第73話 受け取る力

「晶穂、ちょっとついて来てくれるかい?」

「え? ……はい」

 大学も春の気忙しさから落ち着いた五月のある土曜日の午後。ジェイスについてリドアス本館を出た晶穂は、大きな土造りの蔵に案内された。思わず、感嘆の声が漏れる。

「大きいですね」

「初代団長が町の職人に頼んで造ってもらった宝物蔵だよ。火事や災害にあっても中のものを守れるように、土と水の魔法で守られているんだ」

 ジェイスは蔵の戸にかかった錠前に手をかざし、呪文を呟いた。すると何処からか鍵が現れ、ひとりでに鍵を開けてくれる。そして、ジェイスは晶穂に中へ入るよう促した。

 蔵は日の光がほとんど入らずに暗い。唯一の窓には格子がなされ、入る日光を遮っている。目が慣れるのに時間が要った。

 蔵の中は所狭しと木箱が重ねられ、箱に入らない物は立て掛けられていた。その中には武器も多数見受けられる。木箱に書かれた文字を読むと、何と言う書物か、中身は何か、ということが記されていた。

 物珍しさに見回していた晶穂は、奥へと進むジェイスの後を慌てて追った。

「ここに、何があるんですか? わたしに関係するものがあるとは思えませんが……」

「君に渡したいものがあるんだよ」

 少し待っててね。そう言って、ジェイスは更に蔵の奥へと入って行った。一体どのくらいの広さがあるのだろうか。外側からはただ大きい土蔵にしか見えなかったが、内部の底は知れない。恐らく、魔法で空間を広げているのだろう。晶穂はそんなことを考えながらジェイスを待った。

 数分後。ジェイスはなにやら細長い箱を抱えて現れた。彼の身の丈の長さはあろうその桐の箱には厳重に太い紐が巻かれ、結ばれている様はまるで封印の様だ。

「お待たせしたね」

「あの……それは?」

「開けてごらん」

 ジェイスは箱を近くにあった机の上に下ろし、晶穂の前へ押し出した。それほど重くはないらしい。晶穂は恐る恐る紐を引いた。すると、簡単に紐は解けてしまった。両手を箱の蓋にかける。本当に開けて良いのかと目で問うと、ジェイスは穏やかな顔で頷いた。

 ギギッ……

 ゆっくりと開いたのだが、箱は長い間開かれることがなかったらしく、耳障りな音を立てた。たまったほこりが宙を舞い、少し咳き込む。それが落ち着いてから蓋を箱の向こう側に置き、中身を見た晶穂は息を呑んだ。

「これっ……」

「これを君に、と頼まれたのさ」

 すらりと柄は長く、鮮やかな赤色をしている。柄の途中には三つの銀の環がついている。先には鋭利な刃が光り、わずかに水色に輝いたように見えた。

「―――矛」

 手に取り、その軽さに驚く。日本刀を始め、武器とは重いものだ。聖血の矛は晶穂本人の血から出来ているのだから軽く扱いやすいのは当然かもしれないが、これは違う。しっくりと手になじみ、晶穂は柄を撫でてみた。

「そう、矛だ。名もなきものだから、君が名づけてやると良い」

 ジェイスは微笑み、どうして自分にこの矛が与えられたのかと不思議がる少女の目線に、自分のものを合わせた。

「……リンがね、心底案じていたんだ」

「せんぱ……リン、が、ですか?」

 慌てて言い直す少女を好ましく思いつつ、ジェイスは言葉を続けた。これを自分に頼んだ時の少年の顔を思い出しながら。彼もまた、ほのかに赤面して目線を逸らし、つっかえつっかえ言葉を選んで話していた。それがまた(怒られるだろうが)ジェイスには可愛い。

「晶穂が持つ聖血の矛は、君の命を削る武器だ。それを体から離せば……文字通り、君は死んでしまう。そうだね?」

「―――はい」

 晶穂は神妙に頷いた。体を鞘としている時は全く問題がない。体外に出し、武器として使用した時が問題なのだ。矛を話してしまえば、血を全て失ったのと同じ状態になる。数秒なら蘇生出来るが、十秒も離していれば危ういだろう。

 矛を手に入れた後、晶穂はそれが命を握っていることを知った。そしてそれを古代に使用した女性がどうなったのかも。それどころか、晶穂は聖血の矛を欲したわけではない。彼女の体を奪っていた存在が覚醒させたのである。

 だからこそ、晶穂は矛を使う危険性を承知している。それでも、戦わなければならない時、矛は強力な武器となる。

「でもわたしは、自分が背負ったものから逃げるつもりはありません」

「うん。わたしも逃げろとは言わないよ。……しかし、大切な家族同然の君を失うかもしれない危険性を冒す必要性もないと思っているんだ」

 諭すように言葉を続け、ジェイスは晶穂が持つ矛に手をかざした。

「聖血の矛がその身に宿る事実は変えられない。だから、その矛に頼らない方法をリンが探した。……本当なら、リンは君に武器を取って欲しくはなかっただろうけど……」

「え?」

 最後の言葉が聞こえず晶穂は訊き返した。しかしジェイスは苦笑するばかりでそれには応じなかった。聞こえなかったふりをして、

「君は、聖血の矛の魔力に頼らずとも強くなれるよ。受け取って欲しい。前の所有者も分からない矛だけど、造りはしっかりしてるっていう鍛冶屋のお墨付きだ。――そして、。最後のは、リンの言葉だ。確かに伝えたよ」

