第68話 申し出

 ツユとの約束の日。晶穂はリドアスを出て大通りへと出た。ジェイスが書いてくれた地図と現実を見比べ、歩いて行く。

「あ、ここだ」

 カフェ・シトラス。賑やかな街に似つかわしい、赤基調の店先だ。外でも食べられるよう、テラス席も設けられている。晶穂は後ろに見知った気配を感じ、無意識に笑みを浮かべた。

(大丈夫。わたしは、独りじゃない)

 カララン

 店員のいらっしゃいませという声を聞きながら、晶穂はツユの姿を探した。すると、いた。店の奥の席。少し照明の暗い場所だ。向こうも晶穂に気付いたらしく、手を振ってくる。

店内を見回す晶穂に、店員の女性が声をかけてきた。

「どなたかと待ち合わせですか?」

「……はい。あの、奥にいる彼女です」

「では、どうぞ。……あ、いらっしゃいませ」

 どうやら次の客が来たようだ。接客に向かう店員に背を向け、晶穂はツユの待つ席へと向かった。

「お久し振りですね、ツユさん」

「久し振り、ってほどじゃないわね。数日振り。また会えて嬉しい、晶穂さん」

「……」

「座って? ずっと立ってたら、店員さんにも迷惑だし」

「そう、ですね」

 笑顔で晶穂を見上げたツユは、彼女に座るよう促した。ずっと立っていると不審だ。晶穂は向かい合う席に座る。

 ツユは自分の真っ赤な髪を隠すために、少しつばの広い帽子を被っていた。お嬢様が被っていそうな純白の帽子である。店内で帽子を被るのはあまり良いとは言えないが、客優先の意識が働くのか、誰も注意する者はいない。それとも病気や事情があって帽子を手放せない人はいるため、詮索しないことになっているのかもしれないが。

 純白の帽子には白いワンピースが合う。髪と同じ深紅のリボンをベルト代わりにし、薄茶の短いブーツを履くツユは、本物のお嬢様のように見えた。

 対する晶穂の服装は、藍色の飾り気のないトップスに黒のキュロットというものだ。何があっても迅速に動けるようにと選択したが、少し可愛げがなかったかなと後悔がないではない。

 硬い表情の晶穂にメニュー表を差し出し、ツユはにこりと微笑んだ。

「ここはあたしがおごる。好きなの頼んで?」

「……そう、ですか」

 言葉に甘え、晶穂は注文を取りに来た店員にカフェオレを頼んだ。ツユはと訊くと、既に頼んであるという回答があった。

 飲み物を待つ間、暫しの沈黙があった。目の前に座るツユに気付かれないよう注意しながら目を店内に向けると、二つテーブルを隔てたところにリンが座っていた。普段はしない伊達眼鏡をし、適当に持って来たであろう文庫本を開いている。丁度ツユからは直視し辛い場所だった。

 ごゆっくり、との店員の言葉を受け、ツユはホットコーヒーに口をつけた。晶穂が自分の飲み物に手を出さない様子を見、眉をへの字に曲げる。

「店の飲み物に何も入れてないわ。心配せずに飲みなさいな」

「はい……」

 晶穂が一口カフェオレを飲んだことを確認し、ツユはソーサーにカップを置いた。カチリ、と小さな音がする。カフェ内は若い女の子達の賑やかな話声に満たされている。漏れ聞く中に、あの男の子、かっこいい、というものもあったが、晶穂は気にしないことにした。

