第55話 思い出す
魔女が消えた次の日の午後、克臣とジェイスは食堂でお茶を飲んでいた。
ジェイスはミルクを入れた紅茶のカップをソーサーに置き、それにしても、と零した。
「それにしても、魔女はたった一人でダクトを目覚めさせるために行動したんだろうか?」
「違うって言うのか、ジェイス?」
全てが片付いたはずなのだが、ジェイスには一抹の不安があった。
「違うとも違わないとも言えないな。――魔女を名のった彼女は、元狩人だったのかもしれないけど、今まで長く狩人と争ってきた中で、彼女をみたことはないだろ?」
「そういや、ないな。魔女は自分の本来の姿を俺達に一度も見せたこと……あ」
「気付いたかい、克臣? ――その通り。魔女は彼女自身の体に宿った姿を一度もわたし達に見せてはいない。占い師として商店街で活躍していたようだけど、リンが見たのは晶穂の体に取りついたものだ。彼女自身じゃない。……中身が魔女自身だったとしてもね。だから、生者の気配はしなかったんだろう」
克臣はストレートの紅茶を一口飲み、置いて腕を組んだ。
「魔女の正体はなんだった、とジェイスは思うんだ?」
「さてね。正しいか分からないけど、一つの可能性があるな。あくまで想像だ。それでもいい?」
「ああ」
「……ダクトだ」
「は?」
目をむく幼馴染に苦笑し、ジェイスは発言を繰り返した後、その根拠を話し出した。何を馬鹿なと笑い飛ばしかけた克臣だったが、真摯なジェイスの顔を見て改め、身を乗り出した。
「ダクト本人、又はその思考が形となって表れた存在、かな。そう考えれば、ダクトとの共感具合も納得がいく」
「同じだから、か。……お前らしくもない、非現実的な考えだな」
「バカらしいって笑うかい?」
苦笑するジェイスに対し、克臣は首を横に振った。
「いや、笑わない」
克臣は椅子に背を預けて伸びをした。
「だってさ、ソディールでは日本じゃ起こりえないことばかりだ。そんな世界で魂の分離が起こっても、俺は驚かないし笑わないぜ」
「そりゃどうも」
忘れがちだが、克臣は日本人だ。地元の文具メーカーに勤め、結婚もしている。
幼馴染二人は笑い合い、この話題に蓋をした。
祠は今も、シンと一香が護ってくれている。魔女が消えたのと同時刻、祠の力が少し弱まったと感じられたらしい。封珠は沈黙を守り、変わりはない。
「そう言えば、リンと晶穂は?」
「晶穂は午前中に目を覚ましたよ。また眠ったみたいだけど、さっき軽食をサラが持って行った。まだ二人の間は変わらずだよ」
「なんだ。リンは出掛けたか」
「そうだね。……やっと、思い出したから」
「そうだったな」
「今頃は、ユキと一緒に時間忘れの森にでも行ってるんじゃないかな?」
二人はお菓子として置いていた豆大福をつまんだ。これらは、克臣が会社帰りに買ってきた老舗のお菓子だ。ちゃんと自宅用も鞄に入っている。
ジェイスと克臣の会話から十分程前のこと。
眠りから覚めたユキは、ぼおっとした頭で周囲を見渡した。見覚えのある机や椅子、壁紙が見えた。
「……なんか、夢見てた気がする」
その内容は、どう頭をひねっても思い出せない。その代わりに、彼の中で変化したことがある。
「ユキ、起きたか?」
戸の向こうから聞き慣れた声が自分を呼んだ。その声に懐かしさを感じ、ユキは動揺した。
返事がないのを心配したのか、声の主がゆっくりと戸を開けた。何故かこちらをじっと見つめるユキに、
「どうした、ユキ」
と問いかける。
幼い少年の頬に一粒の涙が伝ったのを見、リンはぎょっとした。そして、続くユキの言葉に更なる驚きを禁じ得なくなる。
「おにい……ちゃん……?」
「え……」
リンは目を丸くして硬直した。晶穂の部屋から直接ユキのところにやって来た彼は、それまでの動揺にうわ乗せされた困惑を処理しきれずに硬直した。その直後に我に返り、リンはゆっくりと歩を進め、ユキのベッドの傍に腰を下ろした。
「思い、出したのか?」
「はい。……全部じゃないけど、自分の名前と家族のことなんかを思い出した、と思う」
「そっか……」
リンはほっと安堵の表情をし、きゅっと弟を抱きしめた。ユキには兄の表情は見えなかったが、喜んでいることは理解出来た。
