第62話 赤髪の少女

 聖地はホテルからそれほど遠くなく、リン達は徒歩でやって来た。

 入口は鬱蒼とした森で占められ、案内板には鎮守の役割を持つ森だと記されている。その中に細い一本道が参道として配されており、訪れる者を静かに誘っている。

 それを真っ直ぐ進むと、直角に曲がり、すぐに再び曲がった。絵に描いた階段のようだ。その後は直線を進む。

 しばらく行くと、石の柱が二本見えてきた。

「あれは、境界だ」

「境界、ですか?」

「そう、こちらとあちらを結ぶ。神社の鳥居みたいなもんだな」

 その柱の間を通ると、瞬時に空気が変わる。その変わりように、晶穂は息を呑んだ。晩秋を過ぎた爽やかな空気が、更に清らかさを増し、静謐になる。

 奥に拝殿があり、その奥にはご神体が祀られているという。四人は拝殿で参拝を終え、宝物殿を訪れようと境内を歩き始めた。

 ふと視線を感じ、晶穂は視線を巡らせた。境内には色々な人種の人々がいた。犬人と猫人の夫婦と思しき若者達もいれば、自分達と同じように観光中のグループもいる。近所に住むおばあさんも姿があった。神官が箒で掃除する様子もある。気のせいだったのだろうか。

「晶穂?」

「あ、はーい」

 リンに呼ばれて踵を返そうとした矢先、再び誰かに見られていると感じた。ゆっくりと振り向くと、見慣れない少女がいた。こちらを凝視しているわけではない。何気なく、晶穂とは違う方向を向いている。それでも、彼女がこちらを注視していると感じられた。つばの広い帽子の下からは、りんごのように真っ赤な髪が見え隠れする。声をかけるべきかと思ったが、何と言えばいいのか見当も付かない。

(後で、みんなに相談しよう)

 そう結論付け、晶穂は仲間の許へと向かって歩き出した。

 だから、その少女が口元に笑みを浮かべたことなど気付きもしなかった。

「ここはすっごい人込みですね……」

 思わずぽかんと口を開けた晶穂が呟く。その隣で、ユキもあんぐりだ。

 ここはハイスの中でも指折りの人通りを誇る中央通りだ。昼食を食べようとやって来たわけだが、食事処を見つけるだけでも苦労しそうだ。それについて晶穂が口にすると、ジェイスがスマートフォンに似た器械を操作して微笑んだ。手のひらサイズの長方形の器械だが、地球にはびこるあのスマホではない。ソディールにも科学技術はあるもので、最近流行り出した検索機器である。

「大丈夫。もう調べて予約もいれてあるから」

「流石ですね、ジェイスさん」

「ありがとう。……でも店を見つけてきたのはリンだよ」

「えっ?」

 晶穂が振り向くと、リンは頭をかいて頷いた。随分な間を置いて呟く。

「…………あそこなら、晶穂もユキもジェイスさんもみんな喜ぶだろうと思ったんだ」

「だ、そうだよ」

「そうなんですか……。楽しみです!」

「ぼくも!」

「じゃ、地図に従って行こうか」

 ジェイスの号令で人波に突っ込んだのだが、晶穂は波に押されて三人とはぐれそうになった。

「あっ」

 と言う間もなく、仲間達と引き離される。

 ぐんぐんと遠ざかる彼らの背を追おうとするが、追いつけない。晶穂は待ってと声を出しかけた。

「……はぐれるなよ」

 晶穂の手をぐっと引く者があった。顔を上げると、仏頂面のリンが少し離れた店の前で待つジェイスとユキの許まで連れて行ってくれた。

「あ、ありがとうございました……」

「……ふん」

「危なかったね、晶穂さん」

「リン、流石だね」

 ジェイスの冷やかしをスルーし、「行くぞ」と店に中に入って行く。何故か楽しそうなジェイスはすっとそれに続き、晶穂はユキの背を押して戸をくぐった。

 店の外観はよくあるカフェの雰囲気で、赤と黄色のストライプが特徴的な屋根が目印だ。花々が店先を飾り、通行人の目を楽しませている。

 店内に一度入れば、その印象は変わる。シンプルな木製の机と椅子が並び、机には薄い黄色のマットが敷かれている。壁には絵画が飾られ、少し暗めの照明が店内を照らす。店員は黒を基調とした制服に身を包み、オレンジの蝶ネクタイが印象的だ。すっきりと品の良い雰囲気が店を包んでいる。

 リンたちは席に案内され、メニューを貰った。それを開くと、軽食を中心とした料理が並んでいた。

「ここは店内の雰囲気は高級そうですけど、メニューはどれもリーズナブルなんです。料理の種類も多いから、だいたい誰でも何かしら気に入るものがあるんですよ」

「本当だね。店内の雰囲気を見て驚いたけど、料理はどれも庶民派だ」

 よく見つけたね、と褒めるジェイスに頷き、リンは「実は」とはにかんだ。

「エルハさんに教えてもらったんです。サラと一緒にハイスに来た時はよく寄るそうで」

「成程。エルハならこういう所に詳しそうだ」

 リン達はそれぞれメニューから選び、待ち時間にトゥールとハイスでの旅を思い出して語った。

 十分もしないうちに料理は到着し、箸やフォークで食事を開始する。

「そういえば、聖地で不思議な女の子を見たんです」

「女子? そんな人いたか?」

 晶穂の言葉を受け、リンは首を傾げた。ジェイスとユキにも覚えはないようで、曖昧な表情で晶穂の次の言を待った。晶穂は戸惑った。つばの広い帽子を被り、赤い髪が時折見えるといった目立つ少女だった。更に黒いカーディガンの下に白と藍色のツーピースといういで立ちだ。晶穂は服装を説明した上で、

