第64話 光の中の像
晶穂は古来種の少女に手を引かれ、とあるカフェに入った。お茶の時間だからか、店内には女性客を中心に賑わっている。二人は窓際の席に案内され、向かい合って座った。
「そんなにしゃちこばらないで」
「え……あ、はい」
「だから、その緊張を解いてってば」
少女は笑った。ぎこちない笑みでそれに応え、晶穂は差し出されたメニューを受け取った。
「あたしがおごるから。好きなのを選んで」
帽子は店内で邪魔になると思ったのか、いつの間にか取ってしまい、今はスカーフのようなものを頭に巻いている。大きなピンク色の花があしらわれ、可愛らしい。
少女は紅茶とケーキを選び、晶穂も同じものを注文した。何かを選ぶ心の余裕がない。それを待つ間、少女は自己紹介を始めた。
「あたしの名はツユ。この街には用事があってきたんだけど、あなたが困ってるみたいだったから声をかけてみたの」
「ああ、そうなんですか……」
「なあに、その薄い反応は。もう少し驚いてくれてもいいじゃない」
頬を膨らませるツユに乾いた笑みを返し、晶穂は気が気ではない。そんな彼女の心情を知ってか知らずか、ツユは運ばれて来たカップを口元に運んだ。
「ま、仕方ないか。突然声かけられてカフェに入ったんだもん。ね、晶穂」
「そうです……え?」
スルーしかけたが、晶穂は違和感を覚えて顔を上げた。何故、彼女が自分の名を知っているのか。ツユは愉快そうに微笑み、
「びっくりしてくれた?」
「……はい」
「あなたは、重要人物だから。あたし達の間では、知られたこと」
意味ありげに微笑み、ツユはゆっくりと唇を動かした。
「―――あなた、神子、でしょ?」
「え」
ぐらり
世界が反転し、一瞬で暗転した。晶穂は意識を失う直前、ツユの口端がつり上がるのを見た気がした。
「あ~あ。気を失っちゃったか」
テーブルに伏せる格好になった晶穂を見下ろし、ツユは息をついた。神子という言葉が彼女にこれほどまで衝撃を与えるとは想定外だ。
まあいいか、と一人呟き、ツユは晶穂の鞄からスマートフォンを取り出した。ロックがかかっていたが、それを難なく外してメールアプリを開き、彼女のメールアドレスを確認した。それを自身のものに入力する。
それから何事もなかったかのように二人分のケーキと紅茶をお腹に入れ、ツユはにっこりと笑った。
「……おやすみなさい。また、会いましょう」
カランカランと扉を開けて彼女が出て行った後、血相を変えたリンが乱暴に同じ戸を開けるまで、五分ほどしか間がなかった。
ツユは自室に帰り、ベッドの上に腰を下ろした。ふうっと一息つくと、次いで入って来た青年が眉を曇らせた。
「ツユ、無理したんじゃないか?」
「大丈夫。久し振りに長く歩いたから、疲れただけ」
ツユは微笑し、
「でも、楽しかった」
「……無理は、するなよ?」
気遣わしげな想い人を安心させるため、ツユは掛け布団を胸の上まで引き上げた。
誰かに呼ばれている。何度も何度も絶え間なく。
意識は深みにはまっているようだったが、ふわり、と呼び声に応えて浮き上がったようだ。
「……き……、めをさ……!」
(……誰。わたしを呼んでるのは……?)
どんどんと鮮明になる。
瞼が震え、薄眼を開けた。
「うわぁっ!」
「きゃあっ!」
晶穂の顔を丁度覗き込んでいたリンと、目を覚まして彼と目を合わせた晶穂。二人は一瞬見つめ合い、示し合わせたように叫び声を上げた。二人の顔が同様に赤いのは、彼らの知らないことだ。
固まってしまった二人の耳に、どんどんと戸をたたく音が聞こえた。
「どうしたんだい、二人とも?」
ジェイスの声だ。
逸早く我に返ったリンが「はい」と応えた。すると控えめな音を立てて戸が開き、ジェイスとユキが顔を覗かせた。
「あ、晶穂さん、目が覚めたの?」
ぱっと顔を輝かせたユキが走り寄って晶穂に抱きついた。上半身を起こした晶穂は、
「心配させてごめんね」
と少年を抱きとめた。
ジェイスも微笑んで三人の傍に立つと、晶穂の額に手を置いた。一つ頷き、屈んでいた体を伸ばす。
「うん、熱はないようだね」
「はい。……あの、わたし、どれくらい眠ってたんですか?」
「今午後五時だから、二時間くらいだ」
リンにそう言われ、晶穂は愕然とした。一日は経っていないと聞き安心はしたものの、ずっと気を失って眠っていたとは、泣きたい気持ちにもなった。
「すみません。皆さんとの旅行中なのに……」
「そんなことはいい。――お前、あそこで何があった」
リンの厳しい視線に怖じ気付く晶穂の肩をたたき、ジェイスはリンをたしなめた。
「リン、目が恐いよ。あと、声も」
「あ……すまん」
「いえ……」
微妙な空気になる場を和ませようとしたのか、ユキが晶穂に耳打ちした。
「……誰よりも心配してたのはお兄ちゃんだよ」
「えっ」
「こら、ユキ!」
紅顔で怒鳴ったところで、そこに怖さはない。ユキはにっこりと笑い、リンの視線から逃げる様にジェイスの背中に隠れた。
リンは軽く深呼吸し、気持ちを整えた。かたん、とベッドの傍に置かれた椅子に腰を下ろし、晶穂に目で気絶する前のことを話すように促した。晶穂は浅く頷き、記憶を辿ってゆっくりと話し始める。
「……みんなとはぐれて、道端にあったベンチに座ってたんです。そうしたら、あの聖地で出会った女の子が話しかけて来て」
