連絡先を交換していた役所の方から水鏡に連絡があったんです。それによれば──」
サディアは一呼吸置いた。
「村人が全滅したとしたら、一人足りないのだそうです」
「足りない? それは死んではいないということか?」
勢い込んで尋ねるリンに気圧されつつ頷いたサディアは、
「はい。足りないのは
一気に言い終え、サディアは安堵の息をついた。緊張がほぐれたのだと実感する。
「俺が……」
「今回はわたしと克臣が行こう」
リンの名乗りを遮り、ジェイスが前に出る。言い募ろうとする弟分の肩に手を置き、真正面から彼の目を見つめた。
「リン。これは古来種の――おそらくはクロザ主導の――起こした事件だ。こちらが動くことは織り込み済みだろう。このリドアスに彼らがやって来ることも十分考えられる。その時、わたしたち二人がいなくて戦力は削がれている。だからこそ、リンには団長としてリドアスのみんなと、何より狙われかねない晶穂を守ってやってほしい。……いいね?」
「でも……わ、かりました」
不承不承で頷いたリンの頭を撫で、ジェイスと克臣は頷き合った。準備のため部屋を出ようとした二人をテッカが呼び止めた。
「案内はオレがしよう」
「頼みます」
「……外が騒がしいな。テッカさんがずぶ濡れで帰って来たからみんな不安がってるんすよ」
「悪かったな」
「俺がみんなに説明してきます」
苦笑して一番騒がしい食堂に向かった克臣が、今ここに立っている。
「ま、こういうことだ」
克臣は出来事のあらましをかいつまんで話し終えた。リンに晶穂を守れと言ったくだりなどは省略したが。今更だが、晶穂にリンを奪われると考える女性ファンが皆無なわけではない。克臣もたまに噂を聞く程度だが、あいつもモテるんだなあ、と感心したくらいのものだ。
「だから、俺とジェイス、それにテッカさんは準備が出来次第出掛けるよ。大雨みたいだけど、みんなは不安がらずにいつも通りに過ごしてくれればいい。……じゃ、解散!」
その言葉を合図に、メンバー達はめいめいに様々なことを話しながらも素直に食堂から出て行く。人によっては克臣の肩をたたき、エールを送ってくれる。それに笑顔で応えつつ、彼はこのメンバーの反応に感心していた。こんな不安要素満載の話をした後で、誰も不満を漏らさない。それどころか応援してくれる。有り難い人々だと思う。
ジェイス達が急いで出かけた後、リンは晶穂を訪ねようとした。しかし自室にはいない。先程まで一緒にいただろうサラに訊くと、知らないと返された。
(……もしかして、もう攫われたとかじゃねえよな)
嫌な汗が背中を伝う。そんなはずはないのだ。だが、まったくないという可能性もない。心なしか、歩む足が速まる。
晶穂が行きそうな場所を幾つか見て回る。図書館の受付で行方を尋ねたが首を横に振られた。息を切らせ、裏庭に通ずる扉を乱暴に開け放つ。
「ひやっ」
「……なんだ、ここかよ」
バンっという大きな音にびっくりした細い背中がわななく。勢い良く振り返った晶穂の額には汗が光る。食堂を出て、ずっとここで鍛錬をしていたらしい。外は雨が降っているのだが、裏庭は屋根がある。雨音が響くだけだ。
「え……リン?」
「……」
「え、え、え! だ、大丈夫!?」
へなへなとその場にしゃがみ込んでしまったリンの傍に同じくしゃがみ、晶穂は彼の額に手のひらを乗せた。
「っつ」
「……うん、熱はな……あっ」
リンが耳を赤く染め、ふいっと視線を外す。晶穂も自分の行為の大胆さに気付き、ぼっと顔を赤くした。
「ご、ごめ」
「いいよ。……それより、ここで何してたんだ。矛の鍛錬だろ?」
晶穂の手を外させ、リンは彼女が持つ矛を見た。そこにあったのは晶穂の血から生まれた聖血の矛ではなく、昔高名な鍛冶によって造られたとされる名もなき矛だ。
晶穂はリンの視線に気付き、「あっ」と声を上げた。
「そうだ、これ」
「ああ、ジェイスさんに渡してもらったやつだろ? 使い心地はどうだ?」
「うん。初めて持ったのにしっくりしてて、軽いよ」
「……そうか」
ふ、と目を細めた。そのリンの表情が寂しそうに、また悔しそうに見えて、晶穂はジェイスの言葉を思い出した。
――本当なら、リンは君に武器を取って欲しくはなかっただろうけど……。
そう思ってくれているのなら、嬉しい。その反面、寂しいと思う。一緒に戦ってきた仲間だと考えるのは、わたしの自惚れだろうか。
「晶穂?」
晶穂は怪訝な顔のリンに「なんでもない」と首を横に振った。
「そうだ。リンはジェイスさん達と一緒に行かなくていいの?」
「俺は……ここに残る」
「……そっか」
晶穂は微笑んで、矛を握り直した。この矛にはまだ名をつけていない。ジェイスには名をつけた方が武器も喜び、本来の力を貸してくれると勧められた。だが、相応しい名が見つからない。
リンに自分の矛さばきを見てもらおう、と晶穂は彼に背を向けて矛を構えた。
「……!」
その時、一陣の風が吹いた気がした。
背後から、リンが晶穂を覆いかぶさるように抱きしめたのだ。息をするのを忘れた晶穂が、混乱する頭を整理しようとした時、ぼそり、と何か聞こえた。
「………、………」
その声は激しさを増した雨音に遮られ、彼女の耳には届かなかった。
―――この前みたいなことがあったら、俺は生きていかれない。
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