第61話 小旅行の始まり
民宿に着いたのは午前中だったが、昼過ぎには籠がいっぱいになった。
それから晶穂は奥方を手伝うために民宿に戻った。リン達は更に食材を集めるために畑に下り、野菜類を収穫した。その中でトゥールの外遊びを教えてもらい、ユキとユーギは走り回った。
「帰ったぞ」
「おかえりなさい」
日が西に傾きかけた頃、リン達は民宿に帰って来た。夫婦が挨拶をする横で晶穂も仲間達を出迎えた。
「みんな、おかえりなさい!」
「……ただいま」
「あ~、晶穂さん、エプロン似合うね」
「え……そうかな」
晶穂は面映ゆげに微笑んだ。民宿の夫人から借りたそれは、彼女が嫁にやろうと作っていたものだという。淡い青色の生地に雲のような白いポケットが一つついている。今ここにあるのは嫁に渡さなかったからではなく、彼女がここに泊まりに来た時だけ使うエプロンだからなのだ。
晶穂の隣で夫人は豪快に笑った。
「あっはっは。そんなに照れんでも良い、よく似おうてる」
「あ、ありがとうございます」
益々赤くなる晶穂の背をぽんっと叩き、夫人は一行を奥へと案内した。
外から帰って来たリン達は手を洗ってうがいをし、客間に通された。晩ご飯が出来るまで少し待つように言われ、夫人を手伝う晶穂を除く四人が思い思いに腰を下ろした。
「しっかし、初日から泥だらけですね」
「あはは……。まあ、畑仕事ってのはこういうもんだよ」
板壁に背を預けて足を伸ばすリンの向かい側に座るジェイスが苦笑する。彼らの服は所々泥や草で汚れている。ユーギとユキは興奮冷めやらぬのか、部屋の真ん中で転げ回ってふざけている。
荷物を整理し始めていると、ふすまに似た戸をたたく音がした。「はい」とジェイスが応えると、宿の主人が顔を覗かせた。
「お前ら、汚れてんだろ? 風呂涌いてるから順番に入りな」
「ありがとうございます」
「お風呂!」
「僕、一番!」
「わかったから。順番な」
すぐにでも服を脱ぎかねない年少組を抑え、リンは主人にお礼を言った。彼らを最初に入れてやり、四人はさっぱりと汗を流した。
一方の晶穂は、夫人と共に台所に立っていた。リン達が収穫してきた果物を切ったりすりおろしたり他の材料と混ぜたりして、ケーキを作っていた。その隣で、夫人は手際よく晩ご飯を作り上げていく。山菜や畑の野菜、川魚を組み合わせて豪華な大皿が何枚も作られていく。
「うわぁ……凄いですね」
「お客さんが来る度に料理してるから、もう慣れてるわ」
あなたもよく頑張ってるよ、と晶穂の手元を見て笑う。彼女の作るケーキも佳境だ。
「はい、ありがとうございます」
にこりと微笑み、晶穂は拳を握って気合を入れた。
「ご飯出来たよー」
「はーい」
パタパタと足音を響かせ、まずユーギとユキが居間に入って来る。続いてリン、ジェイスが入室する。年少組は目を輝かせ、机の上を凝視した。
「「おいしそ―――!」」
「はい、ありがとう」
夫人は柔和な笑みになり、客人達をもてなしの場へ誘った。焼き魚や山菜の炊き込みご飯、味噌汁などの他、野菜たっぷりのハンバーグも並んだ。
「腕によりをかけたから。さあ、どうぞ」
「いただきます!」
一斉に手を合わせ、箸が動き始める。わいわいと賑やかな食卓が続く。
皿の中身がなくなった頃、夫人に背を押された晶穂が台所から姿を現した。その手の上には、ひときわ大きな皿、そしてホールケーキがあった。全体はホイップクリームに覆われている。上にはミカンのような果実が花のように並べられている。
「えっと、みんなが採って来てくれた果物でケーキを作りました。デザートにどうぞ!」
「おおっ」
「じゃ、切り分けるよ」
夫人はナイフを持ち、綺麗に七等分した。それぞれの前にフォークと共に置かれた。一口食べたユキが歓声を上げた。
「晶穂さん、おいしいよ!」
「うん、中にはアフレがぎっしりだね。甘過ぎなくておいしいよ」
アフレ、とはりんごに似た果物だ。それ自体は甘さが少ないが、甘いクリームと合わせることでアフレの甘さがより強く感じられる。
ジェイスの褒め言葉を横に聞きながら、リンは無言で口にケーキを運んでいる。食べているということは不味くはないのだろうが、何も言ってくれないのは少し寂しい。じっと言葉を待っていた晶穂の視線に気付き、彼は少し顔を背けて呟いた。フォークを動かす手も止める。
「うまい、から。安心しろ」
「よかったです……」
ほっと相好を崩す晶穂に不器用に微笑みかけ、リンはフォークを再び動かし始めた。その二人の様子を穏やかに見つめていたジェイスと主夫婦である。
夜も更け、リン達は客間に戻って布団を敷いた。晶穂は一人別室で休んでいる。目が冴えて眠れないと言うユキ達をどうにか寝かしつけ、リンとジェイスは床に入った。
「リン、初日はどうだった?」
「そうですね……。何事もなく過ぎてほっとしてます」
「そうか、よかった。克臣も喜ぶよ。リドアスでの日々とは全然違うからな」
「ええ。気にしなくていいっていうのは、身軽なもんですね」
「……明日も早い。もう寝ようか……ん?」