「―――古来種のやつ、か」
「はい。彼女がわたしをカフェに誘って。手を掴まれていたので逃げられなかったというのもありますけど、彼女が何者なのか確かめたくもあって、ついて行きました。そして二人で雑談してたんですけど……」
きゅっと両手で掛け布団の端を握り締め、晶穂は呟くように言った。
「――彼女、こう言ったんです。『あなた、神子、でしょ?』と」
「―――!」
「わたし、それを聞いた途端に気が遠くなってしまって。気付いたらここにいました」
相手は、晶穂が神子の血を持っていることを知っている。それは、リン達にとって衝撃だった。神子という存在は神話に書かれているものであるため、知っている人は多いだろう。しかし、その存在が実在すると知る人はほんの一握りだ。晶穂に限定するならば、銀の華の構成メンバーのみと言っても良い。それを知られている。これが何を意味するのか、考え答えを導くためのパーツは少な過ぎた。
しん、と静まり返った室内で、リンは晶穂に向かって口を開いた。
「……晶穂、相手は名のったか?」
「はい。自分はツユだ、と」
「ツユ、か。それが本名なのか偽名なのかもわからんな」
「まあ、偽名を名のる必要もないだろうし、本名じゃないかな」
「どうしてそう思うんです、ジェイスさん?」
「簡単だよ。―――あっちは、神子と接点を持ちたがってる。理由は兎も角として。本名で接していた方が、相手に信用されやすいし、もしかしたら操りやすいかも」
可能性の話だけど、と付け加えてジェイスは緩く腕を組んだ。
古来種であるツユが何を考えて晶穂と接触してきたのか、その理由に辿り着けず、晶穂達は眉をひそめた。ジェイスは自分以外の三人が同じような顔をしているのを見、くすりと場違いに噴き出した。リンが文句を言いたげな顔でジェイスを見た。
「何なんですか、ジェイスさん。こっちは真剣なんですよ」
「ごめん、ごめん。でも今は、これ以上考えても仕方ないよ。わたし達はこちらにとって危険な存在だと認識出来なければ動けないし、向こうの拠点が分からなければ調べることも難しい。今は晶穂に接触してきただけだから、単に友達になりたかっただけってことも考えられる」
「……そんな悠長な」
「悠長で良いんだ。どうせ、この旅行が終われば闘うこともある日々に戻る。これも旅先でのアクシデントくらいに考えて、今夜はイルミネーションでも見に行かないかい?」
ジェイスの提案に、ユキと晶穂が目を輝かせた。
「行きたいです!」
「わたしも……」
控えめに手を挙げる晶穂に嘆息し、リンはユキとジェイスを促して部屋の戸の前に行く。くるりと振り返り、ぶっきらぼうに言い放った。
「一時間後に出よう。着替えて支度して出て来い」
「……ありがとうございます」
ぱたんと戸を閉められ、晶穂はうーんと伸びをした。先程までの暗い沈んだ気持ちが和らいでいる。リンはああやってぶっきらぼうだったが、戸を閉める直前、ふっと口元を柔らかくしたのだ。それが嬉しかった。
「さあ、着替えよ」
着せられていた寝間着を脱ぎ、持って来た中から少し可愛らしい余所行きの服を取り出した。
そこで、はたと気付く。
「……そう言えば、誰が着替えさせてくれたんだろう?」
まさか彼らではないだろう。では、ホテルの従業員の方々か?
考え込みかけ、止めた。意味がないし、真実が突拍子もない方向のものだったら恥ずかしくて仕方がない。
日が傾き、リン達は薄闇の街へと繰り出した。
間もなく日は落ちきり、街は氷の光に包まれた。
昼間に訪れた大通りに行くと、巨大な氷の彫刻が並び立っていた。仲間に苦言を呈されていた職人の巨大な像も出来上がっていた。満足そうにそれを見上げる職人を見つけ、ジェイスが声をかける。
「出来上がりましたね、作品が」
「昼間の。……ああ、出来た。でも、完璧じゃねえ」
「これだけのものでもですか?」
職人は頷き、光を放つ神々を目に焼き付けようとするかのように凝視した。
「―――自分は、まだまだ上に行ける。そう思わねえと、この世界じゃやっていかれねえよ」
そこへ職人の仲間がやって来て、ジェイスはリン達と合流した。
ユキはあんぐりと大きな口を開けて巨像を見上げている。「口、開いてるぞ」と兄に言われ、慌てて閉じるがまた無意識に開いてしまう。
晶穂も美しい白鳥像の前に立っていた。翼を広げた白鳥が、今にも湖から飛び立とうという瞬間を表している。目を輝かせる彼女の隣に立ち、リンもそれを見上げた。
「……綺麗ですよね、白鳥」
「ああ」
少ない会話だが、それぞれが感嘆しているのが分かる。だから、言葉はいらない。
そうしているうち、不意に淡い光の玉が漂って来た。その始まりを追うと、吸血鬼らしい青年と少女が通りの真ん中に立っていた。彼らが手を掲げると、ふわり、と光が現れる。通行人達が歓声を上げ、その美しさに見入った。水色や薄い黄色、緑の光は氷像を照らし出し、優美さに拍車をかけている。
晶穂は氷の像や光を見ながら、隣も気付かれないように見ていた。リンの顔が暗闇の中で照らし出される。それに見惚れる自分を自覚しつつ、晶穂は不思議な世界に酔いしれた。
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