第71話 ユーギの決意

 晶穂とリンが食堂を出たのと同じ頃。ホライ村では暖炉で温められた部屋で、ユーギが家族と団らんしていた。

「お兄ちゃん、これ見て」

「おお~。うまく描けてるよ、ナキ」

 ナキが描いたのは、暖炉の絵だ。オレンジや赤のクレヨンで、温かな様子がよく出ている。兄に褒められ、ナキは耳を立ててしっぽを勢い良く振った。

 ユーギは学校の宿題も終え、家族や友達と毎日遊んだり出掛けたりと忙しい。しかし、そろそろリドアスも恋しくなってきた。自分の家にいるのに、と苦笑が漏れる。

 そんな息子の心情を見透かしたように、テッカが手にしたコップを置いて尋ねる。

「団長たちに会いたいか、ユーギ?」

「お父さん。……そうだね、ちょっと」

「正直だな」

「失礼な子ね。折角久し振りの家族団らんなのに」

 テッカとユーギの会話に、母はむくれる。それをいなし、テッカは息子の頭を撫でた。

「それだけ、こいつが自立してるってことだろう? 喜ばしいじゃねえか」

「そうですけど」

 ユーギはまさか父親に褒められるとは思っておらず、意表を突かれた。目を丸くする息子に、テッカは苦笑を向ける。

「そんな顔するなって。……もう少ししたら帰るから。それまで、この実家での生活を満喫しな」

 父子のわだかまりが解けてからまだ長い時間は経っていない。それでもやはり家族だ。一度氷解した仲は、春の訪れのように温かくなる。

「そうだね。リン団長たちに、たくさんお土産話しなくちゃ!」

 ユーギは跳ねるように笑い、それに乗っかるようにして、部屋は笑いに包まれた。

  

 口を開けて笑うテッカを横目に見ながら、ユーギは初めて銀の華に入った時のことを思い出していた。

 ユーギは、父が嫌いなわけではなかった。

 それどころか、心の中では尊敬していた。と同時に、危険を顧みずに飛び込んでいく姿を「怖い」と感じていた。仕事であることは幼い頃から知っていたが、自分たち家族と一緒に過ごすことも少なく、寂しかったのだ。

 だから十歳目前のある日、銀の華の門戸を叩いた。

 以前から何度か遊びに来たことがあったために知り合いは多いが、今日は遊びに来たわけではない。緊張して、耳がピンッと立っていた。

 戸を開けてくれたのは、リンだ。

「どうしたんだ? ユーギ。お前一人か?」

「うん。……リン団長に、頼みがあるんだ」

「? まあ、入れよ。部屋で話そう」

 リンは首を傾げつつもユーギを自室に通した。椅子を勧め、自分は腰を下ろす前に冷蔵庫の前に立った。

「ほら。ミルクでいいか?」

「あ、ありがとう」

 受け取ったコップの中身を口に流し込む。知らぬうちに渇いていたのどは、ミルクを嬉々として受け入れた。

 リンもユーギの様子を見ながらコップの水を一口飲んだ。

「で、何かあったのか?」

「うん……。あの」

 手元のコップをキュッと握り締め、ユーギは大きな音を立てる心臓を意識した。大きく息を吸って吐き、何度もそれを繰り返す。リンは何も言わず、ユーギの準備が整うのを待っていた。

「……ぼくを、銀の華の正規メンバーにしてください」

「……どうして?」

「え?」

「どうして、なりたい? ……テッカさんの後を追うためか?」

 ぺこりと頭を下げていたユーギは、ゆっくりと頭を上げた。そして、目の前にいる青年の顔を見つめる。

「最初は……」

 ユーギはそう口に出した。おずおずと。

「最初は、お父さんと同じ景色を見たいってだけだった。全然帰ってこないお父さんが、何処で何をしてるのか、知りたかった」

「……うん」

「でも、今は少しだけ違う。……一度だけ、お父さんが大怪我して家に帰って来たことがあったんだ」

 その夜は、激しい雨が降っていた。びしょ濡れのテッカは全身傷だらけで、腕や足からは血を流していた。子どもたちが寝静まった時間帯を選んで帰って来たらしかったが、ユーギは子ども部屋から母親の悲鳴を聞きつけ、密かに覗いてみたのだ。そうしたら、父親がそんな姿で立っていた。

