第75話 春直

 雨が激しさを増して来た。また夜も更けて来て、前がきちんと見えない。

 克臣は手持ちのランプを掲げ、林道を見通そうとした。

「本当にこっちなんですか、テッカさん」

「ああ。間違いはない。……消えない血の臭いが漂って来る」

 こっちだ、と走り出すテッカを追い、克臣は雨合羽のフードを押さえ、ジェイスと共に走り出した。

 ザ―

 降りしきる雨の中、ジェイスと克臣は息を呑んだ。辿り着いた村の名はオオバ。獣人を中心とした小さな村だ。普段なら雨の中でも子供の笑い声や大人達の話し声が聞こえるものだ。しかし、ここは静寂だ。

「……まじで、生き物の気配がないな」

「ああ。ここで生き残った少年を探す、か」

 克臣とジェイスはそれぞれの顔で眉をひそめた。その様子を知ってか知らずか、テッカは淡々と民家に入り込んで子供を呼ぶ。

「おい、誰もいないのか?」

「テッカさん、そんな怖い声じゃどんな子も出て来ないですよ」

「……じゃあ、ジェイス。お前もやれ」

「ええ、勿論です。克臣は他の家も頼む。もしかしたら、家具の何処かに隠れてるかもしれないから」

「了解」

 ジェイスに頼まれ、克臣は改めて村を見回した。何処にでもありそうな丸太小屋や板塀の家が立ち並ぶ。生活感にあふれていたはずの平和な村は、今や凄惨な事件現場だ。遺体はなくなっても、血が残され、壊れた家具が散乱している。雨で流れているとはいえ、生々しい。

 ぶるり、と体を震わせ、克臣は数軒を訪ねて子供を探した。しかしまだ見つからない。

 焦りを覚え始めた矢先、克臣の耳にがさりという物音が聞こえた。それは村で最後の一軒の寝室をあたっていた時のことだった。

「……誰か、いるのか?」

 しん。

 明らかに何かがいる。突然静まるなんて、人以外はあり得ないだろう、この場合。

「……」

 克臣? と背後から呼ばれたが、彼は口元に人差し指を当てて制した。克臣はゆっくりと足音をたてぬよう、慎重に寝室の押し入れに近付いて行く。

 中かびくつく気配がする。克臣は押し入れの前に腰を下ろし、とんとん、と戸をたたいた。

「……中に、いるのか?」

「……」

「だんまりか。なあ、俺は克臣。園田克臣ってんだ。近くには仲間のジェイスとテッカさんがいる。俺達は銀の華って集団メンバーなんだ」

「……ぎんの、はな……?」

 か細い少年の声がした。どうやら銀の華を知っているようだ。克臣は慌てず、「そうだ」と応えて見せた。

「事情があってな、事件の調査をしている。……君はここの村の人?」

「……そう」

「大丈夫。俺ら以外に人はいない。襲われることはないから、出て来てはくれないかい?」

「……」

 中に隠れた少年からの反応は途絶えた。それから何分の時間が経ったかは分からない。いつの間にかテッカもやって来て、寝室の柱に背を預けている。ジェイスは克臣の隣に片膝をついている。

 ここが辛抱のしどころだ。こちらから戸を開けて救い出すことも出来る。しかし、それでは少年の恐怖心を煽って、こちらを信用してもらうことは出来ないだろう。

 待った。待って、待った。しびれを切らしそうなテッカをなだめ、ひたすらに待った。

 すると、数センチだけ押し入れが開いた。大きな瞳が覗いた。

「おお、開けてくれたか」

 にこり、と笑みを見せる。克臣の邪鬼のない笑顔は、子供に安心感を与える。そう、ジェイスは考えている。普段じゃれているユーギは、そんな彼の良い意味での幼さを感じ取り、なついているのだろう。本人は決して言わないが。

 少年が逡巡しているのが分かる。出ようか、どうしようか。しかし事件があって数日が経った状況だ。空腹と睡魔によく耐えているものだと思う。克臣はもう一押しを試みた。

「な、俺たちと来ないか? きっと、力になれるから。……君の名前は?」

「………」

 たっぷりと十呼吸置き、すす、と戸が引かれた。

「……春直」

 そこに座っていたのは、十歳くらいの描人の男の子だ。サラサラだったであろう紺色の髪はパサつき、痩せこけているように見える。克臣はゆっくりと出てきた春直を背負い、二人に頷いた。

「よし、帰るぞ」

「ええ」

「はい」

 春直を背負った克臣を先頭に、テッカが殿を務めた。走る間、ジェイスが克臣の背を見ると、ようやく安心できたのか、春直がぐっすりと眠っていた。


「ただいまっ」

 バタン、という扉を閉める音がリドアスに響いた。それは、二日前に出て行った克臣の声だ。リンと晶穂は駆け足で玄関ホールに迎えに出、びしょ濡れの彼らの姿に唖然とさせられた。