「……はい」

 ジェイスは満足げに頷いた。晶穂の瞳が決意に輝いたからだ。

 道は、一人でも歩くことは出来る。しかし、障害を全て乗り越えて、最後まで辿り着くのは一人では難しい。誰かと一緒なら、辛いことも乗り越えられるのではないだろうか。

 晶穂は無意識に、手にした無名の矛を握り締めた。

 ――強くなる。大切な人達を守るために。悲しませないために。


 


 ベシャ

 新月の夜。光の届かない地上に、うごめく影がある。

 青年は木々に閉ざされた周囲を油断なく見渡し、形の良い眉をしかめた。

 彼の周りには生きている者が五人。そして地に伏している者が十人はいた。後者はぴくりとも動かず、皆同様に首筋から血を流している。

 むせ返りそうな臭気の中、青年は近くにいた男に声をかけた。男の口元は赤い。

「おい。どれくらい貯まってる?」

「はい。我らが食した分と分けて、目標量まであと少しです」

「お前達の欲求を制御するよりは、使った方が効率が良いからな」

 男の答えに対し、青年は無表情で了承の頷きを返した。男を始め、他の者達も舌で口元についた赤いものを舐めとっている。

 青年は天上を見上げた。

 ――待ってろ、ツユ。オレが必ず。

 暗闇に閉ざされた森は、月も星も見えずにどす黒さを増す。だからこそ、彼の唇に微笑が浮かんでいることに気付く者はいなかった。





梅雨明け間近と天気予報士が唱えるようになっても、連日の降雨は続いていた。それは日本のみならずソディールでも同じことだ。

 その雨の間を縫うようにして訪れる晴れの日は、住宅地のそこかしこで洗濯物が風に舞う。

 大学の友人数名と商店街を歩いていた晶穂は、とある雑貨店の前で足を止めた。

(これ、いいな)

 ショーウィンドーの向こうにあるのは、淡いブルーのガラスコップだ。よくあるシンプルな形のものではあったが、表面に波のような濃紺の模様がある。その場で立ちすくむ晶穂に気付き、友人の一人が声をかけた。

「晶穂ちゃん、何見てるの? こういうお店、好きなんだね」

「野々美ちゃん」

「あ、これ可愛い! ねえ、二人もおいでよ」

 ツインテールをなびかせた彼女は、他の店の前にいた少女達を呼び寄せた。くるりと振り返った少女達・瀬里奈と美貴が「なになに?」と好奇心に輝く目で晶穂達の傍へとやって来た。店内に入って行く三人を見送り、晶穂は再びショーウィンドーに目をやった。

(リンが使ってるコップ、随分汚れてたな)

 リンは自室で何か飲む時、大抵同じ透明なガラスのコップを使っている。購入当初は無色透明であったのだろうが、現在は使い込み、本来の透明感は失われている。彼の誕生日も近いし、プレゼントに良いかもしれない。

 以前晶穂が贈ったペンとノートは、リンの部屋に置いてあるのも何度も目撃している。ペンが机上に転がっているのも見たことがある。自分が贈ったものを使ってくれているのだと嬉しく思うと同時に、少しこそばゆい感情もある。

(でも誕生日に男の人に何かあげようか、なんて。まるでか――)

「晶穂ちゃん?」

 一人物思いに耽っていた晶穂は、突然の声に驚き、びくりと肩を跳ねさせた。

「わ……びっくりした」

「ごめんごめん。そんなに驚くとは思わなくて」

 野々美は苦笑いでそう謝った。後ろを振り返る彼女の目を追うと、他の二人も店先で晶穂を待っていた。

「次は、かんなが前に勧めてたカフェに行こうよ。あ、ここで何か買う?」

「う、ううん。いいや、行こう」

 友人達の前で彼氏でもない人へのプレゼントを買うのは恥ずかしいし、出来ない。言わずとも購入すれば自分用とは言い逃れられない。良くて一笑され、悪ければ仲間から外されるかもしれない。皆、彼氏はいないのだ。

 両親のいない晶穂にとって、友人を再び失うという可能性は恐怖だ。

 晶穂は笑顔を野々美に向け、ローカロリーのランチが食べられるというカフェを目指して歩き始めた。日を改めて、サラと共にこの店に来ようと決意しつつ、脳裏にある少女の面影が過った。

「楽しかったし、美味しかったな」

 夕方、細い雨が降り始めていた。友人達と別れた晶穂がリドアスに戻ると、屋敷全体が慌ただしい雰囲気に包まれていた。どうしたのかと首を傾げていると、何処かへ向かう途中だったセンが晶穂に気付いて近付いて来た。

「お帰り、晶穂ちゃん」

「あ、センさん。これは一体……」

「うん、何かサディアさんから電報が入ったんだって。リン団長達が話し合ってるらしいんだけど、みんな食堂に集まってるよ」

 晶穂ちゃんもおいで、と誘われ、不安を抱えながら、センの背中を追った。

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