第59話 そうだ、旅行に行こう

 克臣が思わぬ出会いをしてから日が経った。特筆すべきことは起こらず、リドアスの日常は平穏に過ぎていた。

 星丘大学も春休みに入り、リンと晶穂はユーギ達と長期休暇をほのぼのと過ごしていた。

 晶穂はこの日、サラと共にアラストの街に繰り出した。お洒落なショップや書店、雑貨店を巡り、ランチを食べようとカフェに入った。このカフェはサラのお気に入りで、和風スイーツや和食ランチが人気だ。

 メニューから注文を終え、料理が来るまでの雑談が始まる。周囲を見れば、彼女達と同じような少女が華やかに、おしゃべりに興じていた。

「そういえば、克臣さんが小旅行を計画してるんだって」

「小旅行?」

 お冷を口に運んでいた晶穂は首を傾げた。水には柑橘系の果汁が入っているのか、爽やかな風味を感じる。サラが身を乗り出して、

「そう。しかも、ソディールと日本の観光地を両方訪ねるんだって。ソディールは兎も角、日本は最近まで行った事なかったから、観光地も行ってみたい!」

「サラはわたしの代わりに大学に行ってくれてたって聞いたけど、イレギュラーなことだったんだね」

 夏の終わり、晶穂は魔女と名のる存在に体を乗っ取られ、一時的にリドアスを留守にしていた。自由が利かず、それ以前に意識もなかった。その間、周りに不審がられないように日本へ身代わりとして通学していたのが、サラだった。勿論背格好は違うが、講義の内容をノートに取るくらいは出来る。

 晶穂が自分を取り戻したのは一か月ほど経った後だ。ノートの量が多く、まとめ直すのに時間がかかったのはここだけの秘密だ。ソディール文字と日本語は違うのだ。

「うん、大変だったけど楽しかったよ! 大学の晶穂の友達に『最近どうしたの?』って訊かれまくったけど」

「あはは……ごめん」

 大学に復帰した後、今度は晶穂がこれまでどうしていたのかと色々な人に訊かれたのだ。ゼミの担当教授にも根掘り葉掘り。どうやら魔力で外見は誤魔化せても、喋り方やしぐさが違うと不審がられていたらしい。

 それらの質問に答えるのは、骨が折れた。今まで話したことのなかったはずの学生から声をかけられることも何度かあり、サラのコミュニケーション能力の高さを窺い知った。

 また、何故か何回か告白された……らしい。サラは日本人離れした容貌の持ち主で、それが魔力のベールを介して伝わっていたらしい。その事件も、サラは明かしてくれた。

「それがどんな理由であれ……」

「サラは、僕の彼女だ」

「……エルハさん、何処から」

 突如現れた青年の姿に、晶穂はぎょっとした。エルハはサラの肩を抱き、不敵に笑った。

 ―――怖い。

 内心怖じ気付く晶穂を他所に、エルハとサラは既に二人の世界だ。見えないはずの桃色の空間が、晶穂の目の前に出現した。

「どうしたの、エルハ?」

「丁度通りかかったんだ。そうしたら、サラがいるのを見たから」

「そうなの? 偶然だね」

 にこにこと会話するカップルを横目に、晶穂は苦笑いするしかない。


 同じ頃、リドアスにて。

 書類整理に追われていたリンの執務室に、大きな足音を響かせて青年が勢い良く入って来た。

「リン、旅行に行こうぜ!」

「……唐突ですね」

 リンは嘆息してそう呟いたが、実は少し前からリドアス内で噂になっていた。今目の前にいる青年・克臣が春休みを利用した小旅行を計画しているという内容だ。リンの隣にいたジェイスが笑いを堪えながら口を開いた。

「行くのは良いですけど、リドアスのことはどうするんだ?」

「他の奴らに任せる」

「きっぱりだな」

「まあな」

「……最初に正体不明の人物に襲われた人の言うこととは思えませんけど」

「それはそれ。これは別だ」

「おいおい。……まあ、気持ちはわかるけどな」

 色々言いつつも、ジェイスは克臣の提案に反対しなかった。

 実は、ジェイスの耳には幾つかの意見が入って来ていた。基本的に、リドアスの運営はリン一人の肩にかかっている。彼を手助けしようとジェイスと克臣を含め、メンバー皆ヤキモキしていたのだ。

 リンは他人に何かを頼んだり願ったりすることが苦手だ。それは小さい頃からそうだった。ユキと両親を失い、リンは独りの殻に閉じ籠るようになった。近くで兄代わりとして見守ってきた二人にとって、それは苦しく寂しい思い出だ。

 そんな時代を知る人は多い。だからこそ、助けたいのだ。

 晶穂を迎え、リンは目に見えて柔らかくなった。

 しかし、リドアスのことを自分だけでやろうとするのは相変わらずだ。その重荷を少しでも、短い時間でも肩代わりしたいと言う人がたくさんいるのだ。それを直接言っても、リンは承知しないだろう。だから、克臣が自分の発案として皆の意見を集約させたのが今回の計画なのだ。

