第67話 予期せぬ接触
翌朝は雪が積もっていた。ユキは始めこそ眠そうに目を擦っていたが、外が雪景色だと知るやいなや、飛び出して行った。丁度道で雪遊びをしていた子供達に加わり、雪だるまを作り始める。
旅行六日目。これからソディールへと帰るのだ。
一通り遊び、ユキはホテルのロビーにいたリン達のもとへと戻って来た。手袋をしていない両手は寒さで赤くなり、頬は遊んだ興奮で上気している。リンは苦笑し、弟の頭を撫でてやった。
「お帰り、ユキ。楽しかったみたいだな」
「うんっ。雪だるまに雪合戦、楽しかった!」
全員が集合し、人目につきにくい路地へと体を滑り込ませる。そしてジェイスが扉をつなげた。
扉の向こうには、見慣れたソディールの景色が見える。リンは息を整え、ノブに手を伸ばした。
「帰ろう」
次の瞬間、四人の姿は北海道の街角から消え失せた。
帰ったその日は休みとし、四人はそれぞれに時を過ごした。
ユキは五日ぶりに会う友人達に旅行の思い出を語ったり、ソディールにも降り積もった雪で遊んだりと大はしゃぎだ。その大雪の中、一瞬だけ彼が水色に光ったのは、本人を含んで誰も気付かなかった。
晶穂は既に大学の課題を終えていたため、図書館へ向かった。以前から気になっていたソディールの歴史についての本を探すのだ。現在、彼女を襲う驚異として古来種という存在がある。古来種についての説明は一度受けたが、自分でも調べ、知識を身に着けておきたかった。何より、この心臓を落ち着かせるために、別の何かに集中したかった。
プルルッ
図書館の入り口を通った時、鞄の中でスマートフォンが震えた。マナーモードにしていたからよかった。晶穂は壁側に寄ってからそれを取り出し、アプリを起動した。
「……え?」
そこに表示された送り主の名を見て、晶穂は言葉を失った。
ジェイスは克臣とSNSと電話で会話し、情報交換を行っていた。彼も明日にはここに顔を出す。そして机上の書類に目をやった。リンが帰宅後に辟易しないよう、半分以上をこちらへ運んできた結果がそこにはあった。
たった五日留守にしただけだったが、遠方からの報告書や町の諍いの仲介報告書などがたまっていた。厚みで十センチほどか。リンの所には五センチ以下の紙束を残して来た。「さて」と気を取り直し、温かい紅茶のカップを手に取った。
リンは自室に戻り、ベッドに仰向けになった。疲労感を越える緊張感がゆっくりと消えていく。昨晩のことを思い出す度、顔が火照る。思い出そうとするわけではないのだが、自然と脳裏を過るのだ。
「……何で俺は、あんなことを」
返す返す、分からない。その場の雰囲気に押されたと言えばそれまでかもしれない。リンは額に手の甲を置き、克臣に言われた言葉をよみがえらせる。
『――もう、告白したのか?』
告白をしようとしなかったわけではない。あの北海道の夜景を見、心が揺れたのは認める。しかし、気持ちが、心が定まらない。想いは本当だが、それを告げるのが今なのかと問われれば答えが出ない。
恐怖と期待。どう考えても恐怖が勝る。
十分ほど悩み苦しんだ後、リンは身を起こして冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出した。五百ミリのそれを空け、机に体を向けた。そこには数冊の本と書類の束がある。今日は休みとしたが、片付けておかないと明日からがまた忙しい。まだゼミのレポート課題が終わっていないのだ。
落ち着いた装飾。見慣れ過ぎたベッド。少女は読んでいた本を傍の机に置き、窓の外を見た。雪が散り、生き物の気配はない。北の極地にあるこの地域は、初秋を迎えると白いものがちらつき始める。
「ツユ」
「あ、おはよう」
幼馴染の青年二人が顔を見せる。一人は青い短髪、もう一人は青黒い髪を後ろで束ねている。後者が呆れ顔で彼女を見やる。
「おはようって言ったって、もう昼過ぎですよ。朝様子を見に来た時は寝てたので、起こさずにいたんです」
丁寧な口調でそう言うと、長髪の彼はお盆に乗せたサンドイッチをずいっとツユに差し出した。飲み物は温かいココアだ。それらを有り難く貰い、一口ココアを飲む。温かな液体が体の中を流れ、ほわっと体温が上がったように感じる。
「それで、何を読んでいたんだ?」
「ん、これ? これはあたし達の祖先の本」
「ああ、『
『古文』とは、古来種の彼らの間にのみ伝わる古文書の総称だ。その中でもリン達魔種や人間達が知らないものは数多い。全く違う伝承が語られていることも少なくない。
そんな伝承の中、ツユの関心は「神子の聖血」にある。
ツユは微笑み、首肯した。
「ええ。この中にあたしが求めてやまないものがある」
本を抱え、きゅっと抱きしめた。
北海道から戻って来た翌日の朝。リンがまだ人影のない食堂に顔を出すと、奥の席に晶穂が座っていた。皿の乗ったトレイを前にしているところを見ると、朝食中なのだろう。真正面から顔を見る勇気が持てず、リンは少し離れた彼女の後方に腰を下ろした。
座る前に朝食を持って来たお蔭で、リンの目の前には白飯が湯気を上げている。箸を取り、ふと晶穂の方を見ると、彼女は箸も取らず、手元の何かに見入っていた。
(何を見ているんだ?)
