少年の血

第72話 新たな年

 桜咲き、春が到来していた。

 日本では桜前線が北上し、晶穂達が通う星丘大学とその周辺の木々も、美しい花を咲かせている。

 リンは大学三年生、晶穂は二年生になった。受講科目の選択・登録を済ませ、各テキストも購入する。売店には書籍を買おうと連日学生達の列が出来ていた。

「晶穂、もうテキスト類は?」

「はい、買いました! あまり放っておくと、品薄になっちゃうので」

「賢明だな」

 講義が本格的には始まらないこの時期、図書館に併設されたこのカフェテリアにやって来る学生は稀だ。ほとんどの学生は、売店や校門から近い、食堂に行く傾向にある。そうでなくてもこの大学周辺は飲食店の類が多い。商店街がすぐ傍にあるせいだろう。

 リンと晶穂は大学構内で話すことを躊躇い避けてきたが、人のいないここならいいだろう、と二人で待ち合わせたのだ。

 カフェテリアは有名デザイナーがデザインに協力したらしく、木造ながら、その木目を活かした店内となっている。あまり派手な色は使わず、白や黒、桜色などを多用しているためか、構内の雑音を避けたい学生や教授達に人気だ。

 微笑んだリンは、不意に鞄から書類の束を出した。今年から使い始めた紺色のリュックは、進級祝いと称してジェイスから贈られたものだ。晶穂が差し出された書類の表紙を見ると、『吸血被害報告書 №1』と書かれていた。

「……これ」

「ああ。前に言った、古来種によるとみられる吸血被害の報告書だ。テッカさんが昨日送ってくれた」

 パラパラとページをめくっていた晶穂は、詳細な報告文に改めて目を通し始めた。しかし、そこには新たな被害の調査報告はない。あるのは、これまでにあった十件ほどの事件の再調査記録だ。

「……新しい事件はないんですね」

「ああ。ほっとして良いのか警戒すべきなのか微妙な所だな。まあ、こちらが調査を始めたことに気付いて一時的に取り止めているとも考えられる。テッカさんには、引き続き調査してもらってる」

「新たな被害なんて、出なければいいんですけど」

 晶穂は嘆息し、改めて顔を上げた。

「で、今日の話はそれだけなんですか?」

「そうでもないさ。油断大敵。晶穂の矛の腕前は向上してるのか聞こうと思ってな」

「矛は……ジェイスさんに師事して取り組んではいますけど」

 晶穂は言葉をとぎらせ、遠い目をした。それを見て、リンが苦笑する。

「どうやら、ジェイスさんの鍛錬は厳しそうだな」

「リン……先輩も小さい時はしごかれたって聞きましたけど、想像以上です」

「……嫌なことを思い出させないでくれ」

 リンは苦い顔をした。家族を失った後、リンの兄代わりを務めたのはジェイスと克臣だ。彼らはリンを弟のように可愛がってくれた反面、戦闘訓練の時は鬼のように厳しく接した。それを見ていた年長者のジースと文里が、声をかけられなかったと回想するほどである。

「何度怪我して泣いたか分からん。骨折しなかったのが不思議なくらいだ」

 今度はリンが遠くを見つめ、晶穂が苦笑いをする番だった。

 晶穂は大学構内を含め、日本にいる間はリンのことを先輩と呼ぶ。更に周りを警戒して、人がいる時には氷山先輩と呼ぶことにしている。リンのファンクラブ会員には相変わらず目をつけられていたし、そうでない女子学生からも嫌味を言われたことがあったからだ。リンは折角名前呼びに改めさせたのに、と冗談のように口にした後、笑って場所限定の先輩呼びを許してくれた。