「ユーギはこの春休みに故郷に戻るんだと。親父のテッカさんも久方ぶりに戻らせる。他にも実家に帰郷するやつも多い。がらんどうにしようって話じゃないけど、リドアスを休みにしてみてもいいんじゃないか? 旅行の途中でテッカさんと合流させりゃいい」

「一香とシンも代わる代わるで修行に行くって言ってたね」

「俺も聞いたぜ、ジェイス」

「……それは聞きましたけど」

 躊躇うリンをもう一押ししようと、克臣は身を乗り出した。

「遠征の時と同じだ。任されたいってやつもいる。リンだって俺だってジェイスだって、毎日休まずリドアスに出て来られるわけじゃない。やってみる価値はあると思うがな」

「……あの時、留守組は犯罪者を捕まえたり相談事を持ち込まれたりと忙しかったようですけど」

 南の大陸から戻った時に書類が山積みになっていたのを思い出し、リンは憂鬱そうに首を横に振った。その処理も誰かが出来るのだろうか?

「文里さんや他にも古いメンバーというか、昔から銀の華を知ってる人は多い。彼らは先代がいなくなってリンが継ぐまでの間、銀の華を仕切ってた。彼らに任せれば問題ない」

「そう……ですね」

 父ドゥラと母ホノカを思い出したのか、リンがしんみりと口を閉じた。その空気を変えようと、ジェイスはわざと明るい声を出した。

「ま、リドアスは大丈夫ってことだ。それは良いとして、克臣。お前の家族はどうするんだ?」

「真希と明人か? 勿論あいつらと過ごす。有給と公休合わせて三日間取ったから」

「……え。二人をソディールに連れてくる気か!?」

「まさか。二人は日本旅行の時だけだ。あとはお前らに任せる」

「へえ。克臣は日本とソディールの両方を日程に入れているのか。あとはどんな感じなんだ?」

「それはな……」

「あーもう、分かりました!」

 旅行の日程について二人で話し始めたのに耐え切れなくなり、リンは大声を出した。半ばやけくそに聞こえなくもなかったが、克臣はしてやったりという顔になった。

「じゃ、俺が計画した日程について説明するぜ」

 そう言うが早いか、克臣はズボンのポケットから四つに折りたたんだ紙を取り出し、それを机の上に広げた。それをリンと克臣が覗き込む。

「まずはソディールだ。こっちは俺なし。後半に向けて仕事を片付けるからな」

 克臣が書いた日程は、全六日だ。

 まずはアラスト郊外の村・トゥール。

 昔ながらの家々が残る、ソディールでも数少ない場所だ。作物の収穫体験が出来たり、民宿に泊まることが出来たりし、更にアウトドアで川下りや登山が有名だ。

 次に二日目。南の大陸最大の都市・ハイスだ。東京のような都会の街並みが魅力だ。ソディール中の食べ物や文化が集まる場所でもある。またファッションの中心地でもあり、女子が集まる街だ。

 三日目は北の大陸・北限の町グリゼだ。アラストからは一つ山脈を越えた先にある。汽車で行くことが出来、夏でも最高気温十八度前後の寒い地域だ。町の背後にはソディール一の山々が連なり、冬となるこの時期は北海道のように雪祭りが開催されるのだ。

「へえ、南北の移動距離が長いな」

「汽車があるし、大丈夫だ」

 克臣は笑い、後半の日程を指差した。

 四日目は東京。日本の中心地であり、様々なものが集まる賑やかな街だ。

 最終日は北海道。グリゼとはまた違う美しい雪景色を見られるだろう。そして澄み切った夜空を眺めながら旅を終えようということだ。

「……日本の代表的な観光地ですね」

「面白いだろ? それに交通機関を使わなくても、俺達には扉があるから、こんな強行でも行けるだろ、と思ってな」

「成程ね。でも真希ちゃん達は扉を使わせられないぞ?」

「それは大丈夫。俺ら家族分くらい、自分で出すさ」

「なら安心だけど」

「言っとくけど、俺は家族と三日間過ごすからな。連絡は取れるようにしとくけど、基本的には別行動だ」

「……じゃあ、何でこの旅行を俺らに提案したんですか?」

「それは……」

 言いよどむ克臣にジェイスが助け舟を出した。

「最近戦ってばかりだから、休憩してほしかったんだよ、克臣は」

「そう、そうだ!」

「……なら、嬉しいですけど」

 丸め込まれる形で、リンは克臣の提案を受け入れた。

「それに、襲ってきたやつも襲うにしたってリドアスには来ないさ。単独を狙う方が個人を倒しやすい。みんなを巻き込まないためにも、俺たちは一時離れた方が良いんだよ」

「……その理屈には同意しますけど、今作りましたよね?」

「ばれたか」

 舌を見せて笑った克臣に、リンはもう何も言わなかった。


 大学の春休みが始まって一週間後、リンと晶穂、ジェイス、ユーギ、ユキはアラストを旅立った。

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