「お帰りなさい、皆さん。まずは……風呂ですかね」

「ああ、頼むわ。その前に、医者を呼んでくれ。あとは何か食いもん」

 克臣はそう言うと同時に背負った何かをソファーに下ろした。晶穂が毛布にくるまれたそれを見ると、小さな男の子が眠っていた。

「この子……」

 心なしか、全身が震えているように見える。傍に来たジェイスが、

「この子が生き残り。描人の男の子で春直くんだ」

「……かわいそうに。怖かったよね」

 晶穂は春直の頭を軽く撫でた。少年は深く眠っているのか、ぴくりとも反応しない。その間にリンが水鏡で医者を呼び、テッカと克臣、ジェイスは浴場に歩み去った。晶穂は起きた後に空腹を訴えられては大変だ、と食堂に向かった。

「すみません!」

「あら、晶穂ちゃん。どうしたの?」

「すみません。夕食の残りで良いので、男の子が好きそうなもの、お願いします」

「ああ、あの村の子ね。わかった、任せて」

 晶穂の頼みを快く受けた食堂の料理人は、すぐに残り物から唐揚げと卵を取り出し、それと白米を使って唐揚げ丼を作ってくれた。それに温かいお茶を添えてホールに戻ると、丁度医者がやって来て、眠気眼をこする春直の胸に聴診器を当てていた。

「先生、どうですか?」

 克臣が問うと、犬人の医者は聴診器を外し、犬歯を覗かせた。

「軽い衰弱が見られるが、温かくして飯を食って、ゆっくり寝れば元気になる。……よく、頑張ったな、少年」

「……」

 お大事に、との言葉を残して行った医者を見送り、仲間達が玄関ホールに集まってきた。呼び掛けたわけではないが集まった人の多さに、春直は目を見張って固まった。

「あ~あ~。春直くんが緊張してんじゃねえか。リン、順番に紹介するから一旦解散するよう皆に言ってくれ」

「わかりました」

 克臣に願われ、リンはその通りに集まった人々に頭を下げた。三々五々散って、残ったのは克臣、ジェイス、リン、晶穂、サラ、ユキ、ユーギ、唯史、そして春直の九人だ。テッカは報告書を書くとかで自室に引き上げてしまった。

 黙り込む春直にどんな言葉をかければ良いかわからず、皆口ごもる。その中でも晶穂は自分が持って来たお盆の存在を思い出し、春直の前に片膝をついた。

「あ、そうだった。春直くん、わたしは晶穂。三咲晶穂。これ、美味しいから食べてみて?」

「あ、ありがとうございます……」

 戸惑いつつもお盆を膝に乗せられ、春直は温かな湯気を上げる丼を見て目を輝かせた。箸を持ち、小さな声で「いただきます」と言うと、勢い良くかき込み始めた。

「よかった、お腹空いてたもんね」

「しっかし、凄い食べっぷりだな」

「たくさん食べな~」

 年齢相応の食べ振りに安堵したためか、皆饒舌になる。わいわいと春直に自己紹介を始める。

「俺は、銀の華で団長をしてる。氷山リンだ」

「わたしはジェイス。所謂吸血鬼といえばわかりやすいかな。魔種、というのがより実態に近いと思うけど。リンの兄代わり、かな」

「同じく兄貴分の園田克臣。って、俺とジェイスは自己紹介済みか」

「それもそうだったね」

「はーい! ぼくはユーギ。十才。見ての通り狼人だよ」

「ぼくは、ユキ。氷山ユキ。今年五才だよ」

「あたしはサラ。晶穂の友だちだよ。よろしくね、春直くん」

「は、い。春直、です。……オオバ村出身、です……っ」

「春直」

 うわぁぁぁぁあん

 突然泣き出した春直の肩を受け止め、ジェイスが背をたたいてやる。その隣から晶穂とサラが頭を撫でてやり、リンと克臣は穏やかに見守る。ユーギとユキは最初おろおろとしていたが、春直が落ち着いたら一緒に遊ぶものを取りにそれぞれの部屋に行ってしまった。

 低く落ち着いた声で、ジェイスが春直に呼びかける。

「たくさん泣きな。君が体験したことは、きっと君の中に傷として残る。それを消すことは出来ないけど、和らげることはきっとできる。だから、落ち着くまで泣くと良い」

「っひっく。ええん……」

 やがて涙も枯れたのか、ひっくひっくとしゃっくりのような声を上げて春直が自分を落ち着かせようとし始めた。

「……ごめんなさい」

「何を謝ることがある?」

 照れてジェイスから少々乱暴に離れた春直は、口を閉じてしまった。何かを言おうとしているようだが、それを言葉にうまくまとめられずにいるように見える。

 そうしていると、部屋に戻っていたユーギとユキがおもちゃをたくさん抱えて戻って来た。走って来る間にガチャガチャ音がすると思いリンが振り返ると、案の定、廊下に幾つかの玩具を落としている。それを拾おうとすれば、抱きかかえていた電車の模型が転がった。サラが苦笑気味に拾ってやる。

「春直。落ち着いたか?」

 克臣がジェイスの肩越しに顔を覗かせて尋ねると、春直はこくんと頷いた。そして躊躇った後、

「……助けてくれて、ありがとうございました。ジェイスさんと克臣さんが何でぼくの住んでた村に来たのかわかるから、ぼくが見たことを話します」

 ぺこりと頭を下げ、春直は勧められたソファーに浅く座った。

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