ユキは思い出したのだ。「ユキ」という自分の名前。リンという兄の存在。そして亡くなった両親のことも。ようやく自分が何者かを思い出し、ユキ自身もほっとしていたのだ。
腕を解き、リンは微笑を浮かべてユキの頭を撫でた。
「どうやって思い出せたんだ? ダクトはまだ完璧に封印はされてないはずだけど……」
「あのね、夢を見たんだ」
話しているうちに打ち解けてきたのか、ユキの口調が年相応にあどけなくなる。記憶をなくす前はたった四歳だ。ダクトから解放されたから、ようやく成長が始まったようだ。
「へえ、どんなだ?」
リンの問いに、ユキは茶目っ気たっぷりに答えた。
「わすれちゃったけど」
えへへ、と前歯を見せる弟を前に、がくっと軽くコケて見せ、リンは苦笑した。
「……体調は?」
「元気だよ。走り回れそう」
「なら、森へ行こう。時間忘れの森へ」
「行きたい! 久し振りに、行きたい」
そうして出掛けた兄弟は、数時間森の芝生の上で空を見上げていた。
トゥルル……
『はい。私立水ノ樹学園でございます』
「もしもし、園長先生ですか?」
『ええ。……あなた、どなた?』
「お久し振りです。三咲です」
受話器の向こう側で、息を呑む音が聞こえた。次に耳に入って来たのは、園長の震え声。
『……よかった、元気なのね。貴女が出て行ってから連絡が一度もなかったから、みんなで心配していたのよ? 便りがないのは元気な印って言うけど、それだけでは、ね』
「ええ。ご心配をおかけしました」
苦笑いを浮かべながら晶穂は答えた。連絡しようと思わなかったわけではない。しかし大学入学後の忙しさに加え、銀の華に加入した後は怒涛の日々だった。正直、連絡を考える余裕はなかったのだ。
『で、大学生活はどう?』
「はい。……楽しいですよ」
返事が一テンポ遅れたのは、美里のことを思い出したからだ。
彼女は晶穂の大学で出来た初めての友達だ。彼女以外にも仲の良い友人はいるが、美里ほど一緒にいた子はいない。今でも彼女の姿を大学内で探すことがある。いないことは百も承知だが、もしやと思ってしまうのだ。
狩人であった美里とは相いれることが出来なかったが一般人に戻った彼女となら、もう一度友人になれる気がする。
園長はそんな晶穂の胸中に気付いた様子もなく、楽し気に会話を続けた。晶穂も園長に合わせ、自らも楽しんでそれに応じた。
じゃあ最後に、と園長は前置きをした。何かと身を乗り出した晶穂の耳に、弾みかつ好奇心を抑えられない少女のような声が響いた。
『で、晶穂。……良い人はいないの?』
「……はい?」
質問の意味が理解出来ずに問い返した教え子に、園長は再び同じことを訊いた。
『好きな人はいないの? って話よ』
「……」
数秒絶句した晶穂だが、心に浮かんだ人影に気付き、頬を赤らめた。その姿を見咎める人はいないが、晶穂は頬に携帯電話を持たない片手を当てた。
「……気になる人なら、います」
独り言のように呟き、慌てて付け加えた。
「でも、みんなには秘密ですよ?」
『ふふ、わかりました』
園長先生は電話の向こうで微笑んだようだ。初々しいとでも思ったのだろうか。晶穂は今更羞恥心が涌いて来て、
「で、ではまた! 近いうちにまた連絡しますね」
『ええ、待ってるわ』
ツーツーツー
通話を切り、晶穂はふうっと息をついた。
懐かしい園長の声は、彼女に安らぎを与えてくれた。やはり、あそこが自分の実家だと感じているのが分かる。
それが、偽りであったとしても。
晶穂は携帯電話を所定の位置に置き、ベッドに仰向けになった。
ふと、自分が園長に零した言葉が頭をよぎった。
「……わたし、あの人のこと……」
その思いの正体に気付くのはそう遠くない。本当は気付いているのに、ふりをしているだけ。
見慣れた黒髪とルビーの瞳を思い出し、晶穂は顔をタオルケットで隠して寝返りを打った。
その瞳には、明らかに黒以外の色がはっきりと現れている。目覚めてリンと話した当初はぼんやりとしていたが、青い色がその中にはあった。
晶穂は、まだ鏡を見ていない。自分の変化に気付くには、まだ時が必要だった。
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