「先輩って呼ばれると、赤の他人って感じがするんだよ」

 とはリンの談である。

 そのままジェイス達との訓練について笑いながら話していたが、鐘の音を聞いてリンが立ち上がった。

「あ。俺はこの次講義だけど、三咲は?」

 リンも晶穂のことを、人に聞こえる声で呼ぶ時は名字で呼ぶ。この時、カフェテリアに学生が五、六人姿を見せたのだ。

「正規の前のお試しみたいなやつですよね。わたしはあと図書館によって帰ります」

「そっか。じゃあ、また……あとでな」

 最後の「あとでな」だけは小声だ。リンは学生達が近くに来る前にと小走りに店を出て行った。晶穂も飲んでいたカップを返し、図書館に向かうためにドアを開ける。

「さて。図書館で調べものして、帰ろうかな」

 今日も、ジェイスとの特訓がある。随分と聖血の矛を扱えるようになったとは思うが、それでもまだ、リン達の力にはなれない。魔力増幅しか手伝える力はまだない。

 それでも、やらないよりは半歩でも進める。

 そう頷いて歩き始めた晶穂の後ろ姿を、数人の学生が何気ない風で見ていた。


「よし、と」

 リドアスの一角にある図書館で、リンは本を何冊も重ねて運んでいた。

 広い館内は、どれほどの本を蓄えているのか。リドアスの責任者であるはずの彼も把握していない。唯一知っていそうな図書館長の狼人・フォルタは、その白いひげを撫でて笑うだけだ。

 書籍の蒐集を本格的に始めたのはリンの父である初代団長である。しかし、その下地はソディールに昔から生きていた人々が購い、集め、残して来たものである。

「フォルタ図書館長、これを借りたいです」

「はっは。リンくんは最近よく通ってくれるね。しかし五冊か。開館時間内で読めるかい?」

「読めなかった分は、持ち帰りの手続きをします。全文必要なわけじゃないんで、大丈夫と思いますけど」

 齢七十を超えると噂のフォルタは、孫を見るような目でリンに頷くと、一時貸し出しの手続きをしてくれた。

 この図書館では、館内で読むだけだとしても一定時間以上手元に置く場合には手続きが要る。面倒だが、それによって次に読みたいと思う人が無駄に探す手間を省く目的がある。

 リンは借りた本を専用の机の上に置いた。三方を板の壁が囲う机は、周囲の目を気にせず読書することが出来、人気の席だ。

 一冊目から表紙をめくる。必要箇所だけ目次から見つけ、文章に目を通して行く。リンが探しているのは古来種に関する記述だ。少ないながらも記録してありそうな箇所を発見し、適宜ノートに写していく。

「――所謂、古来種と呼ばれし者ども……」

 ぴったりの記述を発見した。慌てて該当ページを繰る。そこにある長文を読み耽り、ふとリンは顔を上げた。もう、西の空がオレンジ色に染まっている。休日の午後一番で図書館に入ったはずなのだが。

「良いものは見つかったかい?」

「フォルタ図書館長。……ええ、掘り出しましたよ」

 閉館を知らせるために近付いて来たフォルタに、リンは頷いた。最後に読んでいた書籍『失われた種族の行方』の持ち出し手続きを踏み、図書館を後にした。

「……克臣さんをあっちから呼ばなきゃな」

 ジェイスはリドアスにいるはずだ。二人に聞いてもらわなければならない話がある。


 リンが図書館で書籍を借りた翌日の夕方。リンの部屋に集まったのは、彼に呼ばれたジェイスと克臣だ。

「全く、奥さんに言い訳するのが大変だったぜ」

「すみません。真希さんは大丈夫でしたか?」

 克臣がこれ見よがしに腕を組み、嘆息してみせた。それに慌てリンは頭を下げたが、すぐに年長者二人の忍び笑いが頭上から聞こえてきた。

「ふふっ。リンは素直だね、克臣の冗談だよ」

「全く。素直というか、単純なだけだろ。こんなんでよく団長が務まるぜ」

「……言いたか放題ですね」

 体勢を直し、頭を数回かいたリンは、軽く克臣を睨んだ。

「すまんすまん。……真希にはジェイスとリンに呼ばれたと正直に言って来た。仕方ないわね、と言いながらも送り出してくれたぞ」

「本当に……。でも、真希さんを待たせてますからさっさと話してしまいますね」

「ああ。何か見つけたんだって、リン?」

 ジェイスに促され、リンは「ええ」と頷いて机の上に置いていた本を手に取った。その古さに驚き、克臣がリンの手からその一冊を受け取った。

「こんな本、図書館にあったのか。いつのだ?」

「どこにも出版年月日は書いてないね。相当古い本ってのは分かるけど。……しかもその題名が」

「『失われた種族の行方』か。いつの時代の学者か知らないが、この分厚さから鑑みるに、時間をかけたフィールドワークをしたんだろうね」

 ジェイスの感心した言葉に首肯しながら、リンは一冊のノートを引き出しから取り出した。青い表紙のそれは、リンが昨年から使い始めたものだ。晶穂からの初めてのプレゼントなのだから、気に入っていて当たり前だろう。それを指摘すると全力で否定してくるため、克臣もジェイスも何も言わない。