 ツユは晶穂を直視し、「この前は置いて行ってごめんなさいね」と詫びた。

「あそこで騒動になっては動き辛くなるし、置いて行くしかなかった。こちらが原因とはいえ、申し訳なかったわね」

「……別に良いです。過ぎたことですし。それより、話はそれだけですか?」

それだけなら、失礼します。そう言いかける晶穂に、ツユは首を横に振った。

「いいえ。……あなたに、協力してほしいことがあるの」

「協力?」

 首を傾げる晶穂を見つめ、ツユは話し始めた。

「……あなた達が知っての通り、あたしは古来種、と呼ばれるもの。創造の男神に見捨てられた哀れな女神の末裔。その一族の中に、時折薄命の者が混じる」

 ツユは自分を指差し、話し続けた。

「薄命者は祖神と同じ青い目を持ち、莫大な魔力を保有すると言われている。ただ、魔力の量と反比例して体は弱く、何かあればすぐに命を落とす。あたしはそういう運命のもとに生まれ、物心つく前からベッドの上で過ごして来た。……ある日、古い書物を読んでいたあたしは、ある記述に行きついた。それにはこうあった。『神子と呼ばれる存在がある。それは祖神から夫を奪った者の子孫。元凶の女神に愛でられし者。かの者の血は、我等にとって毒である。しかし、その血から生まれる矛に宿りし血は、我等の薬となる』とね」

「『血から生まれる矛に宿りし血』……」

「あたしは、あたし自身と一族の未来のため、あなたの血をいただきたいの。しかも、矛の姿として」

 どうかしら、と言うツユの目は、全く笑っていなかった。口元は笑っているのも拘わらず、だ。晶穂は戦慄した。彼女の申し出が何を意味するのか、瞬時に悟った。

 震える声を喉の奥に押し留め、晶穂は尋ねた。

「……それは、わたしに死ね、ということ?」

「そうは言っていないわ。矛を渡して、と頼んでいるだけ」

 ツユは無邪気を装っているが、矛と神子の関係性を知らないわけがない。矛を一瞬でも体から離せば、神子は落命する。矛について調べれば、遠からず辿り着くもののはずだ。

 黙する晶穂の瞳に、距離を詰めてきた笑顔のツユの顔が映り込む。

「駄目、かな?」

「……です」

「ん?」

 晶穂は俯き気味だった顔を上げ、一息で言い切った。店内であることを鑑み、極力声量は抑えたが、強さは伝わるはずだ。

「駄目です。いいえ、絶対に出来ません!」

「そう、残念」

「え……」

 まさかこれだけで引き下がるとは思っていなかった晶穂は、ツユの言葉に呆然とした。諦めてくれるのか、と期待した時だった。

 にっこりとまなじりを下げたツユは、ぼそり、と呟いた。

「―――奪うしか、ないようね」

 パチンっとツユが指を鳴らすと、信じられないことが起きた。

「え……」

 あんなに賑やかだった店は消え失せ、晶穂の周りは何処かの荒野と変わっていた。数メートル離れた所にいるリンも状況を飲み込めないのか、目を丸くしてツユを見ていた。

 ツユはくるりと体を捻り、リンを視界に入れた。

「やはり、来ていたのね。団長さん」

「ここは、何処だ」

「さあ、何処だと思う?」

「……ふざけんなよ」

 はぐらかされ、リンは燃える相貌でツユを射貫いた。それを平然と受け止め、帽子を取る。その下から現れたのは、目を見張るような美しく赤い髪だった。肩まであるであろう髪は結われ、首近くでお団子になっている。荒野を風が駆け抜けた。

「拒否された場合、カフェの幻を解いてここへ飛ばす手筈だったの。一対一なら神子の矛を確実に奪い取れると思ってたんだけど、お荷物がついて来ちゃったし」

 リンに目をやり、ツユはにいっと嗤った。

「だから、助っ人に片づけてもらうわ」

 ツユが再び指を鳴らす。次いで、両手を伸ばして晶穂に向けた。彼女の手のひらからドームのような不透明の膜が広がっていく。

「晶穂っ」

「リっ……」

「くそっ」

 猛スピードで晶穂に迫ったそれは、難なく彼女をも呑み込んだ。そこで成長を止めそうになったため、リンは無理矢理そのドームに走り込んだ。手を伸ばすと、同じく手を伸ばしていた晶穂のそれと指が重なる。

 二人を飲み込み、ドームは荒野に溶け込むように姿を消した。

「ふう……」

「大丈夫ですか、ツユ」

「ええ」

 魔力を消費してふらついたツユを背中から支えた者がいた。彼女は彼に頷きかけ、冷えた目をドームに向けた。

「……あの結界に入ってしまえば、あとは袋の鼠も同じことよ」

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