「そして、こちらをじっと見ていたんです。こちらを直視してたわけじゃない。でも、こちらを見ていたってことは分かったんです」

「……危険な人物でしょうか?」

 リンは口の中の野菜を飲み込み、ジェイスに問いかけた。難しい顔をして考え込んでいた彼は、ゆるく頭を振った。

「分からないな、材料が少な過ぎる。その女の子がわたし達に何をもたらすのか」

 ジェイスはふっと頬を和らげ、

「まあ、今はこの旅行を楽しもうよ。ご飯も美味しいしね」

 彼が食べているのは、日本で言う所のチャーハンだ。鶏肉と野菜がたくさん入っている。ちなみにリンは牛肉に似た味のする肉とジャガイモのような根菜で作られたコロッケだ。それに玄米がついている。晶穂は卵をふんだんに使ったオムライスだ。ユキはソディールのお子様ランチである。エビフライやハンバーグとサラダ、そして小高い丘のようなチキンライスである。

「そうですね」

 リン達は首肯し、午後の予定を話し合った。

 会計を済ませ、一行は店を後にした。

 まずはこの商店街で魔道具店を訪ねることにした。ジェイスが行きたいと言っていた所だ。

「ここはソディールでも指折りの品揃えなんだ。これもここの支店で見つけたんだ」

 そう言って、手持ちの検索機器を見せる。店の中は雑多に商品が並べられ、奥までずらりと棚が並んでいる。いつになくわくわくとした表情のジェイスに倣い、リン達も店内を見て回った。

「……これも、魔具?」

 晶穂が見つけたのは、冷蔵庫だ。隣には電子レンジやオーブンもある。そういえばソディールには電気が通っていない。ガスもない。全て魔具で賄っているとリンに聞いたことがあるが、本当だったらしい。魔道具店は日本の電器店と同義なのだろう。

「そう。全て魔道具よ」

「!」

 驚いた晶穂が振り返ると、聖地で見かけた少女がいた。建物の中ということもあり、帽子は取って手に持っている。その代わりに白いフードを被って目立つ赤い髪を隠している。

「あなた……」

 一体何者? と尋ねる前に、その少女はにこりと微笑んで店を出ていってしまった。目当ての商品を見つけたらしいジェイスと共に、リンとユキも晶穂の許へとやって来た。外を見つめる晶穂の様子を不思議の思い、リンは、

「どうした、晶穂。誰かいたか?」

「あ……みんな」

 眉を寄せた晶穂は、聖地で見た少女が話しかけてきたのだと言った。

「彼女の特徴は?」

「え……。えっと、真っ赤な髪と真っ青な目、ですかね」

 ジェイスに問われ、晶穂は少し時間を置いたものの、はっきりと答えた。その特徴を聞き、顎に指を置いたジェイスは、はっと目を見開いた。ぽろり、と言葉がこぼれ落ちる。

「……古来種、か」

「何ですか?」

 リンが問い直すと、

「『古来種』だよ、リン。聞いたことくらいはあるだろう?」

 はいっと諸手を挙げ、ユキが応える。

「知ってます。お兄ちゃんに読んでもらった本に書いてありました! 確か、創造の魔神とえっと……」

「わかった。ユキ、それ以上はお前が言わなくても分かる」

 兄であるリンが弟の発言を止めた。晶穂が不審がると、ジェイスが苦笑を含む声で耳打ちしてきた。

「ちょっと幼い子に言わせにくい内容でね、後で説明するよ」

「……分かりました。何となくは察しました」

 そんなやり取りを交わし、ジェイスは場所を変えようと商店街から少し外れた喫茶店に入った。その上で飲み物を飲みながら、何故古来種と判断したのかを説明した。

「古来種は、多くの人が古代に絶滅したと思ってる。でも、本当は違うんだ」

「……実は、まだ存在していると」

「そうだね、リン。神話では、女神と共に追われ、山の向こう側に去って行ったと書かれている。その古来種の容姿は、特徴的だ」

 ジェイスは言葉を切り、紅茶のカップを手に取って一口飲んだ。

「はっきりとした原色に近い髪色と目、というのがあるんだ」

「……原色」

「赤とか青、紫とか。鮮やかな色は、わたし達のような吸血鬼や獣人にはなかなかない色なんだ。わたしは黒だし、リンもそう。ユーギは茶髪だし、サラは茜色だね」

「……」

 言葉を発せられない晶穂に代わり、リンがずばりと言う。

「つまり、晶穂が出逢ったあの女は、古来種だ、と」

「そうなるね」

「……何か、魂胆でもあるのか?」

 考え込むリンに、晶穂は遠慮がちに反論した。

「でも、ただわたしに声をかけただけかもしれないですよっ」

「それが偶然ではない可能性も、ある」

「う……」

 言葉に詰まる晶穂を真正面から見つめ、リンは口を開いた。

「……何があるか分からない。でも、何があっても守るから。せめてこの旅行の間だけでも、俺達から離れるな」

「……は、はい」

 晶穂は恥ずかしさから顔を赤らめ、うつむいた。その様子を見、リンも照れて明後日の方向を向いてしまった。彼らを傍から見て、ジェイスとユキはにやにやしている。

 しかしこの状況を続けるわけにもいかず、ジェイスはパンッと手のひらを合わせて仕切り直した。

「さ、休憩も済んだし、残りの観光を楽しんでホテルに戻ろうか」

 さっと伝票を持って立つ兄貴分の背を追いながら、リンは速くなった鼓動を鎮めようと躍起になっていた。

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