リンは音を立てないように立ち上がり、晶穂の背後に回った。彼女の手元を覗くと、スマートフォンのメッセージアプリ画面であることが分かった。そこにあった名に、リンの顔はみるみる驚愕に染まった。
「……晶穂、それっ」
「わっ、り、リン!?」
肩を跳ねさせる晶穂をスルーし、リンはスマートフォンを手に取った。
「これ、差出人がツユって書いてあるぞ……。何でおまえのアドレスを知ってるんだ?」
「わたしが訊きたいよ! 教えた覚えなんてないですもん」
言い募る晶穂はスマートフォンを奪い返し、画面をスクロールする。
「読んでみて下さい」
リンは眉を寄せ、一行ずつ読み進めていく。文章は「三咲晶穂さま」で始まり、東京で起きたことのお詫びと、
「『……是非、もう一度お話がしたいのです。日時は二月二十三日の午後一時。アラスト中央通りのカフェ・シトラスで。』って……!」
思わず絶句するリンを見上げ、晶穂は一瞬口ごもったが、すぐに口を開いた。
「……わたし、会いに行こうと思います」
「……は?」
「だから、彼女にもう一度会おうと思うんで……」
「駄目だ」
晶穂の言葉に被せるように、リンは否定の言葉を投げつけた。距離を詰め、まくしたてる。
「駄目だ、危険過ぎる。この前こいつと出会った時も、お前は気を失っただろう? お前が神子の血をひくと知った上で利用しようと企んでいる連中だ。しかも俺達魔種とは違う、古来種。相手がどんな奴らかも分からないのに……」
「だからこそっ」
晶穂はリンの言葉を遮り、半ば叫ぶようにして言葉を紡いだ。しっかりと間近のリンの目を見つめる。
「だからこそ、会いに行くんです。彼女は、わたしが神子の血を持つと知っている。そして、わたしの知らない何かも知っている可能性が高い。相手が何者か、聞き出すことも出来るかもしれない。何も情報なく、相手を敵と決めつけることも出来ません。……だから、危険を承知で行きます。行かせてください」
「……晶穂」
相変わらず、食堂には誰もいない。時計の針は朝の六時をとうの昔に指している。それでもいないということは、二人に気を遣って姿を見せていないのだろう。何となく、出入り口付近から気配がするのは、気のせいではあるまい。
リンは一つ息をつき、「わかった」と呟いた。パッと輝く晶穂の目を見つめ、「ただし」と付け加える。
「俺も行く。だがここには晶穂一人でと条件があるから、俺は客の一人として、晶穂の後に店に入ろう。お前にもし、危害が加えられそうになったら、迷わず割って入るからな?」
「うん。……ありがと、リン」
「ふん……」
ふわりと微笑んだ晶穂の顔から慌てて目を逸らし、リンは腕を組んだ。
その時。
「あ~、腹減った!」
「おはよー」
「何食べようか?」
どやどやとリドアスの面々が食堂に入って来た。タイミングを計っていたのか、時折こちらを盗み見る姿もある。朝食の時間を遅らせてしまい申し訳なかったな、とリンは心の中で謝った。それは晶穂も同じなようで、申し訳なさそうに目を伏せている。
リンは手にしたままだったスマートフォンを晶穂に返し、自分の席に戻った。
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