 リンもそれを知っていたが、頷くだけに留めた。

「その時、思ったんだ。――ぼくが護れるようになりたいって」

 大事なものを失わないために。傷つかないために。そして、誰かを悲しませないために。

「そう、か……」

 リンは瞑目し、ユーギは次の言葉を待った。

「……ユーギの覚悟はわかった。これから、よろしくな」

「――うん!」

 ぱあっと笑顔の花が咲く。ぶんぶんと千切れんばかりに尻尾を振り、ユーギはめいっぱい頭を下げた。

 それから、時間は経った。護る力はまだ持ち得たとは言えないが、これから変わる。ユーギはそう確信していた。




 ツユとクロザの襲撃から一週間後。

 学校の新学期を控え、方々から里帰りしていた面々が帰ってくる。

「ただいまっ」

 笑顔でリドアスの戸を開けたのは、テッカと共にホライ村へ里帰りしていたユーギだ。そのユーギに、勢い良く駆け寄った影があった。

「おかえり、ユーギ!」

「うわぁっ、ユキ! ただいま!」

 ユキの体を全身で受け止め、狼耳の少年は歯を見せた。

 再会を喜び合う少年達の背後で、大きな体が揺れた。ユキの後ろに目を向けて会釈した。

「お帰りなさい、テッカさん。休暇は如何でした?」

「ああ。ゆっくりさせてもらったよ、ジェイス」

 不器用な笑顔で応じたテッカは、子供達に聞こえないようジェイスを手招きし、耳打ちした。

「……団長は?」

「ちょっと街へ。入用の物を買いに行っていますが……火急の用ですか?」

「本当に火急なら、鳩か早便でも飛ばすさ。団長に報告しようと思っていたことがある」

「わかりました。あと三十分もすれば戻って来る筈です」

 ジェイスの回答に頷き、テッカはユーギをその場に残して自室へと帰って行った。ユーギはユキにせがまれ、玄関ホールにあるソファーに腰を下ろす。ホライでの話をするのだ。微笑ましい少年達の傍を離れ、ジェイスはスマートフォンを手にした。リンと連絡を取るためだ。

「――あ、リンか? テッカさんとユーギが帰って来た。それでな……うん、わかった。早く帰って来てくれな」

 通話を切り、電話をポケットに仕舞う。丁度通りかかったサラが目を丸くした。

「ジェイスさん、どうしたんですか?」

「え、何か変な顔してるかい?」

「ええ……眉間のしわが」

 そう言われて初めて、ジェイスは自身の眉と眉の間に指をやる。さすって苦笑した。

「ごめんごめん、ちょっとね」

「……そんなに、深刻な事態なんですか?」

「いや、そうじゃないけど……」

 ジェイスはテッカが消えた先を見、呟いた。

「……そろそろかなって。予感がしただけだよ」

 その時、玄関の扉が開き、リンと晶穂が顔を覗かせた。


 リンの部屋に顔をそろえたのは、部屋主のリン、ジェイス、テッカ、そして仕事帰りの克臣の男四人だ。晶穂やユキも参加したそうだったが、テッカが止めた。

 円卓会議のようにカーペットに座る。リンが全員に温かな緑茶を配った。

「さて、始めますか」

「――そうだな」

 ジェイスの号令を受け、皆居住まいを正した。それを見て、テッカが口を開く。胡坐をかいた彼は片手を顎に当て、ふむ、と唸った。

「オレがこの話を聞いたのは、村から近くに出掛けた時のことだ。その町のある男に呼び止められた。彼はオレの情報源の一人だ」

「テッカさんの豊富な情報は各地の人からのものなんですね」

 感嘆の声を上げるリンに頷きを返し、テッカは続けた。突然本題に入る。

「……最近、大陸各地で血を吸われたという被害報告が出ているらしい」

「血、を?」

「そうだ、克臣」

「血……」

 克臣は黙した後、ジェイスとリンの顔を見た。二人も同じことを考えていたようで、三人して頷き合った。

 リンの脳裏には、ある種族の名がちらついて、更にはっきりと見えてきていた。彼の顔色からそれを読み取り、テッカはまた首肯した。

「そう、古来種の仕業、と考えるのが妥当な事件だろうな。実際、付近では通常見かけない人影を見たという証言も上がっている」

「……なら、間違いなさそうですね」

 深刻そうに顎に手を当てたリンは、テッカに被害の実態を尋ねた。

「現在の所、死亡報告はない。ただ、血を吸われたことによる貧血患者は多数だ」

「地球の吸血鬼伝説みたいに吸われた人が吸血鬼になる、ってことはないのか?」

「……残念ながら、その報告はないよ、克臣」

「残念じゃねえだろ。安心だ、古来種に編入されることはないってことだからな」

「そういう考え方もあるな」

 ジェイスと克臣の漫才を横目に、リンはクロザとツユの姿を思い出していた。本当に古来種が人の血を吸うとは考えていなかった。お伽話や伝説の類だと高を括っていたのだ。

 しかし、それは現実のものだった。

 リンは奥歯を噛み締めた。テッカに向き直る。

「――より、詳しく調べてもらえませんか? 俺達は古来種との戦闘は避けられないと思ってます。相手が何を仕掛けてくるのか、少しでも知っておきたい。だから、お願いしてもいいですか?」

「もとより、そのつもりだよ。団長」

 任せてくれ、と胸をたたく。テッカの頭にはえた二つの狼耳が、

 真っ直ぐ天に向かって立った。

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