ジェイスが隣を見ると、すーすーと静かな寝息をたてる幼さの残る青年の顔があった。昼間はきりっとしたリーダーのリンだが、寝ているような無防備な時、少し時間が巻き戻る。
「……こんな顔、見せられる人がもう一人くらい増えればいいけど」
ふふ、と笑い、ジェイスは目を閉じた。
次に目を覚ました時、きっと朝日は昇っているだろう。
翌日の朝。小鳥の歌声に起こされた一行は、ご飯と味噌汁、煮物、煮魚などの朝食をいただき、午前中には民宿を後にした。
「また来いよ」
「いってらっしゃい」
民宿の主人夫婦に見送られ、リン達は山道を下りて汽車乗り場へとやって来ていた。
「あ……」
切符売り場に並ぼうとした時、ユーギが一点を見つめて足を止めた。「どうした」と後ろを振り返ったリンの頭上で、低い大人の声がした。
「ユーギ、しばらく振りだな」
「お父さん」
今朝までのはしゃぎようとは全く違う固い声で、ユーギはその男に呼びかけた。雰囲気を和らげようと思ってか、ジェイスがいつもの笑顔で男に話しかける。
「テッカさん、お久し振りです」
「ああ、ジェイス。リンもユキくんも一緒か。で、君が晶穂だね。ユーギが世話になっている」
「い、いいえ。こちらこそ」
慌てて手を顔の前で横に振る晶穂に軽く頷き、テッカはユーギの前に立った。
ユーギの父親であるテッカは当然犬人だ。背丈はジェイスより五センチ以上高い偉丈夫で、背中に使い古したリュックサックを背負っている。彼は銀の華の所謂遠方調査員で、滅多にリドアスにも帰って来ない。同じかそれ以上、家にも帰っていない。その状態は良くないだろう、とリンが気を利かせ、息子であるユーギと共に故郷へ帰る休暇を取ってはどうかと提案したのだ。狩人の活動がなくなった今、それほど火急の用事はない。新たな問題が持ち上がってはいるが。
テッカは二つ返事でそれを受け、この状況に至る。
「帰るぞ、ユーギ。母さん達が首を長くして待ってる」
「……はい」
「ユーギ、久し振りの我が家だ。楽しんで来い。こっちに戻るのは学校が始まる直前で良い」
あまり気が進まない様子のユーギの背に、リンは明るい声で呼びかける。振り向いて頷き、ぎこちなく微笑んでユーギは汽車に乗って行った。
「これで、少しでも距離が縮まればいいな」
「そうですね」
その短い会話から、晶穂はユーギと父テッカとの間がぎこちないものであるということに気付いた。遠くに行ったままの父とそれに複雑な思いを抱く幼い息子。彼らの心情を推し量ることは難しい。この休暇で、ユーギはかなり成長するだろう。
歳の近いユーギが旅から離れて寂しそうなユキの頭を撫でてやり、リンは切符を買い求めた。
汽車に乗って数時間。リン達は南の大陸最大の都市・ハイスへと辿り着いた。
まずは宿泊先のホテルに荷物を置き、街のパンフレットを広げた。ちなみリンとジェイスが同室、晶穂とユキが同じ部屋だ。隣同士の部屋を取り、今はリン達の部屋に集合している。
時刻は午前十時過ぎ。何かを始めるのに良い頃合いだ。
「さて、午前中は観光地を幾つか巡るか。で、何処かで昼を食べると。午後はユキが行きたがってたソディール最大の水族館に行こうか」
「やった!」
「よかったね、ユキ。先輩、ハイスの観光地ってどんな所があるんですか?」
「そうだな……」
リンはパンフレットのページをめくり、「オススメ観光!」と書かれた場所で手を止めた。そこには巨大なショッピングモールや商店街、聖地、城址などが写真付きで紹介されている。聖地は日本の寺社に近い役割を担う。人々の信仰の対象であり、悩み相談所のような機能もある。その中でも最古のものは、神々がソディールを創り出した後すぐに出来たという伝承があるようだ。
「俺としては、この最古の聖地に行ってみたいんだ。鎮守の森みたいな広大な場所もあるらしい。賑やかさや美味しい食べ物なら中央商店街もお薦めだ。ただ人が多いから、はぐれないように気をつけないといけないけどな」
「成程……。その聖地、わたしも行ってみたいです。あとはこのおいしそうなスイーツのお店にも行きたいです。中央商店街の中にあるみたいですし」
「わたしも商店街は覗きたいな。魔具の店を見たい」
「じゃ、昼は商店街のおいしい店で食べますか。午前中に幾つか回って行くぞ」
決まりだな、とリンは冊子を閉じ、軽く小さなリュックを背負った。晶穂達も街歩き用の鞄に必要なものだけを入れ直し、ホテルを出発した。
日柄もよく、初めて見る景色に晶穂は胸を弾ませた。
少女はカフェを出て、街を歩くことにした。ここでは普段見られないものが見られる。彼女にとっては異空間であり、異世界に近かった。
つばの広い帽子は冬の温かい日差しも遮ってくれ、白い肌を焼ける痛みからも守ってくれる。
少女はふと足を止め、方向転換した。この世界の聖なる場所へ行ってみようと思い立ったのだ。そこは、彼女の祖先が守り神としていつく。――ただし、片方だけだ。
その導きが、彼女に運をもたらすかもしれない。
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