 リンはノートをめくり、見開きで二人の前に差し出した。どうやら、書籍の重要文を写したものらしい。本文は縦書きでノートは横書きだ。少々読みづらさはある。

「ここには、古代に姿を消した幾つかの種族についての考察や調査結果が記されていました。著者も書かれていない、真偽も不明の本ですけど。……古来種についての記述がありました。深く掘り下げてはいません。ほんの数ページです。でもそこに、重要と思われる文章が」

 ここです、とリンが指差した個所をノートから読み取り、二人の青年は顔をしかめた。素っ頓狂な声を上げたのは、克臣だった。

「するってえと、何だ? 古来種には里があるってことか?」

「しかも、それは北の山脈の向こう側。ソディールの住人は恐らく、何人たりとも踏み入れたことのない地だね。この本の著者は、そこに行ったというのか?」

「ええ。記述のみを信じるのなら、そうなります。そして神話の時代から、古来種はその場所で血をつないできたというんです」

 ジェイスの疑問にリンが応える。冷静な二人の会話に、克臣も冷静さを取り戻した。声のトーンを落とす。

「こりゃ、大変な発見じゃないか。少なくとも、相手の本拠地の場所を割り出すことは出来る。もし古来種がこちらを攻めてきたとしても、抵抗策を講ずることも可能だ」

「ええ。だからこそ、お二人に聞いてもらいたかったんです。俺一人では、これをどう処理すればいいか分からなかったので」

 照れ笑いを浮かべた弟分の頭をぽんぽんとたたき、ジェイスは腕を組んだ。

「……この後の記述も考えるに値するものばかりだね。本当に古来種の里を取材したようだ。……ん?」

 ぺらっと本の一枚をめくったジェイスは、古文でもあるその本文に目を通し、目を瞬かせた。

「……『古来種と呼ばれし人々。彼らは人血を好み、我も餌とされかける。太古に離縁されし女神は、この性質を男神に知られたために絶縁されたのではないか』か。どうやら著者の時代には既に古来種は人血を好んで食したようだね。文を読む限り、必ず摂取しなければならないものではなく、嗜好品や秘薬の部類だったようだけど」

 その彼の隣で、克臣がぽんっと手をたたいた。

「そういや、リンの祖先の一人は古来種の血脈を継ぐ人だったって言ってたが、そもそもお前は何も聞いてないのか?」

「……克臣さん。何か知ってたら、こんなに頭を悩ましたりしませんよ。それに、古来種の血は一度だけ入ったことがあるっきりです。俺にもユキにもわずかにその血は流れているんでしょうが、残念ながら血を飲みたいと思ったことは一度もありません!」

「分かっってるって」

 きっぱりと言い放ったリンだったが、克臣とジェイスの目が自分から離れた瞬間にふと思い出してしまった。晶穂と出会った当初、彼女の神子の血に惹かれかけたことを。

(あれはノーカン。うん、ノーカウント)

 古来種の血を引くことをまざまざと感じさせられたのは、後にも先にもあれだけだ。当時のあの瞬間だけは古来種の側に立った発言をしたが、もうあんな状態になることはない。それに、あの血に惹かれるのは魔種であるからというのも理由の一つだ。

 何度も頷くリンを不審に思いながらも、克臣もジェイスもそれには触れなかった。その代わりに、話を戻した。

「とにかく、いる場所は分かったんだ。テッカさん達に頼んで、そっち方面を重点的に調べてもらおう。彼にはわたしからお願いしておこう」

「はい。お願いします」

 ぺこり、とリンは頭を下げた。

 この謙虚な姿勢がメンバー達に好かれる理由の一つだろうな、と克臣は思った。勿論、強いリーダーシップもさることながら、だ。

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