第63話 迷子

 三日目の朝。

 一行は次の目的地であるグリゼ行きの汽車乗り場にいた。朝早いことから客は少なく、ホームはがらんとしている。しかし売店は営業中で、リンは人数分の昼ご飯をそこで調達した。日本で言う所の駅弁だ。

 腕時計を確認したジェイスは「まだ時間があるね」と呟き、

「ちょっと克臣に電話してくる。三人でここにいてくれるかい?」

 そう言うと、少し離れた階段を上って行った。地球と交信出来るソディールの場所は限られるらしい。リン曰く、駅の構内には様々な電波が行き交う道のようなものが通っていることが多いらしい。原理は全く不明だが、そういうこともあるようだ。

 ここでは地球の常識は通じない、と妙に納得した晶穂であった。

 三人と離れたジェイスは、手持ちのスマートフォンを耳にあてた。数コール後、もしもし、と聞き慣れた声が聞こえてきた。

「もしもし、克臣? わたしだ、ジェイスだよ」

『ああ、ジェイス。どうしたんだ?』

「お前、今仕事中か? 邪魔して悪いな」

『こんな朝っぱらから会社に行かねえよ。物音が聞こえてんなら、うちのが朝飯作る音か、明人が動く物音だろ』

「……朝食には遅くないか?」

 ソディールと日本に時差はない。ソディールで現在午前九時ならば、向こうも九時の筈だ。この時間、平日の多くのサラリーマンは会社にいるか向かっているかの人が多いと思われる。だから、克臣の言うことは言い訳に近い。しかも何に対して言っているのかもよく分からない。

 苦笑気味のジェイスに、憮然とした友の声が響く。

『お前も人が悪いな。今日から春休みを取ったんだよ、一週間くらいな。みんなで休みのテンションだから、朝飯も遅くなっちまった』

「明日から旅行だろ。起きられるのか?」

『起きられるさ。そういうイベント事で遅れたことがあるか?』

「……ないな」

『だろ』

 快闊に笑い声を上げ、克臣はリンと晶穂の様子を尋ねてきた。ユキのことは良いのかと言うジェイスに対し、

『ユキは大丈夫だ』

「……何処から来るんだ、その自信」

『何処からってお前。ユキは年齢不相応なほどしっかりしてるし、リンもついてる。はしゃいでいるのは想像に難くないけど、羽目を外す程じゃないだろうし』

 それよりも、と克臣は急に声を潜めた。

『リンが浮足立ってないかが心配だよ、俺としては。けしかけたようなもんだし』

「……一応、責任は感じてるのか」

『ということは、焦ってるのか? あいつ』

「そんなことはないけど。意識はしてるみたいだね。まあ、温かく見守ってやろうよ。克臣にも覚えがあるだろ?」

『……うっさい』

 切るからな、と乱暴に会話を終わらせた克臣に、ジェイスは苦笑した。

 あいつの恋愛事情も、いつかリンに話してやるか。

 その過去は、銀の華では唯一ジェイスだけが知っている。

 そろそろ戻ろうと階下に足を向けた時、丁度リンが階段を上って来た。

「あ、ジェイスさん。汽車がもう来ますよ」

「呼びに来てくれたのか、ありがとう。さ、行こうか」

 その時、汽車到着のベルが鳴り響いた。二人は顔を見合わせ、晶穂とユキが手を振るホームへ向かい、階段を駆け下りた。 




 旅行が始まって三日目の昼。

 リン達四人は、大陸の北限に位置する街・グリゼへやって来た。

 アラストから山を幾つか越えた先にあるこの地域は、背後に天まで届くと噂される名もなき山々を従えている。年間最高気温は十八度ほど、最低気温は零下となるグリゼでは、この時期に氷祭が開催される。

 氷祭では、氷に関する魔力を持った吸血鬼や氷彫刻を得意とする獣人、人間達によるショーが訪れる人々を楽しませる。

 この日は一週間ある祭の中日なかび。夜に行われるイルミネーションが美しいとの情報を手に入れた一行は、それまで観光することにした。

 祭のメイン会場となっている中央通りには、各地域からやって来たエンターテイナー達が集客を競いつつ、自らの業を披露していた。

「すごい、すごい!」

 自分の何倍もある大きな氷の塊を刃物で削って彫刻を作り上げていく職人を見上げ、ユキはきゃっきゃとはしゃいでいた。職人は集中しているのか、騒ぐ子供達の声は無視して作業を続けている。

 近くにいたこの職人の仲間によれば、彼は祭初日の朝からここで休憩を挟みつつ作業に没頭しているらしい。何を作っているのかは、見上げれば分かる。

「これは、神話ですね」

「ああ。魔神と創造の女神がこの世の素を生み出している場面だよ」

「壮大なテーマを選んだものですね……」

「やつは壮大なものほど挑みがいがあるなんてぬかしてたよ。ま、ちゃんと休憩だけは取らせてるけどな」

 ジェイスが職人の仲間と会話している頃、リンは晶穂と共に別の場所にいた。

 吸血鬼が手頃な大きさの氷塊を創り出し、それの形を自在に変えて観客を喜ばせていた。彼女は見物人の中から見たいものをリクエストしてもらい、それに氷を変えていたのだ。

「さあ、うさぎが出来たよ! ぴょんぴょんと可愛く跳ねるうさぎさんだ。――さて、お次は何に変えようか? そこの女の子」

「え、わ、わたしですか?」

「そう、灰色の髪のお嬢さん、貴女あなただよ。何が見たい?」

 突然当てられてあたふたした晶穂はリンを見た。リンは無言で頷いて見せ、晶穂は落ち着きを取り戻し、女性の手のひらで跳ねる氷のうさぎを見つめた。

「じゃ、じゃあ、犬をお願いします」

「了解! それじゃ、見ててね」

 にこりとリクエストを受けた女性は、空いていた片手をもう片方の上にかざした。

「はっ」

 そうかけ声をかけると、観客から「おお」という低い歓声が上がった。両手に挟まれた氷塊が変形し、見る見るうちに姿を変えていく。長かった耳は短くなり、丸い尾っぽは伸びてくるんと巻かれた。両足も伸び、鼻が高くなる。晶穂は目を見張った。

「はいっ、完成。こいつは犬、しかもソディールでは滅多に見られない異国のわんちゃんさ!」

 女性の声を受け、歓声は声高になった。手のひらの作品を高々と掲げ、女性は晶穂にウインクした。戸惑い、曖昧な笑みを浮かべた晶穂に、リンが説明してやる。

「――あの魔力は、リクエストした相手の思い描いた物を氷に投影するものだ。さっきの女の子はうさぎが好きなんだろうな。細かい所まで再現された。で、ソディールにはいないはずの柴犬が現れた理由は、晶穂の中で犬と言えば柴犬、というイメージがあったからだろうな」

 覚えはないか? と尋ねられ、晶穂はこくんと頷いた。

「あります。……小さい頃、施設で柴犬を保護して飼っていたんです。名前は『うみ』。わたしが中学生になる頃にはもう施設にいなかったんですけど、とっても可愛がっていました。だから、犬と言えば柴、だったんでしょうね」

「……そうか」

 しんみりしかけた空気を感じたせいか、晶穂はくすりと笑った。

「……寂しくないと言えば嘘かもしれません。でも、今は独りじゃないですから。犬ではありませんが、最近は犬を見るとユーギが浮かぶんです。あの子は狼なのに」

「ははっ。ユーギが不貞腐れるぞ、そんなことを耳にしたら」

「ですよね……。黙ってて下さい」

「分かったよ」

 笑いを堪えた顔で、リンは頷いた。

 女性のショーはもう次の観客のリクエストに移っていた。今度は青年がカレーライスと大きな声で言っている。隣にいる同行者と見られる若い女性が「食い意地しかないの?」と呆れている。彼らのやり取りに、吸血鬼の女性も観客もどっと笑った。


 午後三時頃。中央通りを一周した一行は、お茶にしようと手頃な店を探していた。

 わいわいと話す男子三人の後ろについて両脇の店に目を奪われていた。クリスマスのように華やかに飾られたショーウィンドーの中は、楽し気に商品が並べられている。もしかしたら、それがいけなかったのかもしれない。

「……あれ?」

 ふと前方に目を移すと、いたはずのリン達の背中がない。きょろきょろとあたりを見渡すが、祭りを見に来たであろう観光客や地元民の姿しかない。大声を上げて仲間を探すわけにもいかず、晶穂は一先ず前へと歩を進めた。

 同じ頃、リンも後から歩いて来ていたはずの晶穂の姿が見えないことに気付いた。

「……晶穂?」

 振り返っても、見知らぬ人の顔ばかりだ。晶穂を探して走り出そうとするリンの腕を捕まえる者がいた。

「離して下さい、ジェイスさん」

「闇雲に探しても駄目だ。行き違いになる可能性もある」

「じゃあ、どうしろって言うんです?」

「この人ごみじゃ、ただ戻るだけで見つかるとは思えない。……よし、わたしとユキがこの道の両端に立って晶穂が来るのを見つけよう。リンは動かないわけにはいかないだろうから、この道をゆっくり戻り、探して来てくれるか? 人にぶつかるなよ」

「はい」

「わかりました、ジェイスさん!」

 ユキとジェイスは早速人ごみをかき分けて道の端に寄った。ユキは手近な階段を数段上がり、道全体を見渡す。その間に踵を返したリンは、器用に人を避けながら来た道を歩いて戻って行った。

(―――あれほど、離れるなと言ったのに)

 そう心に呟いて、一瞬の間もなく自らを毒つく。

(……違う。俺があいつを気にしていなかったのが悪い。――何処だ、晶穂)

 不案内な自分が歯痒い。焦燥感を抱えながら、晶穂が古来種と鉢合わせしないことを祈った。

 それから数分後。晶穂は人ごみに疲れ、偶然見つけたベンチに座っていた。顎を手のひらに乗せ、頬杖をつく。

「……みんな、何処」

 息をつきかけ、慌てて止めた。溜め息をつくと幸せが逃げていくと言う。それは御免こうむりたい。リン達に二度と会えなくなりそうだ。

 そろそろまた探しに行こうと腰を上げた時、うつむいた彼女の上に影が差した。

「また、お会いしたわね」

「……あなたは!」

 顔を上げ、晶穂は絶句した。そこに立っていたのは、リン達に気を付けるよう言われた古来種の少女だった。赤い髪をつばの広い帽子で隠し、青い目が笑っている。

「……ちょっと、お茶しません?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る